2007年09月26日
青森スポレク及び周辺見物
開会式前日の21日金曜日、朝一番の飛行機で青森11時ごろ着、手配の10人乗りレンタカーで市内の棟方記念館を見学して一路陸奥湾沿い北上する。貝柱会館で一口ではほおばりきれない貝柱二個ずついただく、おいしいと思った。
それから恐山をめだした。険しい山道のアップダウンを繰り返しながらたどり着いたところは、荒涼としただだぴろいところだった。そこには修験者の霊場にふさわしく大きな山門があり、それをくぐると正面奥にはふさわしい地薩殿があった。その左手一体には積み上げられた瓦礫のあちこちで風車が狂おしげにまわっている。強い硫黄の匂いが賽の河原を思わせるにふさわしく漂っていた。
8人を乗せたマイクロバスは時間の都合で薬研温泉入浴は通り過ごしてして本州最北端の町、大間へ。
海辺の大間崎にたどり着いたときは夕闇がせまっており何とか写真だけは撮ってホテルと向かう。
ホテル近くの海鮮居酒屋「海遊亭」で本マグロづくしをご馳走になる。マグロの刺身のおいしさを初めて知った瞬間でもあった。
22日土曜日早朝、散歩する。夕闇だった大間崎へもう一度と、めざしたが行けども行けども海は見えず、時間の経過とともに朝焼けもうすくなってしまった。しかたなく引き返してホテルの反対方向に歩いて漁港にでる。そこにはハの字型に堤防が突き出ておりコンリートの海岸には引き上げられた漁船が数隻、堤防にも漁船が停泊している。右側の堤防を歩いてみようと歩き出すと小屋の前に漁師が五六人海に向かって座っていた。堤防のはるか向こうに大きな客船が目に入る。朝はまだ完全にさめきっていない時刻だ。堤防を歩くと羽を休めているかもめも等間隔で歩き出し、しばらく歩くととびたっていく。
早めにホテルを出て開会式のある新青森県運動公園向かう。式ではオープニングセレモニーやアトラクションを楽しみ、専用のバスでテニス会場の八戸の宿舎へと移動する。
23日日曜日、晴れ 八戸市東運動公園テニスコートで
テニスの開会式が行われその後二つの会場に分かれて試合が始まる。我々は同じ会場で、予選リーグ一試合目は韓国のBチームとの対戦になっていた。挨拶で並ぶと韓国は30,40,50代にたがわない人選らしく平均年齢62歳近いた我チームとは覇気が違う気がした。最初に50代の対戦、我チームの男性は65才代だがJOP65歳代で15位前後の選手で、その力を発揮して接戦をものにしてまず一勝する。
40代は私の出番だ。韓国の選手は男女とも40代そこそこに思えた。パワーもあり上手だった。その上私は自分の力を出せずに、0-3となった。コートチェンジのときベンチにいたA氏から一ゲーム取るよとはっぱをかけられた。
そこで奮起したKさんが自分のサービスをキープして1-3となったがそこまでで1-4で惨敗する。
30代、韓国男子選手は33歳だと後で知る。身長190センチはありそうな長身で四本のサービス練習の折そのボールのスピードに観覧席が驚く。スポレクにしては首を傾げたくなるハイレベルで我30代の選手は完全にほんろうされ0-4でこれも惨敗。結局1-2で負ける。
徳島とは2-1で勝、地元青森Hとは苦戦の上これも2-1で勝つ。
24日月曜日晴れ 決勝トーナメントは第二位グループで初戦は広島との対戦となる。試合前の広島の練習を見ていた。20分間を効率よく配分して密度高い練習に見えた。そして全員がハイレベルにあるとそれを見ていた我チームの数人は同じ思いだったのだ。対戦してみると50代はシーソゲームでタイブレークまでいきものにした。次の40代の選手は鍛え上げた体からのサービス、スマッシュが得意で、一方的にやられるかとあきらめていたとこり3-3となって4-3のチャンスはあったのだがそのまま押し切られ3-5で負ける。40代も0-4と一方的に負け、一回戦で広島に1-2でやられてしまい、スポレクでの戦いは終わりました。
昼からレンタカーで十和田湖方面に足を向けました。
十和田湖国民宿舎泊。
25日火曜日晴れ 十和田湖早朝散歩ーー遊覧船ーー奥入瀬渓流を車窓より眺めながら津軽三味線会館ーー睡蓮沼ーー酸ケ湯温泉入浴ーーねぶたの里見学ーー八甲田山雪中行軍遭難資料館ーー青森空港ーー東京ーーK空港
それから恐山をめだした。険しい山道のアップダウンを繰り返しながらたどり着いたところは、荒涼としただだぴろいところだった。そこには修験者の霊場にふさわしく大きな山門があり、それをくぐると正面奥にはふさわしい地薩殿があった。その左手一体には積み上げられた瓦礫のあちこちで風車が狂おしげにまわっている。強い硫黄の匂いが賽の河原を思わせるにふさわしく漂っていた。
8人を乗せたマイクロバスは時間の都合で薬研温泉入浴は通り過ごしてして本州最北端の町、大間へ。
海辺の大間崎にたどり着いたときは夕闇がせまっており何とか写真だけは撮ってホテルと向かう。
ホテル近くの海鮮居酒屋「海遊亭」で本マグロづくしをご馳走になる。マグロの刺身のおいしさを初めて知った瞬間でもあった。
22日土曜日早朝、散歩する。夕闇だった大間崎へもう一度と、めざしたが行けども行けども海は見えず、時間の経過とともに朝焼けもうすくなってしまった。しかたなく引き返してホテルの反対方向に歩いて漁港にでる。そこにはハの字型に堤防が突き出ておりコンリートの海岸には引き上げられた漁船が数隻、堤防にも漁船が停泊している。右側の堤防を歩いてみようと歩き出すと小屋の前に漁師が五六人海に向かって座っていた。堤防のはるか向こうに大きな客船が目に入る。朝はまだ完全にさめきっていない時刻だ。堤防を歩くと羽を休めているかもめも等間隔で歩き出し、しばらく歩くととびたっていく。
早めにホテルを出て開会式のある新青森県運動公園向かう。式ではオープニングセレモニーやアトラクションを楽しみ、専用のバスでテニス会場の八戸の宿舎へと移動する。
23日日曜日、晴れ 八戸市東運動公園テニスコートで
テニスの開会式が行われその後二つの会場に分かれて試合が始まる。我々は同じ会場で、予選リーグ一試合目は韓国のBチームとの対戦になっていた。挨拶で並ぶと韓国は30,40,50代にたがわない人選らしく平均年齢62歳近いた我チームとは覇気が違う気がした。最初に50代の対戦、我チームの男性は65才代だがJOP65歳代で15位前後の選手で、その力を発揮して接戦をものにしてまず一勝する。
40代は私の出番だ。韓国の選手は男女とも40代そこそこに思えた。パワーもあり上手だった。その上私は自分の力を出せずに、0-3となった。コートチェンジのときベンチにいたA氏から一ゲーム取るよとはっぱをかけられた。
そこで奮起したKさんが自分のサービスをキープして1-3となったがそこまでで1-4で惨敗する。
30代、韓国男子選手は33歳だと後で知る。身長190センチはありそうな長身で四本のサービス練習の折そのボールのスピードに観覧席が驚く。スポレクにしては首を傾げたくなるハイレベルで我30代の選手は完全にほんろうされ0-4でこれも惨敗。結局1-2で負ける。
徳島とは2-1で勝、地元青森Hとは苦戦の上これも2-1で勝つ。
24日月曜日晴れ 決勝トーナメントは第二位グループで初戦は広島との対戦となる。試合前の広島の練習を見ていた。20分間を効率よく配分して密度高い練習に見えた。そして全員がハイレベルにあるとそれを見ていた我チームの数人は同じ思いだったのだ。対戦してみると50代はシーソゲームでタイブレークまでいきものにした。次の40代の選手は鍛え上げた体からのサービス、スマッシュが得意で、一方的にやられるかとあきらめていたとこり3-3となって4-3のチャンスはあったのだがそのまま押し切られ3-5で負ける。40代も0-4と一方的に負け、一回戦で広島に1-2でやられてしまい、スポレクでの戦いは終わりました。
昼からレンタカーで十和田湖方面に足を向けました。
十和田湖国民宿舎泊。
25日火曜日晴れ 十和田湖早朝散歩ーー遊覧船ーー奥入瀬渓流を車窓より眺めながら津軽三味線会館ーー睡蓮沼ーー酸ケ湯温泉入浴ーーねぶたの里見学ーー八甲田山雪中行軍遭難資料館ーー青森空港ーー東京ーーK空港