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シニアテニス両手打ちでの挑戦記 60歳代半ばにしてエルボーをこじらせ片手では打てなくなりバック、フォアーとも両手打ちに替えての試行錯誤、全日本ベテランテニス選手権出場目指してのつれづれ。

ていちゃん
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    孫娘たちに愛に

    土曜日、晴れ。
    K氏と早朝テニス、ワンセット。サービスキープ出来ずにブレーク合戦、最後にキープして辛うじて勝ったが関西の反省は頭の中だけで実際にはともなわなかった。

    関西ベテランの経過を見ると70歳は決勝戦を残すのみとなっていた。1シードはB8で敗退、2シード、3シードで決勝を争う。ぼくが敗れたM氏は3回戦でファースト、タイブレーク(11)で敗れて力尽きていた。気持ちは察する。セカンドは16。M氏が5シードを破った以外は順調に推移していたようだ。

    昨日は孫娘に会うためM市に出かけた。
    成長の早さには驚くばかり。科学技術館で何十年かぶりにプラネタリウム、童心にもどって楽しんだ。いやおおいに勉強になった。

    Mちゃんー1  Mちゃん-2  Iちゃんー堤防の上で

    空、雲、木立

    Iちゃんー堤防ー2  Iちゃんー宇宙服  滑り台

    宮崎科学技術館  ゆうやけ



    日記 | 投稿者 ていちゃん 22:48 | コメント(1)| トラックバック(0)

    関西ベテラン観戦

    火曜日 薄雲。
    チェックアウト10時ギリギリホテルを後にする。甲子園テニスクラブまで5分とかからない。1番コートの見えやすい場所で今日一日を覚悟した。75才シングル2試合目にS氏が1番コートに入ったので応援。
    春先から5大会連続のウイナーだ。日曜日、中国ベテランを征して2日後が今日なのだ。小柄な相手であっただが、F氏の弁ではいい勝負になるだろうと言う。予言通りこう試合が展開された。ファーストは75でS氏がものにしたが、セカンドは36で落としファイルとなった。いっぱいいっぱいのテニスにミスが出始め相手はそれを見逃さなかった。16くらいでやられた。試合後、ねぎらいの言葉をのべたおり、彼とは中国ベテランの二回戦で対戦して勝ったと言う。その辺の体力差が反映したかも知れない。
    負けたおかげと言うのは悔しいが朝の10時から5時過ぎまでの7時間のながきだが退屈はしなかった。しかたなさもあったけど。
    名前と選手の顔が少しずつだが判明してきた。
    ハイライトはぼくが負けた選手の二回戦だった。相手は東京での大会の覇者でシード選手。強豪を破っての優勝者はどんなテニスをするのか注目した。だがぼくを負かしたM氏が勝つとは二番コートを注目していた人は夢想だにもしなかったはずと思う。シードの選手は初戦で慣れないのかミス目立ち、その内立ち直るかと見ていたが、そのままずるずると行きM氏63でとり会場には驚きの沈黙が感じられた。セカンドになればシードの力を出すに違いないとの感想もあったが、内容は接戦でM氏が押し気味で進み54でM氏は二回のマッチボイントを逃して55、ファイルになりそうな雰囲気にM氏はここで踏ん張ったのだ。並の人ではなかった。相手のミスを誘うかのように粘っていると、相手の攻撃は微妙にくるい出しポイントを失って行き、最後も自分のミスでゲームセット、その瞬間その場では見られない拍手がおきた。 65 75とストレートの勝利だった。

    ぼくは嬉しかった。ほんとはぼくがあの場所に立ちたかった。しかしM氏で正解だった。ぼくにはそんな力はありはしない。
    おかげてもう少し頑張って見ようという気持ちがわいてきた。

    そろそろリムジンお迎えの時間が迫ってきたので、終わることにしょう。



    リムジンー1

    リムジンー2

    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 23:23 | コメント(0)| トラックバック(0)

    夏の甲子園

    日大三と星光学園の力のこもった決勝戦、刀折れ矢尽き、深紅の優勝旗は東北にもたらされなかったが、星光の奮闘、頑張りは震災の地に希望を与えたに違いない。

    甲子園界隈の静かさに、あの熱気を想像していた。

    6時前に三ノ宮への到着案内がカーテンを締め切っいるバスに流れたので慌てた。あわてて降りたった見知らぬ街角。阪神電車駅を尋ね尋ねてようやくたどり着き、鈍行に乗り込んで30分あまりで甲子園に到着。近くでマクドナルドを見つけ腹ごしらえを済ませてから、辺りをゆっくりと見渡した。時間はありすぎるほどある。

    甲子園テニスクラブ近くに宿を予約していたので、そこで9時過ぎまで休ませていただき、宿泊していたF氏に携帯して一緒に会場へ行く。
    昨年も同じパターンで初戦は勝てたが今年は厳しいかもしれないとの想定は的中してしまった。それでも42とリードし行けそうだと思ったりもしたが、それからずるずると46でファーストを失う。自分らしいいつもの悪い負け方だとクールに思っていた。相手はぼくのテニスをみやぶって攻撃パターンを変えてきていたが、それに対応できない自分がいた。セカンドも30とリードしていたが、それからまた逆襲を食らってしまった。33 34 35 45 46。相手にいいようにやられた感じだ。相手は確かに粘りを見せはじめて、そのへんの切り替えが上手だったが、自分のふがいなさにあいそをつかしていた。
    試合を終え、よろめきながら大きなバックを引きながら退散、空席の椅子を見つけて座り込み茫然自失していると、見知らぬ人が話しかけてきた。ブログを見ているらしいので、少し慌てた。ぼくが対戦した人の友達だと言う。そう言えば人が入れそうもないコートの斜め後まで入り込んで相手に拍手を送っている人がいた。
    話すところによれば凄い戦歴の持ち主だった。見せてくれた両膝には痛々しく縦にまっすぐメスの後があざやか。大手術をして信じられないほどに回復して、ダブルスから復帰したいと話していた。凄い人もいるものだと思った。そして彼からももボールが浅くなっていたと指摘を受けた。ぼくのテニスはもう限界にある。寂しいけれど。
    携帯より
    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 21:04 | コメント(2)| トラックバック(0)

    関西ベテランへ

    日曜日、雨。「人間の条件」第6部の最終回は昨夜放映された。梶の最後はどうなったか全く記憶がなく興味をそそがれたが、最後には1人ぼっちになって、妻との約束を果たすべき吹雪の荒野をよろめきながら妻に語りかけながらうつろになって進むが力尽き倒れるように横たわり、そこに雪が降り積もり梶を覆うった。妻の元に戻り幸せな生活を夢めみながらも正義を貫き通した。
    考えさせらる内容だった。
    夜9時半の夜行バスに乗り込む。

    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 22:53 | コメント(0)| トラックバック(0)

    中国ベテランの経過

    金曜日、曇り。
    中国ベテランの結果が気になり、クリックしてみた。
    翌日に結果を表示してくれるのは関東関西、全日本くらいと思っていたが、中国テニス協会は流石だった。前日の結果がきちっと載っていた。
    70歳はベスト4が出揃い、上段が1シードと7シード、下段がノーシードと2シードが残っていた。
    今年の九州毎日覇者3シードが初戦に敗退しているので驚く。優勝候補のNO1と思っていた。その3シードを破った選手を7シーが負かしている。

    エントリーしていれば4シードと思うが、これらの結果から判断すれば、B4に残るのは厳しかったに違いない。

    中国を捨てて北信越を選んだのは正解だったようだ。北信越はB8で200P、中国ではB4で160P。
    今のぼくのランキングはドロー運のおかげ、本当の実力にはほど遠い。

    夏の甲子園の戦いもいよいよ終盤、今日、準決勝2試合が行われた。青森の星光学園があれよあれよと勝ち進み江川を輩出した作新学院を50と完封して決勝に駒を進めた。

    地元の初出場校の対戦相手が青森と知ったときは、くじ運が良かったと喜んでいたが結果は、初出場のハンデイはあったのしても完敗だった。
    試合を見たことはなかったが、バットを振り回さずに着実の塁を進めて勝ち進み、代表になったと聞かされて、ちょっぴり期待していたが、その相手が決勝戦まで行ったとなって、さもありなんといわなければなるまい。決勝の相手は関西に14-4と圧勝して決勝の場に名乗り上げた日大三高。

    電力対策で9時間からの決勝戦は朝錬のため見ることは出来ないが、震災の地に歓喜の輪を運んでほしいと願っている。

    日記 | 投稿者 ていちゃん 21:59 | コメント(0)| トラックバック(0)

    K氏とのここ3回目のシングルス

    木曜日、曇りにわか雨。相変わらずぐずついた天気が続いている。
    K氏とのシングルスは3時からと今朝約束した。早めに行ってサービス、左右両手打ちの練習をしていると、すぐににわか雨が降りだす。ひとしきり降ると止み、サービスの練習を始めるとT氏が来たのでサービスからのストロークの練習に切り替えた。甘いサービス、ストロークでは守勢になってやられること多し。しっかりしたボールを打つことが大事。

    3時前には又もひとしきり強い雨脚で降って、3時にはあわせたように小康状態になった。

    今日は練習の成果があったのか、少しだが納得のいくテニスが出来たようだ。サービスもイメージするサービスに、近づいていたし、左右のショットもまずまず。しかし35と追い込まれてから踏んばって、55 75と何とかばん回。

    見ていた仲間にアドヴァイスも求めると、ボールが浅いときに苦戦していると言われ、あーやっぱりそうだったのかと、いつも言われている同じ指摘に、さもありなんと思った。

    セカンドは41 42 52 63とサービスも両手打ちも良くなり久しぶりのワンサイドだった。
    これで少しよいイメージで関西に行くこと出来そうだ。
    シングルス | 投稿者 ていちゃん 23:49 | コメント(0)| トラックバック(0)

    H氏とシングルス

    水曜日、雨のち曇り。今日も予報は雨模様、だが昨日と同じような天気が終日続いた。
    遠征用にと別にしていた薬で今日までつないだ。午前中、薬もらいを忘れないようにと時計を気にしているとケイタイが鳴る。今日はH氏、薬をもらいに行くので10時を10時半にお願いしたが、混んでいるかもしれないと、また10時でOKですケイタイした。
    コートの状況は昨日と同じで湿っぽい。今日は昨日のK氏の時よりサービスもストロークも良かったと思う。
    53とリードでぼくのサービス、向かい風、雲が途切れれば太陽が眩しく、なんとなくやっているとブレークされて54 55となってしまった。試合でよくあるぼくのパターン。56 66と何とかタイブレークに持ち込み、ここはワンサイドでものに出来たが、素直には喜べなかった。1セットで2時間。

    夕方、あーちゃん迎えに空港へ。
    シングルス | 投稿者 ていちゃん 23:57 | コメント(0)| トラックバック(0)

    今日もK氏とシングルス

    火曜日、大雨の予報でテニスどころでないと諦めているとケイタイがなった。見るとK氏からだ。外を眺めると今にも降りそうな曇天。今日は無理じゃないと言うと、降りだすまでよかったらお願いしますと言う。コートへはぼくのほうがずっと近いし、断る理由はない。飲み薬をもらいに行くのをすっかり忘れて、そそくさと準備して約束の10時までに出かけた。
    空はどんより、雨上がりのサーフェイスはボールを重くして、何時ものテニスとは違ってくる。いろんな条件を克服しなければ安定したテニスはできない。今日も46 63のドローで終りにした。どちらにしても納得のいくテニスではなかった。大会の前にいつも考えすぎて迷っている自分がいる。

    東北ベテランの結果がアップされていた。70歳は1シード、2シードが早くも脱落しており3シードが優勝、1シードを2回戦で破った選手が準優勝していた。ぼくもあやかりたい。
    今週から中国ベレランが始まっている。さあ、どんな結果がみられることやら。そして来週から全日本ベテランを目指す人たちの最後の関西ベテランが始まる。じんじをつくして待つのみだ。

    「人間の条件」昨夜からがテレビで放映されている。なつかしい、まさにセピア色の青春時代を思いおこしている。

    自家製のごうやとブルーベリー

    シングルス | 投稿者 ていちゃん 23:49 | コメント(0)| トラックバック(0)

    K氏とシングルス

    日曜日、曇りのち雨。
    K氏と早朝シングルス。近頃土日の早朝は仲間が多くなっている。練習相手が豊富で、そこで腕を磨きたいとの思いがあるようだ。

    ぼくの体調は今のところすこぶるいい。肩も良くなっているし、膝も心配なし、しかしながら戦績は体調に反比例なのだ。いい訳の出来ないのがきつい。昨日もまさかの16 16で敗退。彼のミスが少なかったとはいえ、その内容に不甲斐なく情けなかった。

    失礼ながらK氏には大丈夫だろうと、プレイを開始。ファーストは、サービスキープで42となりたかったのに33と振出にもどり34 44 45 55 65 75となんとかものにする。

    セカンドも接戦で44まで行ったがそこから45 46と押し切られた。55になるチャンス十分あったと思われたのに。
    サービスと左右両手打ちがネックになっているのは確かだ。

    K氏にもこんな負け方をするようでは、先にに灯かりが見えてこない。
    シングルス | 投稿者 ていちゃん 22:12 | コメント(2)| トラックバック(0)

    O氏からのリベンジ

    土曜日、残暑厳しいということか。
    O氏と早朝テニス、先週は63 64と苦しい状況で接戦を征していたので、まさか16 16で負けるとは思いもしなかった。出かけるときM氏よりケイタイが鳴り、長話になって約束の時間を過ぎていった。O氏にケイタイ、ごめん長電話があって今から車をとばすと、気持ちの整理がつかぬまま試合にのぞんだが、それが影響したとは思えない。相手はリベンジに燃えていた。ミスが少なく肩で息をしながらも、けんめいに動いてボールにくらいついていた。こちらはぜんぜん体力を消耗していないのに、ゲームが取れなくて、サービスもおかしくダブルフォールをも肝心なところで犯していた。
    セカンドでの巻き返しを期待したが体は答えてくれなかった。何故か、どこがおかしいのか分からぬままゲームセットとなった。

    不安な関西の一回戦が浮かんでくる。こんなテニスにならなければ良いがと思う。

    明日もう一度お願いしょうと思っていたら、夜、K氏からケイタイがなった。O氏には来週の土曜日20日にお願いして自信をつけさせてもらって、翌日の夜行バスで三ノ宮まで、22日(月)の朝の6時ごろ、そこからバスか電車で甲子園まで行って一回戦を行う予定だ。相手はランキングでぼくより少し下なので力では遜色ないだろう。そんな体調で大丈夫かと問われれば、決めているのでそれで全力を尽くす覚悟は出来ています。
    シングルス | 投稿者 ていちゃん 21:07 | コメント(0)| トラックバック(0)

    優勝祝いかねての会食

    水曜日、晴れ。
    夕方N邸へ、ぼくの優勝かねての会食。タイミングよく独り身のときで助かった。
    優勝したとき、すぐに北信越ベテラン大会へ出かけたので延期になっていたのだ。
    いつものメンバーで回を重ねるごとに心を少しづつ開くことが出来ている。「王様の耳はロバの耳」と古井戸でもあれば、思い切り叫んで心のもやもやを発散したいのに、それもかなわず胸に鬱積している。
    今日も気持ちよくもてなしていただき、最後はカラオケでしめた。「哀愁のカサブランカ」「オネスティ」を見つけたので久しぶりに口ずさんでみた。二つともなつかしい曲だった。
    携帯メールにJOPランキングが送られていた。一つしか上がってなくて少しがっかり、8月末時点ではもっと厳しくなる予感。
    次男よりケイタイ、暑中見舞いに、まりあちゃん誕生のお返しにもらった時計のお礼を書いていたら、それがうれしかったらしい。



    (時計とおじさんからの絵画)
    日記 | 投稿者 ていちゃん 23:13 | コメント(0)| トラックバック(0)

    あーちゃん南の国へ

    火曜日、晴れ晴れ晴れ、猛暑。
    孫たちと南の国へ行くというあーちゃんを飛行場におくる。どうか楽しんできて下さい。当分ひとり身の生活。

    昨夜のHI氏からのケイタイで昼からコートへ出かけた。
    これで三日連続のシングルス。昨日はKO氏が来ていたので最後に1セットお願いした。まだ若くパワーヒッターなので負けて当然、しかしシングルスは、ほとんどやってないのが救いという感じでスタートした。01 02 12 22 23ほぼ24とあきらめていたらイージナハイボレーをネットにしてくれて33。流れが変わって63と勝たせてもらった。バックきたスピンボールに手こずったと教えてくれ、ボレーミスを悔やんだ。

    今日は去年の関西を思いおこす暑さ。父親を亡くして久しぶりのテニスだというHI氏。北信越からもどり土日が2回めぐったのに顔を見なかったので仕事の関係だと解釈していたが、不孝があったのだった。

    風も強い中、不満足のテニスながら41リードしていたが、サービスが駄目になり、悪い癖でリードの安堵感もあったのかもしれない。サービスをブレークされるといっきに44と追いつかれて45となってほぼあきらめていたのに 55 65 75と取ることができた。耐え難い暑さの中、とらぶらないようにと水だけは十分に口にしていたが、セカンドの継続は無理だと判断して10分ほど休憩した。本番ではこんなことは許されない。
    セカンドは終始リードで進んだが、肩で何度息をしたことだろう。コートで少し走り回ると息が上がる。長引くと体が持たないと必死でねばった。62であったが内容はこんなものではなかった。

    こんなテニスでは関西で通用しないとつくづく思う。
    しかし、これが今のぼくのテニスだからしかたがないのだ。
    シングルス | 投稿者 ていちゃん 23:11 | コメント(0)| トラックバック(0)

    好試合に水を差した主審

    日曜日、うす曇。
    今朝早めにやろうと昨日O氏と約束していた。久しぶりだ、ブログで確認すると7月10日の蒸し暑い日に対戦している。44 から46 と負けて、セカンドは03で中止していた。
    おそらく06でやられただろうとなっている。そのとき暑さに弱かった自分を思いだしていた。

    北信越から戻って肩を痛めているのが分かったので、試合どころでなかった。K整形外科に行ったりして、昨日はコンパクトのサービスなら何とか行けそうな気がしたのでO氏にOKをした。次の大会まで2週間と迫っているので、今の状態で何処まで出来るのか試したかった。ドローを思い起こせば無駄な抵抗になるかもしれないが、負は負でも納得のいくものでありたいのだ。

    さて、強風の中、何時ものパターンで試合を開始。リードから33と追いつかれて、嫌なムードが漂ったがそれから63と相手の粘りが途絶えてセットをものにした。セカンドは41リードから追いつかれて44、やばかったが64となんとか逃げ切った。ぼくの粘り勝ちというところだが、彼との試合はいつも厳しい。北信越での壮烈な試合がぼくを奮い立たせる。ケイタイのメインディスプレイにも表示した57 75 64のスコアー。

    ケイタイ

    震災地の花巻東と帝京の試合は接戦の素晴らしい内容だったが、最終回裏の花巻東の攻撃のチャンスに水を差した主審にすっかり興ざめさせられた。再生画像は捕手への送球妨害とは映らなかった。高校野球で主審に抗議している選手を今までに記憶がない。
    それは悪意のなかった証明だ。せめて塁審を呼んで確認すべきだったことだと思う。1点リードの帝京が有利なのは誰しも分かっていたが、あの場面、ワンアウトの後の代打(背番号5)は初球を痛烈なライナーでファーストベースを踏み、そしてピンチランナーが二塁へと盗塁成功して、球状全体が割れんばかりの盛り上がっていたその後、あろうことに主審が下したのだ。走者を1塁に戻してバッターアウト、ツーアウトになった。煮ても焼いても食えないとはこんな人を指すのだろう。
    岩手の人たちはどんな思いだったのだろうかと、心が痛んだ。
    シングルス | 投稿者 ていちゃん 21:49 | コメント(0)| トラックバック(0)

    ジレンマの日々

    土曜日、曇り小雨。予報では曇り晴れなのに、にわか雨になんどもあう。九州の西海上を台風が北上中で予報もあまりあてにならない。

    M氏にねんりん補助金の書類を渡すために、10時頃コートへ出かける。いつもの早朝組みがダブルス、シングルスと楽しんでいた。ぼくは誘われるままにY氏とシングルスワンセットやってみた。心配のサービスはトスを出来るだけ前の方にして、コンパクトなスイングでフラットで打つと、痛みをやわらげることに気がついて、それを実行して、何とかワンセットプレイすることが出来た。
    大会まで2週間、厳しいドローと知りながらも善戦できるように体を調整したいという気持ちは強いが、体調、体力管理は手付かずのまま、日々刻々と時間は過ぎている。

    四国選手権の結果を見ることが出来た。65歳に地元から出ていたK氏は3回戦敗退でB8止まりであった。70歳はノシードのhorii氏が優勝していた。優勝ポイント330Pが付与されればぼくに急接近するか、抜かれるかもしれない。8月には残り3大会(東北、中国、関西)あるので8月31日付けのランキングは予想できないところがある。7月31日付けのランキングでぼくは若干上がるかもしれないが、一過性のもので最終ランキングでは厳しさを覚悟しておかなければならない。
    日記 | 投稿者 ていちゃん 21:53 | コメント(0)| トラックバック(0)

    光陰矢の如し

    金曜日、晴れ。
    いつものように昼からコートへ出かけた。K氏が来ていたのでストロークの練習をお願いする。明日明後日と郵政の全国大会が熊本で開かれるとのこと。パークドームと運動公園の合わせて20数面を使っての規模らしい。

    左肩は可もなければ不可もない。うじうじの状態で、サービスやボレーは怖くて躊躇する。K氏からシングルスを誘われたけど来週まで待ってくださいと断った。やりたいのは山々だがここは辛抱のしどころだ。

    今日がおじさんの葬儀だと聞いていた。日にちがたっているのは何か事情があったのだろう。これで長女だったお袋の連れ添いを含めて健在なのは、次女の叔母さん一人になったが施設で寝たきり意思の疎通はかないそうもない。

    一つの時代が終わっていく。あの終戦の大変な時代を過して来た人たちだ。終戦時、幼稚園に行っていたぼくは、貧しさの思いでは腹いっぱい、人に語られるものではない。
    この叔母さんにも随分お世話になった。小学校の頃、夏休に遊びに行くのが唯一の楽しみだった。男の子が5人いて遊ぶには不自由はしなかった。近くに松林の海岸があり、すぐ側には大きな川もあり、そこの水溜りで泳いだりした。
    母は一番上で女4人男2人の6人きょうだいで、同じ世代のいとこはそこに参集したのだった。

    一番下の妹がおじさんに嫁いで全国を点々としたのち、松戸に落ち着いた。東京にいるということで親戚連中は上京するときは、何かとお世話になっていたのだ。

    先日おじさんがいみじくも口にしたよね。自分たちの結婚に一番先に賛成してくれたのはぼくの母、お袋だったという。突然の言葉にピンとこなかった。おじさんは三井か三池か当時栄えていた会社に勤めていたから、良縁で問題はないと思っていた。
    おじさんの姉妹に知能の低い人がいたことを後で思いだした。そのことがこの良縁と思われる縁談に影を落としていたのかもしれない。半世紀ゆうにたっているのに、ぼくの存在がそのことをおじさんの記憶に宿ったのだろうか。


    おじさんは叔母さんが倒れてから6年余り、献身的に尽くされた。それをぼくなりに思う。
    俺が来るのを待っていると、おじさんは喜々とした思いで毎日通ってたに違いない。二人の気持ちが通じあった、おだやかな歳月が通り過ぎて行ったのだ。おばさんの見舞いに行くごとに表情がすこしづつ失われているようで淋しかった。

    おじさんはおばさんを立派に見送って、その後を追われていったに違いない。


    般若心経
    日記 | 投稿者 ていちゃん 22:07 | コメント(0)| トラックバック(0)

    K整形外科へ

    木曜日、はれ。
    開院9時のところ、8時半に到着すると、駐車場は一杯になっているので驚いた。えらい繁盛なのだ。K整形外科はチャリで10分足らずの新興住宅地の一角に位置している。
    自分の努力だけでは直らない気がしてK整形外科の門を叩くことにした。

    先生は同じテニスクラブ員の一人。軟式グリップでネット際でラケットを上段に構えて扇のようにラケットを操ってのポーチにはみんな泣かされている。とにかく思い切りの良いパワフルなテニスです。

    ぼくの左腕を取って、上下前後左右と動かしながら、UさんのでもHさんのでもないと言う。ぼくのは軽いという意味らしかった。無理をして動かしてもいいのですかと尋ねると、膝の方はじん帯だったから、鍛えることが出来ないが、これはケンだから動かして鍛えたほうが良いと言われた。鍛えることは、しかしどうも心配である。

    二十日過ぎから関西選手権ですと言うと、では注射をうっておきますかと、初めて肩に注射された。そしてロキソニンテープ100mgを出してくれた。

    昼からまた強風の中コートに立つ。痛みを感じないバックの両手打ちを重点的に練習。ほとんど体を動かさなくても1時間以上立ち続けるのは根気が要る。これで練習試合でもして、走り回ったら心臓はぱくぱくで汗は滝のように出るのだろう。どれくらい立ちづづけることが出来るであろうか。肩で息をしながら、足が動かなくなるのが想像できる。

    テレビでは熱中症や心筋梗塞の特集が流れて怖さを喧伝しているので、とても頑張る気にはられない。

    とりあえず左肩の痛みと相談しながら、ならして行くしかない。
    日記 | 投稿者 ていちゃん 22:49 | コメント(0)| トラックバック(0)

    強風下の一人練習

    水曜日、晴れ。
    昼からコートへ。台風で風強く、空には夏の雲があった。6面の屋外コートには人っ子一人いないのは、テニスをしても面白くなさそうな風のせいかもしれない。だけどぼくは炎天下のコートに一時間以上は立ち尽くす訓練をしようと心掛けての二日目のこと、少々の風くらいで中止するわけにはいかない。気温は34度と後で知ったが、風のおかげで汗も少なく、体感温度はそれほど感じられなかったが、家で鏡の前に立つと、顔全体が赤くなっていた。陽には十分焼けているはずなのに、今更赤くなるとはと首をかしげた。

    左肩に違和感がありサービスができなくなっている。北信越では持ちこたえたのに、帰ってきたおかしいことに気がついた。初戦はすごくサービス好調でキープの自信があったのに2回戦、3回戦と思うように入らなかった気がする。そして敗れたQFではサービスにも自信をなくしていた。

    フォアの両手打ちも少し違和感があるので、バックの両手打ちだけをくどく練習してみた。正しいと思っているフィニッシュの位置にラケットがスイングの後に自然と納まるように練習。素振りではうまくいっても、ボールを打つとなればフィニッシュのことは忘れている。体で覚えるまでのは時間がかかりそうだが、意識しだしたことで少しは良くなっていると信じたい。このへんでまだもたもたしているようでは、上手な人とは戦えないとつくづく思う。来年ぐらいまでには何とか克服したい。

    北米大陸を思わせた雲

    我が家の日除けゴーヤ
    ホームコート | 投稿者 ていちゃん 22:10 | コメント(0)| トラックバック(0)

    人の命、運命

    月曜日、曇り 蒸し暑し。
    1日からベテランJOP(ジャパンオフィシャルポイント)の大会が目白押しだ。

    『ベテランJOPランキング規定は、全日本ベテランテニス選手権大会(全日本選手権大会という。)に出場する選手の選考順位の決定、および、その他の競技会における運営の合理化に役立てるとともに、テニス界の発展に貢献することを目的とする。』

    1日から5日まで四国選手権(17ドロー)、8日から14日まで東北選手権(31)、15日から21まで中国選手権(25)、22日から28日まで関西選手権(93)と続いて8月末のランキングで全日本の出場の有無が決定する。

    4大会出ている人は少々、3大会はそれなりに、2大会はかなりいる。1大会の人もすくなからづ、ぼくもその一人。
    この8月の大会がいかに過酷か、いままで嫌というほどつらい体験をしてきた。できたらこの期間は避けたい。暑さに弱いぼくは避けるべきだと、今年になってようやく気づいた。だが九州毎日、九州のB8で、手をこまねいてはおれないのだ。
    6月中旬締切が迫る中、四国、中国、関西と堂々巡りをどれくらい繰り返したことだろう。考えた末に関西一本に決めた。ここで戦ってのポイントが価値があると思えたからだ。しかしランキングがジリジリと下がっているなか冒険ではあった。

    東北、北信越はパソコンで調べてデータを出し本気で検討していたが、やはり費用がかかりそうなのであきらめていた。
    だが北信越の締切の日、ぼくはパソコンに向かって申込をしてしまった。テレビドラマの松本がどんなところか、上高地という景勝地にも魅せられていた。何かに押されるようにくだした決断は、いろんな意味でよかったといえる。

    B8での200ポイントゲットは、関西では無理なポイントだし、そこで思いがけない出会いもあった。

    帰りには上高地を一周して、孫娘の顔を見たさに横浜に出て、翌日、松戸まで叔母さんの仏壇に手を合わせに行くと、タイミングよくおじさんが40日の入院からもどってすぐのところだった。

    病み上がりでいつものおじさんとちがって弱弱しかったが、いろんな話をいろいろ、ながながと話しした。自宅での叔母さんの介護が、どんなに大変であったか、これでは二人とも潰れると、たいまいを払って施設に入れたこと、出来ることは精いっぱいやって来たのだと自問自答しながらも淋しそうだった。
    立派なお墓も作って、一人じゃ淋しいだろうからと祖父母(父母)の写真なども入れたという。アルバムを数冊持ってきて叔母さんの若かりしときから、入院生活、葬儀の写真などをくわしく説明してくれた。
    帰りには叔母さんの形見といって萩焼の急須をぼくは頂き、

    娘婿はおじさんの趣味で描き留めていた絵画の中から、横浜港の赤レンガの絵を頂いて、玄関先で別れの挨拶をしていると、玄関に飾ってあった絵画の説明をしだした。それからマジックを手に取って赤レンガの絵の裏側に、だれそれにと書き、日付と自分の名前を書いて渡してくれた。

    これが最後になるかもしれないと、口ずさんだので、打ち消すように又来ますのでお大事にして下さいと言って門を後にしたのだが、今朝亡くなっていたという知らせがあり何ともいえない気持ちでいる。    合掌。
    日記 | 投稿者 ていちゃん 23:19 | コメント(0)| トラックバック(0)