2007年09月30日
ダブルスの結果
またも準優勝で終わる。50歳代、4チームの総当りで
優勝をかけて2勝0敗どうしがコートに入る。シーソゲームで5-5。6ゲーム先取のルールでサービスは先方。ラブサーテイと先攻したもののサービスブレークできずに敗れる。
優勝をかけて2勝0敗どうしがコートに入る。シーソゲームで5-5。6ゲーム先取のルールでサービスは先方。ラブサーテイと先攻したもののサービスブレークできずに敗れる。
2007年09月29日
明日は県協会のダブル大会
50歳以上にエントリしているのでペアーのO氏と朝から練習。
今年はダブルの試合でいい思いではない。熊谷杯、県選手権は二回戦と最下位、郡部の大会の壮年の部で決勝まで行ったのが最高。
その大会は県大会の予選も兼ねていたのでペアーで地元のI氏は県体選手にえらばれて喜んだ。
おまけに本番の県大会では、決勝まで進み惜敗したそうで試合に出られたI氏の喜びはひとしおであった。
明日の試合は4チームのエントリーで総当りだ。3試合して勝敗を決める。手ごわそうなのが2チーム。
真夏に頑張ったせいかをためしてみよう。
今年はダブルの試合でいい思いではない。熊谷杯、県選手権は二回戦と最下位、郡部の大会の壮年の部で決勝まで行ったのが最高。
その大会は県大会の予選も兼ねていたのでペアーで地元のI氏は県体選手にえらばれて喜んだ。
おまけに本番の県大会では、決勝まで進み惜敗したそうで試合に出られたI氏の喜びはひとしおであった。
明日の試合は4チームのエントリーで総当りだ。3試合して勝敗を決める。手ごわそうなのが2チーム。
真夏に頑張ったせいかをためしてみよう。
2007年09月27日
T氏と運動公園で
シングルス。3-6 1-6で負ける。スポレクの疲れがあったと言い訳はしたくない。オムニコートではクレイコートと比べてミスが少なく、粘り強くつないでくる。両手うちの僕のほうが押し気味で甘く帰ってきたボールを決めにいこうとしてのミスが多かったと思う。バック、フォアーのチャンスのハイボレーのミス。ネット際に落ちた甘いボールを決めようとしてミス。前回のときよりオムニでのストロークは確かによくなっていると思うのだがスコアーが前回とあまれ変わらないのは、決め球のミスが影響していると思われる。そういえばT氏は甘いボールは見逃さずほとんどミスなく決めてくる。
2007年09月26日
青森スポレク及び周辺見物
開会式前日の21日金曜日、朝一番の飛行機で青森11時ごろ着、手配の10人乗りレンタカーで市内の棟方記念館を見学して一路陸奥湾沿い北上する。貝柱会館で一口ではほおばりきれない貝柱二個ずついただく、おいしいと思った。
それから恐山をめだした。険しい山道のアップダウンを繰り返しながらたどり着いたところは、荒涼としただだぴろいところだった。そこには修験者の霊場にふさわしく大きな山門があり、それをくぐると正面奥にはふさわしい地薩殿があった。その左手一体には積み上げられた瓦礫のあちこちで風車が狂おしげにまわっている。強い硫黄の匂いが賽の河原を思わせるにふさわしく漂っていた。
8人を乗せたマイクロバスは時間の都合で薬研温泉入浴は通り過ごしてして本州最北端の町、大間へ。
海辺の大間崎にたどり着いたときは夕闇がせまっており何とか写真だけは撮ってホテルと向かう。
ホテル近くの海鮮居酒屋「海遊亭」で本マグロづくしをご馳走になる。マグロの刺身のおいしさを初めて知った瞬間でもあった。
22日土曜日早朝、散歩する。夕闇だった大間崎へもう一度と、めざしたが行けども行けども海は見えず、時間の経過とともに朝焼けもうすくなってしまった。しかたなく引き返してホテルの反対方向に歩いて漁港にでる。そこにはハの字型に堤防が突き出ておりコンリートの海岸には引き上げられた漁船が数隻、堤防にも漁船が停泊している。右側の堤防を歩いてみようと歩き出すと小屋の前に漁師が五六人海に向かって座っていた。堤防のはるか向こうに大きな客船が目に入る。朝はまだ完全にさめきっていない時刻だ。堤防を歩くと羽を休めているかもめも等間隔で歩き出し、しばらく歩くととびたっていく。
早めにホテルを出て開会式のある新青森県運動公園向かう。式ではオープニングセレモニーやアトラクションを楽しみ、専用のバスでテニス会場の八戸の宿舎へと移動する。
23日日曜日、晴れ 八戸市東運動公園テニスコートで
テニスの開会式が行われその後二つの会場に分かれて試合が始まる。我々は同じ会場で、予選リーグ一試合目は韓国のBチームとの対戦になっていた。挨拶で並ぶと韓国は30,40,50代にたがわない人選らしく平均年齢62歳近いた我チームとは覇気が違う気がした。最初に50代の対戦、我チームの男性は65才代だがJOP65歳代で15位前後の選手で、その力を発揮して接戦をものにしてまず一勝する。
40代は私の出番だ。韓国の選手は男女とも40代そこそこに思えた。パワーもあり上手だった。その上私は自分の力を出せずに、0-3となった。コートチェンジのときベンチにいたA氏から一ゲーム取るよとはっぱをかけられた。
そこで奮起したKさんが自分のサービスをキープして1-3となったがそこまでで1-4で惨敗する。
30代、韓国男子選手は33歳だと後で知る。身長190センチはありそうな長身で四本のサービス練習の折そのボールのスピードに観覧席が驚く。スポレクにしては首を傾げたくなるハイレベルで我30代の選手は完全にほんろうされ0-4でこれも惨敗。結局1-2で負ける。
徳島とは2-1で勝、地元青森Hとは苦戦の上これも2-1で勝つ。
24日月曜日晴れ 決勝トーナメントは第二位グループで初戦は広島との対戦となる。試合前の広島の練習を見ていた。20分間を効率よく配分して密度高い練習に見えた。そして全員がハイレベルにあるとそれを見ていた我チームの数人は同じ思いだったのだ。対戦してみると50代はシーソゲームでタイブレークまでいきものにした。次の40代の選手は鍛え上げた体からのサービス、スマッシュが得意で、一方的にやられるかとあきらめていたとこり3-3となって4-3のチャンスはあったのだがそのまま押し切られ3-5で負ける。40代も0-4と一方的に負け、一回戦で広島に1-2でやられてしまい、スポレクでの戦いは終わりました。
昼からレンタカーで十和田湖方面に足を向けました。
十和田湖国民宿舎泊。
25日火曜日晴れ 十和田湖早朝散歩ーー遊覧船ーー奥入瀬渓流を車窓より眺めながら津軽三味線会館ーー睡蓮沼ーー酸ケ湯温泉入浴ーーねぶたの里見学ーー八甲田山雪中行軍遭難資料館ーー青森空港ーー東京ーーK空港
それから恐山をめだした。険しい山道のアップダウンを繰り返しながらたどり着いたところは、荒涼としただだぴろいところだった。そこには修験者の霊場にふさわしく大きな山門があり、それをくぐると正面奥にはふさわしい地薩殿があった。その左手一体には積み上げられた瓦礫のあちこちで風車が狂おしげにまわっている。強い硫黄の匂いが賽の河原を思わせるにふさわしく漂っていた。
8人を乗せたマイクロバスは時間の都合で薬研温泉入浴は通り過ごしてして本州最北端の町、大間へ。
海辺の大間崎にたどり着いたときは夕闇がせまっており何とか写真だけは撮ってホテルと向かう。
ホテル近くの海鮮居酒屋「海遊亭」で本マグロづくしをご馳走になる。マグロの刺身のおいしさを初めて知った瞬間でもあった。
22日土曜日早朝、散歩する。夕闇だった大間崎へもう一度と、めざしたが行けども行けども海は見えず、時間の経過とともに朝焼けもうすくなってしまった。しかたなく引き返してホテルの反対方向に歩いて漁港にでる。そこにはハの字型に堤防が突き出ておりコンリートの海岸には引き上げられた漁船が数隻、堤防にも漁船が停泊している。右側の堤防を歩いてみようと歩き出すと小屋の前に漁師が五六人海に向かって座っていた。堤防のはるか向こうに大きな客船が目に入る。朝はまだ完全にさめきっていない時刻だ。堤防を歩くと羽を休めているかもめも等間隔で歩き出し、しばらく歩くととびたっていく。
早めにホテルを出て開会式のある新青森県運動公園向かう。式ではオープニングセレモニーやアトラクションを楽しみ、専用のバスでテニス会場の八戸の宿舎へと移動する。
23日日曜日、晴れ 八戸市東運動公園テニスコートで
テニスの開会式が行われその後二つの会場に分かれて試合が始まる。我々は同じ会場で、予選リーグ一試合目は韓国のBチームとの対戦になっていた。挨拶で並ぶと韓国は30,40,50代にたがわない人選らしく平均年齢62歳近いた我チームとは覇気が違う気がした。最初に50代の対戦、我チームの男性は65才代だがJOP65歳代で15位前後の選手で、その力を発揮して接戦をものにしてまず一勝する。
40代は私の出番だ。韓国の選手は男女とも40代そこそこに思えた。パワーもあり上手だった。その上私は自分の力を出せずに、0-3となった。コートチェンジのときベンチにいたA氏から一ゲーム取るよとはっぱをかけられた。
そこで奮起したKさんが自分のサービスをキープして1-3となったがそこまでで1-4で惨敗する。
30代、韓国男子選手は33歳だと後で知る。身長190センチはありそうな長身で四本のサービス練習の折そのボールのスピードに観覧席が驚く。スポレクにしては首を傾げたくなるハイレベルで我30代の選手は完全にほんろうされ0-4でこれも惨敗。結局1-2で負ける。
徳島とは2-1で勝、地元青森Hとは苦戦の上これも2-1で勝つ。
24日月曜日晴れ 決勝トーナメントは第二位グループで初戦は広島との対戦となる。試合前の広島の練習を見ていた。20分間を効率よく配分して密度高い練習に見えた。そして全員がハイレベルにあるとそれを見ていた我チームの数人は同じ思いだったのだ。対戦してみると50代はシーソゲームでタイブレークまでいきものにした。次の40代の選手は鍛え上げた体からのサービス、スマッシュが得意で、一方的にやられるかとあきらめていたとこり3-3となって4-3のチャンスはあったのだがそのまま押し切られ3-5で負ける。40代も0-4と一方的に負け、一回戦で広島に1-2でやられてしまい、スポレクでの戦いは終わりました。
昼からレンタカーで十和田湖方面に足を向けました。
十和田湖国民宿舎泊。
25日火曜日晴れ 十和田湖早朝散歩ーー遊覧船ーー奥入瀬渓流を車窓より眺めながら津軽三味線会館ーー睡蓮沼ーー酸ケ湯温泉入浴ーーねぶたの里見学ーー八甲田山雪中行軍遭難資料館ーー青森空港ーー東京ーーK空港
2007年09月20日
2007年09月19日
ナダルの両手打ちは
ラケットを立ててバックスウィングして、そのままフォワワードスウィングに移行していると思う。ボールの真後ろ少し下から円弧を描いてラケットを鋭く振り出しているのでボールには強烈な順回転がかかりベースライン付近でストンと落ち高くバウンドするのだ。
今日は一人で午前中その練習をする。意識してラケットを立てたまま打って見る。低いボールは腰を落としてもむつかしいが、打ちやすいボールは納得のいく軌道と速さで飛んで行く。午前中真夏の暑さの中頑張る。
昼からうらさんが見えたのでシングルスをお願いする。
練習の打ち方を意識して対戦する。
6-2で勝つことができた。
今日は一人で午前中その練習をする。意識してラケットを立てたまま打って見る。低いボールは腰を落としてもむつかしいが、打ちやすいボールは納得のいく軌道と速さで飛んで行く。午前中真夏の暑さの中頑張る。
昼からうらさんが見えたのでシングルスをお願いする。
練習の打ち方を意識して対戦する。
6-2で勝つことができた。
2007年09月18日
T氏とのシングルスは
ホームコートで対戦。サーフェイスはクレイ。アガシの復刻版モデルになっているラケットで対戦する。
350グラムと重いが両手打ちなので、メインの両手で打つときの重いボールに期待したのだ。
疲れてきたときのサービス、ボレー、スマッシュ等でラケットが非常に重く感じることがあるのだが、先週運動公園オムニコートで2-6 1-6 1-6で負けての反省でそれをも覚悟の上で使ってみることにしたのだ。
ファーストセットは2-2となり、いやな予感がしたのだがそのまま粘りながら進み6-2でものにした。オムにコートでミスの少なかったT氏にミスが目立った。重いラケットの威力も少しあったような気がしたがT氏はクレイコートではほとんどやっていないのでその辺の影響もあったと思う。それでもセカンドは6-1 次のセットは4-6と負けたが
1セットとるのが目標だったので大満足一日でした。
350グラムと重いが両手打ちなので、メインの両手で打つときの重いボールに期待したのだ。
疲れてきたときのサービス、ボレー、スマッシュ等でラケットが非常に重く感じることがあるのだが、先週運動公園オムニコートで2-6 1-6 1-6で負けての反省でそれをも覚悟の上で使ってみることにしたのだ。
ファーストセットは2-2となり、いやな予感がしたのだがそのまま粘りながら進み6-2でものにした。オムにコートでミスの少なかったT氏にミスが目立った。重いラケットの威力も少しあったような気がしたがT氏はクレイコートではほとんどやっていないのでその辺の影響もあったと思う。それでもセカンドは6-1 次のセットは4-6と負けたが
1セットとるのが目標だったので大満足一日でした。
2007年09月17日
2007年09月16日
うらさんとシングルス
九時前携帯が鳴る。うらさんからで、よかったらシングルスどうですかとのこと。T氏との練習試合で両手打ちの自信がぐらついており、全仏のナダルのビデオを見たりして試行錯誤していた所だったので試してみようかと思った。
今、多用しているのはヘッドのかなり旧モデルのTi.Radical重さ320グラム。今日のうらさんとの試合には350グラムのラケット(ヘッドの旧旧モデル再販されたアガシ使用の黄色ぽいフレーム)を使ってみることにする。
350グラムはかなり重く感じるのだが、ボールも重いボールが打てているのではないか、その効果を確かめたいというのが狙いの一つだった。九時半過ぎコートに立つ、いい球が打てていたと思うのだが、決めようとしたあまい球のミスが目立ち2-1から2-2シーソーゲームで4-4。これからいつも勝つケースが多かったので楽観しているとそのまま4-5 4-6と押し切られてしまった。うらさんの足もさることながら、自分のミスの多さに失望する。セカンドを希望したが姫(うらさんの錯覚か)がクラブハウスで待っていると、胸をはって引き上げてしまった。
今、多用しているのはヘッドのかなり旧モデルのTi.Radical重さ320グラム。今日のうらさんとの試合には350グラムのラケット(ヘッドの旧旧モデル再販されたアガシ使用の黄色ぽいフレーム)を使ってみることにする。
350グラムはかなり重く感じるのだが、ボールも重いボールが打てているのではないか、その効果を確かめたいというのが狙いの一つだった。九時半過ぎコートに立つ、いい球が打てていたと思うのだが、決めようとしたあまい球のミスが目立ち2-1から2-2シーソーゲームで4-4。これからいつも勝つケースが多かったので楽観しているとそのまま4-5 4-6と押し切られてしまった。うらさんの足もさることながら、自分のミスの多さに失望する。セカンドを希望したが姫(うらさんの錯覚か)がクラブハウスで待っていると、胸をはって引き上げてしまった。
2007年09月15日
熊谷杯&雲仙国際テニストーナメント
三月下旬、熊谷杯宮崎のシーガイヤテニスクラブ。
JOP対象外の試合だから参加者が少ないと耳にした。
65才Sエントリー八名。二回戦6-4くらいから逆転される。後半足が動かなくなり、先方はフォアーを攻めだしてきた。まだ不安定だった両手うち、その上走らされているからミスが目立はじめ6-8で負ける。ドローを見たときは決勝でH氏と対戦できると思っていたのでがっかりがっくり。
G氏と組んだダブルスも二回戦で敗退する。
八月初旬、雲仙国際テニストーナメント。
いつか出場したいと思っていた大会。山腹の温泉街の中にあり、真夏の暑さを少しは和らげているようだった。
65才SのエントリーはJOP対象外にもかかわらず18名参加で長い伝統をうかがわせた。
二回戦で待望のH氏と対戦する事になった。彼の粘り強い
いやみなテニスは何度か垣間見た事がある。強打はないがいやなところをついてくるのだ。私との対戦もそのとおりに進んだが、必死で抵抗し頑張りキープキープで進み5-4 7-6と二回もリードしたにもかかわらず次のサービスをキープできなかったのだ。そこで体力気力もなくなり7-7 7-8 7-9で負けてしまう。この二つの大会でここ一番の体力脚力気力のなさを痛切に感じる。
JOP対象外の試合だから参加者が少ないと耳にした。
65才Sエントリー八名。二回戦6-4くらいから逆転される。後半足が動かなくなり、先方はフォアーを攻めだしてきた。まだ不安定だった両手うち、その上走らされているからミスが目立はじめ6-8で負ける。ドローを見たときは決勝でH氏と対戦できると思っていたのでがっかりがっくり。
G氏と組んだダブルスも二回戦で敗退する。
八月初旬、雲仙国際テニストーナメント。
いつか出場したいと思っていた大会。山腹の温泉街の中にあり、真夏の暑さを少しは和らげているようだった。
65才SのエントリーはJOP対象外にもかかわらず18名参加で長い伝統をうかがわせた。
二回戦で待望のH氏と対戦する事になった。彼の粘り強い
いやみなテニスは何度か垣間見た事がある。強打はないがいやなところをついてくるのだ。私との対戦もそのとおりに進んだが、必死で抵抗し頑張りキープキープで進み5-4 7-6と二回もリードしたにもかかわらず次のサービスをキープできなかったのだ。そこで体力気力もなくなり7-7 7-8 7-9で負けてしまう。この二つの大会でここ一番の体力脚力気力のなさを痛切に感じる。
2007年09月14日
JOPの実力
jop対象大会でよく顔を合わせるT氏からときどき一緒に練習どうですかと声をかけられたのは、先週、福岡県シニア大会の会場でした。シングルスの練習相手に事欠いていた私にとってまさに渡りに船で即座にお願いしました。
T氏はシード選手でいつもコンスタントの成績をおさめており幸運な出来事でした。
早速、昨日運動公園のオムニコートで初練習しました。
朝の十時から昼間での二時間。すべてT氏が段取りしてくれました。T氏の試合は何度か観戦していたので、少しはいけるかもと意気込んだのですが、手も足も出ずに負けてしまいました。まさに術中にはまるという表現が当たっているかもしれません。3-6 1-6 1-6。
九月発表のJOP65歳代でT氏のランク三十台と飛躍しています。私も二百九十台から百十台とかなりあがりましたがその実力の差を思い知りました。
次回の約束を済ますとシングルポールを小脇に抱えて疲れも見せず帰ろうとするので、ポールを返しに行くのですかとたずねるとこれは自分のもので七つ道具の一つですといったのには感心しきり、さもありなん。
T氏が立ち去った後コートサイドのベンチに座り込みしばらくうつろな時を過ごしました。
T氏はシード選手でいつもコンスタントの成績をおさめており幸運な出来事でした。
早速、昨日運動公園のオムニコートで初練習しました。
朝の十時から昼間での二時間。すべてT氏が段取りしてくれました。T氏の試合は何度か観戦していたので、少しはいけるかもと意気込んだのですが、手も足も出ずに負けてしまいました。まさに術中にはまるという表現が当たっているかもしれません。3-6 1-6 1-6。
九月発表のJOP65歳代でT氏のランク三十台と飛躍しています。私も二百九十台から百十台とかなりあがりましたがその実力の差を思い知りました。
次回の約束を済ますとシングルポールを小脇に抱えて疲れも見せず帰ろうとするので、ポールを返しに行くのですかとたずねるとこれは自分のもので七つ道具の一つですといったのには感心しきり、さもありなん。
T氏が立ち去った後コートサイドのベンチに座り込みしばらくうつろな時を過ごしました。
2007年09月13日
「コメント」をいただき
ありがとうございました。
「たぬ吉さん」には開設の記事を見ていただき、その上励ましのコメントまでいただき、感謝感激でした。つたない文章ですけど続けてみようという意欲をいただきました。今後ともよろしく。
「yukiさん」はテニス仲間。ブログを作って見ましたというと、早速開設祝いのコメントいただきました。
ありがとう。
「ちゃーぼうさん」コメントありがとう。両手打ちに挑戦している仲間がいることを知り嬉しくなりました。日本の女子トッププロで世界に出ているのは左右両手打ちがほとんどです。両手打ちのパワーを密かに身につけて仲間をアット言わせてください。
コメントのお礼の方法が分からないのでこの場を借りました。
「たぬ吉さん」には開設の記事を見ていただき、その上励ましのコメントまでいただき、感謝感激でした。つたない文章ですけど続けてみようという意欲をいただきました。今後ともよろしく。
「yukiさん」はテニス仲間。ブログを作って見ましたというと、早速開設祝いのコメントいただきました。
ありがとう。
「ちゃーぼうさん」コメントありがとう。両手打ちに挑戦している仲間がいることを知り嬉しくなりました。日本の女子トッププロで世界に出ているのは左右両手打ちがほとんどです。両手打ちのパワーを密かに身につけて仲間をアット言わせてください。
コメントのお礼の方法が分からないのでこの場を借りました。
2007年09月12日
一人で練習(エッグボール)
かーちゃんを病院に送ってテニスクラブへ行くとまだ九時過ぎで一番のりだ。携帯が鳴るまでと、一面ある練習用のハードコートにボール籠を持ち込み両手うちの練習をする。
握りを変えずに左右両手うちするのは微妙に違う、打ち方もいろいろとあり試合中どちらにしょうかと迷って自信を失うことがあるので、その辺を確認したかった。
円月に強くラケットを振ればボールに強烈な巡回転がかかり高く舞い上がりベースライン近くで落下して高く跳ね上がる。試合の中で、このボールが二三回相手のバックサイドに入れば、主導権が握れるのだ。
この打ち方を円月殺法と命名したい。
球出ししてくれる人はいないのでボールをコートに軽く叩きつけて、それを打つ。この練習を続けれは少しは自信につながるだろう。
練習二時間くらい、くたびれたところにH君が珍しく顔を出す。田舎の監督権兼県体選手だ。練習相手ぴったしの僕を見つけて近づいてくる。ひざが痛いがどこかよいとこ知りませんかといいながら、ラリーを少しやってからシングルスをやろういう。こちらはシングルスにはまっているので断る理由はない、膝大丈夫なのかなあと思いながら、ワンセットジュースありは始まった。一ゲーム二ゲームジュースで落とすと、そのままずるずると0-5となってしまった。
団子じゃなんといわれるか分からないと奮起し1-5となってほっとした。2-5 3-5 となったところで携帯が鳴った。わかったすぐ行くと切ったのだが、彼は僕をやっつけてくれない。とうとう5-5となったので引き分けにしょうと握手を求めると。引き分けじゃないとう。正解です。
握りを変えずに左右両手うちするのは微妙に違う、打ち方もいろいろとあり試合中どちらにしょうかと迷って自信を失うことがあるので、その辺を確認したかった。
円月に強くラケットを振ればボールに強烈な巡回転がかかり高く舞い上がりベースライン近くで落下して高く跳ね上がる。試合の中で、このボールが二三回相手のバックサイドに入れば、主導権が握れるのだ。
この打ち方を円月殺法と命名したい。
球出ししてくれる人はいないのでボールをコートに軽く叩きつけて、それを打つ。この練習を続けれは少しは自信につながるだろう。
練習二時間くらい、くたびれたところにH君が珍しく顔を出す。田舎の監督権兼県体選手だ。練習相手ぴったしの僕を見つけて近づいてくる。ひざが痛いがどこかよいとこ知りませんかといいながら、ラリーを少しやってからシングルスをやろういう。こちらはシングルスにはまっているので断る理由はない、膝大丈夫なのかなあと思いながら、ワンセットジュースありは始まった。一ゲーム二ゲームジュースで落とすと、そのままずるずると0-5となってしまった。
団子じゃなんといわれるか分からないと奮起し1-5となってほっとした。2-5 3-5 となったところで携帯が鳴った。わかったすぐ行くと切ったのだが、彼は僕をやっつけてくれない。とうとう5-5となったので引き分けにしょうと握手を求めると。引き分けじゃないとう。正解です。
2007年09月11日
練習のお相手
クラブのメンバー特にのおばさん達の練習日が火曜日と金曜日と決まっているらしい。コーチのいるグループと、そうでない人たちとの二つのグループに別れひる頃までミニラリーから始まりボレー、ストローク等と汗を流す。
テニスが仕事のようになっている人たちが多いので、練習は熱がこもっている。昼食をクラブハウスでだべりながらすませると昼からは練習試合だ。シングルス シングルスとこの頃声を大にして、そしてシングルスばかり力を入れだしたのでちょぴりムードに変化が現れ始めた。シングルスをはじめだしたのだ。
ストロークの練習にもなるし脚力もつくし、いつでもコートの空いている環境なのだからこれを見逃す手はないと思う。シングルスできるときはシングルスをやろうというのが持論である。
テニスが仕事のようになっている人たちが多いので、練習は熱がこもっている。昼食をクラブハウスでだべりながらすませると昼からは練習試合だ。シングルス シングルスとこの頃声を大にして、そしてシングルスばかり力を入れだしたのでちょぴりムードに変化が現れ始めた。シングルスをはじめだしたのだ。
ストロークの練習にもなるし脚力もつくし、いつでもコートの空いている環境なのだからこれを見逃す手はないと思う。シングルスできるときはシングルスをやろうというのが持論である。
2007年09月10日
月曜日は
テニスクラブは休み。体を休養させよう。
小さな庭の芝を刈り雑草をとっていると片隅のブロックに羽を痛めたアゲハ蝶がひっそり羽を休めているのが目に付いた。精一杯舞ってきたんだよね、きっと。
小さな庭の芝を刈り雑草をとっていると片隅のブロックに羽を痛めたアゲハ蝶がひっそり羽を休めているのが目に付いた。精一杯舞ってきたんだよね、きっと。
2007年09月09日
ホームグランドは
クレイコートが八面ある。ときどき吹く強風に表面の砂や土がもって行かれ、テープのラインが浮いたところがあり、オンラインはすべてエースとなっているクラブである。 九時からO氏と約束しシングルワンセット。3-6で負ける。昨日敗れたOK氏を見習い懸命にボールを追ったつもりだったが左右の両手打ちに迷いがあってうまく返すことができなかった。
携帯がかかっていた。私を負かしたOK氏は出できておらず、第二シードが不戦勝で決勝に、左側の第四シードの携帯主は第一シードにあしらわれたらしく、明日の決勝は第一シードと第二シードの顔合わせらしい。
携帯がかかっていた。私を負かしたOK氏は出できておらず、第二シードが不戦勝で決勝に、左側の第四シードの携帯主は第一シードにあしらわれたらしく、明日の決勝は第一シードと第二シードの顔合わせらしい。
2007年09月08日
二回戦は
春の大会初戦1-8で負けた人。その人はその後、夏の大きな大会で優勝されていたのでびっくりしていたところに、また対戦できるのは光栄であった。頑張ったつもりだったが2-6 1-6で敗れる。こうも歯が立たないのは何でだろうと漫才のギャグが頭をよぎる。予測がよくて足が速く、その上手首をきかせたすばやいスイングのパッシングが非常に上手で、浅くてあまいボールでも入れると高い確率で決めてしまう。その正確さに舌を巻く。もう少し善戦したかった。
課題の多く残る一日でした。
課題の多く残る一日でした。
2007年09月07日
福岡県ベテランテニス秋大会
六月の春大会では一回戦1-8であれよあれよという間にやられてしまった。小柄な方で見た目は何とかなりそうに見えたのに、前後左右に振られ、とにかく隙間を狙い確実に入れてくる。完敗。参りましたと握手した。あまりにも完敗に悔しさはなかったが、四月の九州毎日にも初戦負けだったので
自信はかなり揺らいでいた。後日ネットで見るとその方が優勝していたので嬉しかったの覚えている。
11時過ぎコートにいる。スリーセットでスリーセット目はタイブレーク。オムニの室内コート。相手の方は大柄でランクは90台、それは実力のバロメータなのだ。サービスキープを先攻され厳しい試合内容。3-4 からブレーク4-4 5-4 6-4で苦しみながらもフアーストセットをものにする。セカンドは4-4で長いジュースを気力でもぎ取り5-4。次のサービスゲームをキープして6-4でやっと勝つことができた。正直嬉しかった。時間は二時間近く過ぎていた。ベンチで汗を拭きながら二階の観覧席を見上げると
佐賀のYさんが腕を突き出しVの字を作り笑顔で祝福してくれていた。
自信はかなり揺らいでいた。後日ネットで見るとその方が優勝していたので嬉しかったの覚えている。
11時過ぎコートにいる。スリーセットでスリーセット目はタイブレーク。オムニの室内コート。相手の方は大柄でランクは90台、それは実力のバロメータなのだ。サービスキープを先攻され厳しい試合内容。3-4 からブレーク4-4 5-4 6-4で苦しみながらもフアーストセットをものにする。セカンドは4-4で長いジュースを気力でもぎ取り5-4。次のサービスゲームをキープして6-4でやっと勝つことができた。正直嬉しかった。時間は二時間近く過ぎていた。ベンチで汗を拭きながら二階の観覧席を見上げると
佐賀のYさんが腕を突き出しVの字を作り笑顔で祝福してくれていた。
2007年09月06日
とまどいながらも
ブログにも挑戦することにしました。この瞬間、初めてパラグライダーで離陸した時のことを思い出しました。
佐賀での全日本ローン選手権大会に出場したいというのが目的で日本テニス協会のベテランアマチュア選手に登録しましたが、昨年の大会である程度のポイントがなければ出られないと知りました。そこで今年はJOP対象試合に出てポイントを稼ぎウインブルゾンを目指そうと春先から八月の盆まで対象試合に出て頑張りましたが、九州毎日 一回戦敗退、福岡県ベテランオープン 一回戦敗退、九州選手権二回戦wo負け、中国選手権二回戦敗退という結果で終わりました。
スリーセットで戦うコツも体力も技術も劣る事を実感した
シーズンでした。真夏の暑さにも閉口しました。
最新のポイントは週末に発表されるそうですが、枠の少ないウインブルゾンはむつかしい気がしております。
ちなみに7月6日付 ランク292/364 ポイント2
65歳代
佐賀での全日本ローン選手権大会に出場したいというのが目的で日本テニス協会のベテランアマチュア選手に登録しましたが、昨年の大会である程度のポイントがなければ出られないと知りました。そこで今年はJOP対象試合に出てポイントを稼ぎウインブルゾンを目指そうと春先から八月の盆まで対象試合に出て頑張りましたが、九州毎日 一回戦敗退、福岡県ベテランオープン 一回戦敗退、九州選手権二回戦wo負け、中国選手権二回戦敗退という結果で終わりました。
スリーセットで戦うコツも体力も技術も劣る事を実感した
シーズンでした。真夏の暑さにも閉口しました。
最新のポイントは週末に発表されるそうですが、枠の少ないウインブルゾンはむつかしい気がしております。
ちなみに7月6日付 ランク292/364 ポイント2
65歳代