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シニアテニス両手打ちでの挑戦記 60歳代半ばにしてエルボーをこじらせ片手では打てなくなりバック、フォアーとも両手打ちに替えての試行錯誤、全日本ベテランテニス選手権出場目指してのつれづれ。

ていちゃん
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    雨チャリでの苦行

    木曜日、曇り雨。新聞での今日の天気は「30日は気圧の谷の影響で雲が多いが時折晴れ間が広がる所も。日差しの下では紫外線が非常に強い。・・・・・」それでぼくは城南のコートへ2回目のチャリでの決行を思い立っていた。

    しかし、出かけようとチャリの番号合わせのキーを開錠を試みるが上手くいかない。あーちゃんのチャリが一昨日盗まれた。いつも2台玄関先の駐車場に置いているのだが、にわか雨が降ってしばらくして、あーちゃんが自転車がないとうろたえる。
    JRからの帰り道の一つになっている我が家の前の道、たぶんにわか雨に合って誰か乗って行ったんだろうと言う。以前にも同じ目に合ってしばらくは真面目に施錠していたのだが。昨日、自転車は警察に届けたあと、駅前の医院に行くと側の薬局の前に在ったらしい。女性用の自転車を子供たちが乗り捨てて行ったので、おかしいと保管していたという。

    さすがに、ぼくのおんぼろチャリには手をださなかったのは、賢い奴らだとは思いながらも、いちようチェーン錠をしたのはいいのだが、番号が合わない。余裕をもって出かけようとしたのに、リミットの時間に迫ったので車にと思っていたら開錠できた。これが運命の分かれ道。

    慌てて飛び乗る。90分なら行けたはずだと思いながら。曇天でまさか本格的に近い雨が降るとは思いもしなかった。
    帰り道は小雨の中、大変な目に合いながらもようやく帰り着いた。風呂を沸かして体を温めてテレビの前に座ると、M氏からメールが届く。「今日はありがとうございました。帰路の雨、案じておりました。ご無事でしょうか、風邪など召
    されぬよう祈ります。御船温泉経由で3時間帰宅 M」
    「ありがとうございます。今日は参りました。ようやく東バイパス中間のリンガーハットまでたどり着き腹ごしらえ、外へ出ると雨雨雨。気力を振り絞ってチャリにまたがる。
    三ノ宮から武蔵塚の登りは地獄でしたがギアを落として何とかたどり着きました。・・・・・・・。」

    M氏と組んだダブルスは2勝と44雨での中止。

    全仏2回戦、期待の錦織はセット11で雨で中止。再開後40でまたも中止。再再開61で3セットを奪いセット21で現在4セット目進行中。相手は初相手のランキング50台のゼムラ。


    (江津湖でのレガッタ)
    日記 | 投稿者 ていちゃん 23:25 | コメント(0)| トラックバック(0)

    香春神社

    木曜日、はれ。
    城南コートの日。チャリで行ったのは何時だったか。ダブルスの練習でM氏と連絡を取り行くことにした。体は正直だ、今日はチャリで行こうと言わなかった。齢のせいか疲労が抜けていないのだ。車で走りあらためて確認すると距離20キロ、50分弱。来月初旬の九州選手権に向けて、M氏と組んでダブルス3セット。2勝1敗。
    シングルスのドローは厳しそうだ。ダメなときはダブルスにかけたいという思いは強い。どじょうはいるかな?

    北九州からの帰りは小倉からまっすぐ南に下りてぼくの心のふるさと田川の香春町をカーナビに指示した。道は通りもすくなく整備されていて車はすいすいと走ったのだが、曇天で肝心の香春岳は姿は全く見えなかった。セメント会社に削りとられ更地のようになっていた一の岳、ぼくが住んでいたころはまだ山の体はなしていたのは、父が残してくれた写真でわかる。
    炭坑節に歌われた「ひと山~ふた山~み山~こえーよいよい」は香春岳の一の岳、二の岳、三の岳と聞いたことがある。ずいぶん昔の話。
    昔住んでいた面影を残す路地、車一台やっと通れる道幅をゆるゆる進んでいくと、住んでいた家と幼稚園の友の家が隣、小学校を左に見て進むと記憶に残る香春神社が左手にある。車の置き場もない。参道もない道際に立っている鳥居、道際に車をとめて本殿まで登って見た。何十年ぶりかもわからない。大きな岩は記憶にある。古ぼけた本殿には人影は見当たらなかった。赤い袴をつけた巫女さんをを期待していたのに、こんなに静かだったのかなあとおもった。

    道際の鳥居の前での写真がある。鳥居を背にして右際に右から母、兄、姉、そして3歳か4歳のぼく。シャッターを握っていた父は写っていない。どんな気持ちで父はいたのであろうか、まもなく病で亡くなり、ぼくたちは路頭に迷う羽目になった。ほんの終戦の前のことであった。
    あれからうん十年、訪れてみると神社は創建一千三百年祭を11月に行うという。
    香春岳より落ちてきた岩は昭和14年とある。ぼくもその年、近くで生を受けたのだ。神話の時代ならいざ知らず、昭和の時代の出来事とは信じがたい。
    昭和の激動の時代が通り過ぎた後に、僕の生まれた界隈はひっそりとあまり姿を変えずに生き残っていた。

    香春神社
    (香春神社)

    岩

    説明書き


    日記 | 投稿者 ていちゃん 23:14 | コメント(0)| トラックバック(0)

    思いもよらぬ北九州T 70単複制覇

    日曜日、小雨。
    とうとう最終日まで来てしまった。朝から降雨、テニスは出来るのか、雨天時各コートで確認と要項にあるので博多から車を走らせた。初日は北九州の友人宅からコートへ出かけた。二日目も是非にと言われたが甘えもほどほど、約束のところがあるからと謝辞していた。

    天神の都市高速道から乗り九州道から八幡で右折れして北九州都市高速に、足立ランプで舞い降り信号を右へハンドルを切ると、まもなく競輪ドーム、野球場などの一角に三萩野テニスコートがある。時間にして1時間余。

    試合開始は10時10分の予定で9時半ごろ到着するとしょぼふる雨の中、コートからは若者の熱気のある声が聞こえてきた。やはりやっているのだ。
    20分遅れの10時30分に6番コートへ入った。雨は小康状態でにっこり、ダブルスのパートではあったが75から舞い降り70をかく乱している選手なのだ。70を代表して負けられないという気持ちがあった。昨日の決勝ダブルスでのよたよたを見ていたので、行けるだろうと思っていたが、試合はやってみなければ、またダブルスとはちがう。

    ファーストは思惑通りに進んでいた。52とリードしたのだ。思った通りだとはやる気持ちを抑えていた。だが相手もさるものでボールを散らしてぼくのミスを誘い54と追い上げてきてぼくのサービス、55からの逆転負けのよぎりを振り払うかのように、ぼくは積極的に攻めた。するとラブゲームでものにして64でファーストを取ることが出来た。ほんとにほっとした。
    セカンドになるとまた小雨がまた降り出す、もう少し待ってと言いたかった。でもテニスに支障をきたすほどでもなかった。だがコートは十二分の水分。
    出だしはせっていたが34とブレークされると35、そしてぼくのサービス。15/40で開き直った。タイブレークでの戦い方を考えながらプレイしていた。あやういサービスをブレークし45とせまり、55に限りなく近づいたが振り切られセカンドを落とした。

    スーパータオブレークは覚悟をしていた。ここでもつばぜり合いの接戦が中盤まで続いた。腰を落として必死にボールに食いつらい、積極的にネットをでた。バックのスライスでクロスに2回ほどかっこよく抜かれたが、めげずにネットを取ろうとする姿勢を貫いた。

    中盤1ポイントリードしながら進んでポンポンとポイントを取って86 87 97。ツーマッチポイントを取っていた、が、それでもネットに出て99と追いつかれた。それからぼくは必死に走り回った。10 9 10 10 11 10 12 10。並んでからはぼくが先行してまたもやタイブレークを制したのだ。
    小雨降る中荷物を片付けていると次の試合の女性二人がやってきた。よく走っていましたねと関心の表情でいう。側から見ていてもそうだったのだ。優勝者一覧に自分の名前、単複を刻みたい、70の意地のなせるものであったと思う。

    彼が75ダブルスのランキングNO1は確認して出かけたが、シングルスは未確認だった。家に戻ってパソコンを開くと何とランキング2位とあったのでびっくりした。



    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 22:43 | コメント(5)| トラックバック(0)

    いったい何が

    シングルス準決勝は3セット目スーパータイブレークを戦っていた。序盤2ポイントリード行けそうだとはやったが、追い付かれリードを許してしまった。必死に走り回り放つショットはなかなかボイントに繋がらず、相手の際どいショットはセーフ、ぼくはアウト、流れは完全に相手の掌中にあって、気がつけば69と相手のマッチボイントになっていた。ついに負ける瞬間がきたのだと諦めていた。
    ディフェンディングチャンピオンである今日の相手には、昨年の九州毎日、2回戦で戦っていた。1回戦ファイナルまで長時間戦い、疲労困憊していたが2回戦闘う体力気力は残されていると思っていた。ところが終わって見れば06 26くらいで負けてショックを受けた。口ほどもなく、たいしたあれじゃないねと知らしめた気がしていた。
    まちにまっていたリベンジのチャンスで、ぼくはファーストを62でいとも簡単にとり、今日は勝てるに違いないと思いながら、脳裏にいけないことを思い浮かべいた。
    セカンドになると開き直った相手は前に出るのを中心にボールを散らしはじめた。33からサービスをブレークされると34となると反撃出来ずにずるずる36とやられた。
    確かに相手はぼくの弱点を攻め、対応出来ずジリジリと後退りしていた。
    最後の一球はぼくのサービスだった。それをキープ79。そして相手のサービス2本で決まるだろうと観念してた。相手に細工をされないように思い切り両手をフルことを心掛けていると、5ポイント連取、気がつけば11-9で勝っていた。

    1時間もせずして始まったダブルスの決勝戦、相手は1シードを倒したペア、こちらはシングルスをファイナルまで戦いようやく勝利したよたよたペア。ファーストはよたよたと26で落とし諦めかけたが力を振り絞り頑張っていると63でセカンドが取れ、スーパータイブレークは接戦の末10-7と取りかろうじて、薄氷の勝利が転がり込んできた。この2つの勝利は何だろうね。ぼくは腕を組み首をかしげ考え込んでいる。


    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 22:17 | コメント(4)| トラックバック(0)

    KKSテニストーナメント

    昨年、風邪をこじらせデフォしてしまった北九州テニストーナメントは歴史があり、優秀な選手を輩出していたことを、手にしたブロクラムの最後を飾る優勝者一覧表でしることができた。ブロクラムの立派さにも驚いた。第一回は昭和29年、そして今年、平成25年は60回という節目の年だそうで記念品ももらった。ぼくは偶然にも青春の甘酸っぱい思い出の残る土地、紫川からほど遠くない三萩野のコート、あの時代コートの存在はおぼれげにあったがテニスとの関わりを持つなんて夢想だにもしなかったし、できなかった。
    このよわい、このよなかたちでコートに立つことができるのを、不思議な気持ちでいた。うなぎの寝床のように横一列12面、数えていると首が痛くなり、歴史を彷彿させるものがあった。
    一日目、昨日はシングルはBYE、ダブルスの一回戦セット20で勝利。今日はシングルのクォーターファイナル、ダブルスのセミファイナルが行われた。
    9時から行われたシングルの初戦は6162、ダブルスはファースト46で落とし弱気になったが62でセカンドをものにするとファイナルはスーパータイブレークへと突入。終始先攻して107で明日のファイナルへ駒を進めることができた。問題はシングル第二シードとのセミファイナルだ。
    全力を尽くしてぶっかるしかない。

    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 21:56 | コメント(0)| トラックバック(0)

    大会迫ってくる

    月曜日、晴れ。
    ベテランJOPランキング、土日が挟まったせいか13日今日オンされていた。シングルスはほぼ同じ120位近く、ダブルスは16下がって40位台の半ば。昨年優勝した九州毎日のポイントが消えたからやむをえないが、出ておればよかったと頭をかすめたこともあるがせんないこと。シングルスに徹しようと決めての結果なのだ。しかし、2回戦でもろくも敗退。ベテランJOPに挑戦始めた頃と同じように1,2回戦敗退を繰り返しランキングもその当時と同じく低迷している。
    今週、エントリーしている北九州での大会(グレードF)でどれだけの成績を残せるか、不安と期待とがある。

    来月初旬には九州選手権、これには単複エントリーしている。この2大会の結果で今季の成績を押しはかることが出来そうだ。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    マスターズ大会であるムチュア・マドリッド・オープン男子(スペイン/マドリッド、レッドクレー)はシングルス決勝戦が行われ、第5シードのR・ナダル(スペイン)が第15シードのS・ワウリンカ(スイス)を6-2, 6-4のストレートで下し、見事優勝を飾った。ナダルは左膝の故障から復帰後、これで7大会に出場し5勝目を飾った。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ナダルが完全復活した。今月下旬より行われるナダル得意の赤土での大会、全仏が待ち遠しい。

    nadaru

     庭の草花
    日記 | 投稿者 ていちゃん 22:21 | コメント(2)| トラックバック(0)

    K壮会定期大会

    12日、日曜日 母の日。
    あーちゃんを高速バス停まで送ろうと時間つぶしにテレビの前に座っていたら、突然ケイタイのアラームが鳴り始めた。何があったのかとケイタイを覗くとK壮会、運動公園とデスプレイに表示されていた。ぼくはすっかり忘れていた。カレンダーに登録してアラームをの設定を心がけていたが、救われたのだ。1時間前だから十分に間に合う、バス停に行くのを断って慌てて準備をした。
    夏を思わせる晴天のテニス日和、9時集合の運動公園ABコートへ行くと受付に人盛り、今日も盛況だ。今日は新会員6名が紹介されて男女98名の参加だった。

    松A13名はAコートの3・4番コートで、いつもの通りダブルススライド方式の各4試合で個人の順位を争う。

    今日は初戦63で勝ち2試合目も接戦を65で制していけるかなーともくろんでいたら、3試合目を36で負けてしまって優勝の目は閉ざされた。しかし観戦していると各ゲームとも熱戦、接戦が展開されており星のつぶし合いの形相に、3勝にも目がありそうな期待を抱かせていた。一人の3連勝MY氏は4試合目34と負けていたが44 45 55 65と6ゲーム先取を逆転でもぎ取り1位となった。2位は3勝のYM氏、賞のない3位に3勝のぼくがいた。このごろこんなケースが続いている。
    でも勝敗を抜きにして、それぞれ4人のパートナーと楽しくひと時を過ごすごとが出来た。

    期待のアンドゥハルはナダルに0646と敗れており、がっかり。負けてももっと苦しめてほしかった。

    Aコート組合せ表
    草トー | 投稿者 ていちゃん 22:21 | コメント(0)| トラックバック(0)

    アンドゥハルの思い

    土曜日、曇り。
    KA氏に錦織、フェデラーを破る報を早朝携帯メールして、四国選手権は残念お疲れでしたと、よかったらフェデラー戦、ガオラでの録画をお願いしたが、いつもすぐの返事が今日までないので心配になってケイタイすると元気そうでほっとする。

    ついでに、錦織はどうだったですかと尋ねると言っていいですかねと言う。負けたのだ。昨夜ガオラ見たという。ストレートで負けたという。
    WO(主催者推薦)で出場したスペインのアンドゥハルは1回戦で10シードのチリッチを67(6)6462で退け2回戦では米国のNO1とおぼしきイーズナー、2メーターゆうのビックサーバーを6464で勝利しての4回戦に登場だった。フェデラーを破って勢いにのる錦織、百位台の選手には負けないだろうとは思ってみたものの、記憶の中で錦織がいつも接戦を演じるチリッチにイーズナーをも破った選手だからあなどれないだろうとは、どこかにあった。

    負け元のフェデラーには体当たりで行けただろうが、百位台の選手には絶対負けられない、勝たなければならないという、プレッシャーがあっただろうとか、そんな憶測ばかりをしていたが、アンドゥハル、アンドゥハルどこかで聞いたことのある名前だと不安な予感がしたので、パソコンで顔を写真の探しだし、彼なら、さもありなんと思い出していた。

    四大大会は録画して、名勝負は残しているのだが、赤土の全仏でナダルとの大熱戦しているのが記憶の底にあった。あまりの熱戦に2回ほど見ていたのだからほぼ間違いはないが、ハードをつなぎ直して探すと、2011年の全仏での戦いであった。録画しているのは7563と2セットナダルがリードの3セットからだっだ。
    ガンガンと打たれ続けて、どちらがナダルあと勘違いする展開で51とアンドゥハルがリード、彼のサービスも40/0で4セット間違いなしと選手も観客もその時点では思ったに違いない。だが40/30となって線審のジャッジミスからおかしくなって行った。ジュースを気が遠くなるほど続けてナダルがブレークして52、55になるまでに、8回ほどのセットポイントがアンドゥハルにあったはずなのだが、不思議と決まらず、それでもアンドゥハルは思い切りの良いショットで攻め続け観衆を味方につけてのプレー姿は潔くかっこよかったが、6566とタイブレークとなってしまった。ナダルが51でチェンジコートしたときは、そこで決まりと思われたが、アンドゥハルの強烈なショットがそこから炸裂して3ポイント連取して54、次のポイントもアンドゥハルのクロスへの強烈なショットで、ナダルはコート遠くに追い出されて空きコートへ入れさえすれば決まっただろうに、コートに詰めていたアンドゥハルはドロップショットを選び、ぎこちなくネットしてしまった。ひきったアンドゥハルの顔、観客のどよめき。そこで勝負の緊張が一瞬途絶えた。55になればまた勝機がと思われたが、6474でナダルが勝利した。決勝ではフェデラーと対戦して優勝したはずだ。3セットだけで2時間余り費やしていた。その時スペインという国は選手層が厚いなあとつくづく思ったものだ。

    その後ほとんど見聞する事もなく、忘れかけていた。
    身長175センチ、27歳、外国の選手にしては小柄だが、
    昨年のランキングが40位台ををキープしていた選手。

    アンドゥハルの目的は錦織を倒してナダルへのリベンジにあったかもしれない。
    日記 | 投稿者 ていちゃん 23:52 | コメント(0)| トラックバック(0)

    錦織圭、フェデラーを破る殊勲

    金曜日、深夜。

    『テニスのマドリード・オープンは9日、マドリードで行われ、男子シングルス3回戦で第14シードの錦織圭が世界ランキング2位で第2シードのロジャー・フェデラーを6―4、1―6、6―2で破り、準々決勝に進んだ。
     錦織はこれまで1度だけフェデラーと対戦。2011年11月のスイス室内決勝ではストレートで敗れていた。』

    太平の眠りを覚ます蒸気船・・・・・。全然関係ないが、このいっぱい、この1勝はテニス界を揺るがす、すごい出来事。

    錦織に続けと頑張っている日本の選手たちよ、目を覚ましてほしい。

    nishikori





    日記 | 投稿者 ていちゃん 02:56 | コメント(0)| トラックバック(0)

    チャリダーをめだして

    木曜日、晴れ。
    先日、BSだったそうだが『チャリダー』という自転車で遠乗りする番組を拝見した。今急速に高まるスポーツバイクうんぬんと。そんな人たちをチャリダーと呼ぶらしい。
    タレントの初心者がチャリダーに伴われての富士山の絶景、西伊豆28キロを走破する。番組に刺激されて城南のコートまでの20キロ余りは無理だとあきらめていたが、むらむらとくるものがあった。
    来月初旬に行われる九州選手権でのダブルスのお手合わせをそろそろと考えていた。M氏にメールを送ると今日はコートへ顔を出すとの返事。

    庭の草花
    (庭の草花)
    ぼくは朝からテニス用のリックにラケットを二本と着替え等最低限のものをいれて準備。後輪がブレの現象、前輪のブレーキ、締め上げたらシューがブレーキを掛けるとしばらく摩擦音がするという代物のチャリに不安な眼差しをかけながら、いちようチェーンに油をさして気を紛らした。
    途中、江津湖の側にあるテニスクラブまでは40分あまりで行くのでそれから50分と、1時間半想定して9時半に家を出る。
    江津湖まではバイパスをひたすらくだって行く。若干の上りはあるが車道を走っていけばわりかし順調だ。今日は信号に引っ掛かりかなりロスとゆっくり目の走りをの影響か、少し遅れてテニスコート際までたどり着いた。

    江津湖
    (江津湖)
    ここまでで10キロ余りのはず。それから直進して、江津湖の橋を渡り右に下りると田園地帯で歩道のない車道、車でいっぱいいっぱいの直進の道がエル字型に延々と続く、車に接近されると避けようもないが、車も少なく相手が避けてくれる。ようやく一般道にでて左折してしばらく行くと緑川を渡る。そこにはゆったりとした歩道が用意されていて、ゆっくりと平坦なところをしばらく行くと、大きな信号があり左側に曲がると坂道がずっとコートまで続くのだ。下半身はかなりの疲労をうったえ、ロウロウギアで喘ぎ喘ぎ登っていった。左に曲がるとコートまでのめどが付つところまでたどりつき、そこで道路わきの日陰に腰を下ろしてしばらく休憩。水と甘いものを口に入れた。時間はまだ残されていた。

    城南コート
    (城南コート)
    ダブルスを2試合と半分、パートナーに迷惑をかけたかもしれないが、なんとかんテニスにはなった。

    緑川
    (緑川)
    帰りはさすがに体は重く、来た道順を黙々とたどってペダルを踏んだ。江津湖の植物園際の橋の中腹の石のベンチに、ようやくたどり着いて石のようにへたり込んだ。もっていた飲食物のほとんど胃袋にいれてしばらく放心していた。

    白い花

    東バイパスの車道をローギアでひたすらもくもく、もくもくとペダルを踏む。阿蘇路の三ノ宮からの一段のの登りをあえぎながら、ホームコート際の真昼に行ったら到底食べられないラーメン屋を思い出した。ホームコート際の急な坂道には抗しきれず、チャリを押した。ホームコートでトイレに行き、ラーメン屋にたどり着くと予想通り席は空いていた。キムチを小皿におう盛で二皿、こってりしたラーメンを食べ終えると満腹になっていた。
    ようやく家にたどり着き、風呂を沸かしてテレビの前に座り込むと、パタンキューとなっていた。
    大過なくやり終えた気はしたが、足腰に違和感若干ある。
    明日は雨天とのこと、何とか癒えるかもしれない。
    日記 | 投稿者 ていちゃん 02:12 | コメント(0)| トラックバック(0)

    錦織圭とフェデラーの対戦は如何に

    水曜日、晴れ。
    マスターズ大会であるムチュア・マドリッド・オープン男子(スペイン/マドリッド、レッドクレー)での2回戦、錦織圭はトロイキ(セルビア)に75 62のストレートで勝利して3回戦は待望のフェデラーと対戦するという。

    トロイキには厳しいと思っていた。確か一昨年のジャパンオープンの初戦でトロイキの強烈なサービスに苦しみストレートで敗れたのが記憶にある。その大会でトロイキは勝ち上がりナダルをあと一歩まで追い詰めことを思い出す。

    同じ年だったか、セルビア対フランスのデ杯の決勝戦、2勝2敗で優勝決める最後の試合にトロイキは急きょ起用されて、期待に答えて初優勝をセルビアのもたらす立役者となった。選手たちは約束通りの頭を坊主にして喜びを露わにしていたのも印象深い。

    それから2年余り、トロイキはランキングを落として、錦織は力を着実につけているので、当然の結果と言えるのだが。

    いつだったか錦織がジョコビッチを破りフェデラーとファイナルで戦い、ストレート負けを喫していた大会があった。
    錦織の試合前の弱気な発言を、何かの対談でマイケル・チャンが苦言を呈して、錦織が苦笑いしていたのも思い出す。

    今度こそはそのことを思い出し、勝ち負けは別として、納得できる試合を見せてくれそうな気がしている。ガオラがないのは残念だ。



    日記 | 投稿者 ていちゃん 23:17 | コメント(0)| トラックバック(0)

    k県テニス選手権男子単ファイナル

    日曜日、子供の日。
    五月晴れといいたいが、黄砂とおぼしき空もようもの中、江津湖河畔にあるテニスコートへチャリで出かけた。きのうの今日であるからにしてテニスは休む覚悟をしたら、今日一般男子単の残りが行われることを思い出し、急いで準備して久しぶり遠出をした。
    行きはくだりですいすいとばすと9時半少し前に到着したが、コートには人の気配がない。心配しながらクラブハウスの奥に行き尋ねると、30分から男子単の準決勝を行うという。

    ぼくの予感は当たってうまい具合に準決と決勝を観戦することが出来た。ベスト4に残っていた4名は銀行マン二人と高校生が二人、どうし討ちをして銀行マンと高校生の決勝対決となったが、最後には社会人が面目を保った。ぼくが期待していた左右両手打ちの高校生が残っていて決勝に進み、じっくりと見ることができた。
    K県のNO1を決める大会で、決勝戦も8ゲームでは物足りなかった。3セットマッチで決すればさもありなんと納得できたであろうに。見る人も選手にも。



    男子単ドロー
    日記 | 投稿者 ていちゃん 21:56 | コメント(0)| トラックバック(0)

    体調、昨年の轍を踏まないように

    土曜日、晴れ。みどりの日。
    憲法記念日、みどりの日、子供の日と続く。
    昨日O氏と早朝シングルスをやりましょか、となって楽しみに床に就いたが、夜中に目が覚めて体調の異変を感じた。体が汗っぽく、厚着のズボンと上着を脱いで布団にくるまると今度は肌寒く感じ出した。うとうとするがなかなか眠れず朝も来ない。早起きして真冬のいでたちで居間の暖房をつけて、早めの朝食、食パンを焼いたりして準備、腹ごしらえすると少し落ち着きを取り戻した。鼻水少しは出るがバロメーターである喉の異常は感じない、一様嗽をしてルルを3錠、毎朝の錠剤と一緒に水で流し込んだ。

    少し早目と思いながら約束の8時半にホームコートへ滑り込むと、シングルポールを立て、コート脇で待機しているO氏が見についた。条件はすべて整っていた。後はぼくの出来如何だと、ぼくも戦闘モードに切り替わっていた。
    近頃勝った記憶がないし、善戦の記憶も定かでないが、なんとかしたいという気持ちで高まっていた。このごろ緩めのテンションでのラケットを使って感触が良いので、もしかしたらという淡い期待をもにじませていた。

    1ゲーム目は接戦を制して10。しめしめこれでだんごは無くなったと軽口をたたいたが、それから1ゲームを取れずにゲームセットになってしまった。今までの戦歴からいって、あたりまえの現実を突きつけられていた。

    昨年は5月の連休明けから風邪をこじらせ、2か月間棒にふったので、怠りないつもりでいたが寒暖の激しい昨今、ぼくの疲労困憊気味の体は、危険信号ゾーンにあった。
    ぼくはシングルスが終わるとさっさと帰途に着いた。こんなことは初めてだ、このまま居座るとヤバイよと体が叫んでいた気がする。

    家でテニスの録画を見る。1992の全米準決勝戦、マイケル・チャンVSエドバーグ。エドバーグは徹底したサービスアンドネットで、今ではほとんど見られないスタイル。5セットと戦ってファイナルを逆転してエドバーグが決勝に駒を進めた。
    それからほぼ10年後の2002の全仏で29歳のマイケル・チャンVS19歳のロデック。デビューしたてロデックと熟年のマイケル・チャン。若さみなぎるロデックがパワーで勝利する。

    庭花ー1

    花ー2
    日記 | 投稿者 ていちゃん 23:33 | コメント(0)| トラックバック(0)

    K県テニス選手権 初回のE1ベテランJOP

    金曜日晴れ。憲法記念日、今日から連休後半が始まるとマスコミは言うが、毎日が日曜日のぼくたちには別世界の出来事。
    ブログしばらく休んでいる、ほぼ毎日のときは義務みたいに食後パソコンの前に座り、ああでもないこうでもないと時間を費やしていた。いったん中止するとずるずると行ってしまうし、意欲も減退していたのは確かだ。
    日記だと思い頑張ってみよう、年月流れ去り懐かしく思ったりしたのはぼくなのだ。

    4月の下旬から5月の連休まで休日を利用して、恒例のK県テニス選手権大会が開催中だ。4月末の27日からの3連休にはベテランを中心にした試合が運動公園CDコートで行われた。今年からはベテランをベテランJOP対象大会にしたとのことで、県外それも関東関西、九州とエントリーした選手が10名近くいたのには驚いた。
    ドローは大会が始まってから四五日してようやくHPにオンされたのをようやく見てそれを知った。ぼくの知人が神奈川から夫婦で参戦するのでやきもきしていた。いろいろ問題点が散見されて、対応のまずさに赤面の思いだった。

    27日土曜日に男子45歳、女子40のに試合が行われて旦那は初戦敗退、奥さん決勝まで進んだのが救いだったが惜しくも敗れた。
    60歳男子はホームコートの仲間が決勝戦で戦い、IS氏が優勝、HI氏が準優勝だった。いつも二人で練習しているが、練習通りの結果に見えた。
    28日は60歳ダブルスにホームコートの仲間がいたので出かけたが、仲間同士の戦いにもろくも敗れて、すこしがっかりした。29日は55歳、65歳のシングルスが行われた。55歳にはいつもシングルスを鍛えてもらっているKA氏と同じくホームのIS氏が出ていた。

    KA氏の初戦の相手は、前日60歳で対戦したHI氏が2個くらいでやっつけていたので、大丈夫に違いないと見ていると、03とリードされて、首をかしげていると中盤追いつき1ゲームリードで終盤になりそのまま振り切るのを期待していると、77と追いつかれて79で惜しく敗れた。なぐさめの言葉に困った。65歳は県内でベテランJOPを渡り歩いている一人のKN氏と神奈川から参戦のKS氏だった。KN氏は彼には負けたことがないが油断は出来ないと話したが、その通りになってしまった。

    KN氏が30とリードしたので、大丈夫かと思っていたが追いつかれてから、ミスが目立ち始めて58で敗れた。はるばる遠征してきたKN氏に花を持たせた結果で終わった。



    (40歳女子決勝)



    (55歳男子)
    日記 | 投稿者 ていちゃん 20:59 | コメント(0)| トラックバック(0)