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シニアテニス両手打ちでの挑戦記 60歳代半ばにしてエルボーをこじらせ片手では打てなくなりバック、フォアーとも両手打ちに替えての試行錯誤、全日本ベテランテニス選手権出場目指してのつれづれ。

ていちゃん
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    終日喪に服す

    新しいブログへ移行しています。

    長い間、ありがとうございました。


    土曜日、晴れ。 あーちゃんは朝から歩こう会に出かけて、夕方までひとりだった。今日はコートへ行く気にならなかった。 さだちゃんの急逝の報にはじくじたる思いもあった。今日は夕方の通夜まで家で喪にふくそう。 新聞の報告欄に「都山流尺八演奏会 日時・9月29日13時開演 場所・市男女共同参画センター、主催 日本尺八連盟熊本支部 入場料 無料」をスクラップしてから「日本尺八連盟」のパソコンで調べた。 こんな団体があったとは知らなかった。中尾都山の宗家が牛耳っていると思っていたが、改革開放の波があったのだろうか。

    久しぶり一週間ほど前尺八取り出してよく見ると、かすかにひび割れているのに気がついた。あーぼくと同じようによる齢に竹もかなわないのだ。けしていい音色は出してくれなかったけど、尺八はこれ1本しかない。音が少しは悪かろうとたまには吹いて見たい。ぼくはビニールテープで二か所力一杯巻き付けていた。

    ぼくはその尺八を取り出して、うん十年前の確か「吾子恋慕」(あこれいぼ)?の薄汚れた譜面を取り出し、さだちゃんを頭に置いて吹いていた。まともな音はでなかった。ひび割れのせいにしたかったが、長いこと手にしてなかったから当然のことだった。でも吹き続けた。親が子を慕うのも、子が親を慕うのも同じだろう。

    その内少し音が出だしたが、吹けば吹くほどかすれ出し曲の大事なよくようはなくなっていた。音は満足に出なくてもおかげで暗譜するほどになっていた。

    会社に遅刻すまいと電車の前を走って横切り、車と衝突して死んでしまった同好会の会長の愛息。東大卒の入社まもない将来を約束された御曹司だったかもしれない。その会長の思いを察して作られたのが「吾子恋慕」だった。九州では、いや全国区だったかもしれない九州在住で親交のあった筝曲の先生の作曲だった。
    日記 | 投稿者 ていちゃん 22:56 | コメント(0) | トラックバック(0)

    テニス仲間の訃報

    金曜日、晴れ。風穏やかで、陽ざしもまあまあ秋の気配。

    HG氏から四五日前メールが届いてよかったら9時からお願いしますとあった。低血圧のぼく、早朝は動きが鈍く苦手なのだが、いたし方なく出かけた。エルボーで左ひじは痛いし腰痛などで満身創痍なのだがテーピングなどで何とか持ちこたえている。いつもは苦戦しているのに、2セット運よく何とか勝たせてもらった、ラッキーといえよう。終わって久しぶり屋内で好敵手と男ダブルスを一つしてシャワーを浴びた。昼は例のラーメン屋でキムチをしこたまバリバリと食べ、それから近くの整体で体を癒す。

    横浜のTUCHI氏から「祝優勝」と遅まきながらメールが届いた。自分らも11月から始まるグラスコートベテラン(35歳から55)に出場するとあつた。

    訃報あり。さだちゃん(さだこさん)が亡くなったと携帯が鳴ったのでびっくり。聞き間違いかと再確認した。昨日もクラブハウスで姿を見かけた気がしている。体調が悪いらしくテニスも控えめにしていたのは散見していた。大きな病院、日赤なんかで見てもらったらと話したのは2か月なるだろうか。そのつもりでいたようなのでフォローはしていないが、診てもらったのは間違いないはず、それなのに唐突のこの知らせには、もっとやさしい言葉をかけてやっていればと、後悔がのこる。自慢の息子が東京で工藤なんとかという歌手のバックバンドのドラマーでテレビ放送があるときは知らせてくれたりした。旦那とは早く死に別れて、人のいいやさしい人だったと語っていたのを思い出す。今頃は旦那さんと逢っているのだろうか。合掌。
    日記 | 投稿者 ていちゃん 22:43 | コメント(0) | トラックバック(0)

    墓参り

    水曜日、晴れ。明日からちょっぴり気温が下がるそうだ。

    次男が墓参りに行きたいという。8月の盆にその話を持ち出したので、お盆にはお墓はからっぽだから、気候が良くなってからでどうかと、忘れることを期待したのだが、彼岸になると日にちを指定してどうですかと言う、それが今日だった。
    みずから墓参りしたいというのは殊勝な心がけで、親としては感心すべきことであろうとじくじたる思いもあった。

    周防灘に面した片田舎。車で7時半に出発して墓地に到着すると12時になっていた。父親と息子とは無口なもので、車の中でもしばらく沈黙が続いていがその内息子がいろいろ質問してきた。そういえばぼくのルーツなどはほとんど話していないことにようやく気がついた。厄年になろうとする息子、子供も二人出来てそんなことを考えていたのかもしれない。

    ぼくはいつの間にか饒舌になって一生懸命話し出していた。
    とりあえず通りすがりにあるぼくの生誕地、むかし石炭、セメントで栄えた町、香春岳のふもとの屋敷跡に案内した。なぜぼくの父親がこんな田舎町で写真館を営んだのか、その父が終戦の年に亡くなり、追い立てられるようにして墓のある田舎に戻り、そこで祖父の持っていた土地の一角に小さな家を建て、2反ほどの畑と、見よう見まねでの写真で、親子4人生き延びてきたことなど、時間は十分にあったので知る限りを車の中で話していた。

    幼児の時何度か連れて行ってはいたが、記憶は朧のようで様変わりした風景と、むかしのたたずまいを残している場所を案内したりして、何軒かの親戚にも訪れた。

    帰りは有料道路、高速を最大限に利用したつもりだが3時間かかっていた。
    日記 | 投稿者 ていちゃん 22:24 | コメント(0) | トラックバック(0)

    最初と最後で

    月曜日、秋分の日。ホームコートイベントの為出来ず。

    昨年、全日本ベテランが終わった時、こんなブログを投稿していた。
    ・・・・・・・・・・・・・・・
    お疲れさまでした。
    今、Kさんと反省会をしています。
    一年間本当にお世話になりました。
    ありがとうございました。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・
    昨夜、ぼくが夜行バスで熟睡しているころ、M氏から上記のメールが届いていた。ぼくは夜行バスに飛び乗ってとりあえずM氏に携帯した。「何とか間に合いました。」と伝えると安堵の声が聞こえた。それから二人で遅くまで飲みあかしたらしい。ぼくは昼ごろ気づいて返信した。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    こちらこそ大変お世話になりました。
    4月から組んでいただき3試合(大会)に出ただけで
    全日本ベテラン出場の栄誉を獲得、感謝しています。
    その上待望の一勝を勝ち取り言うことはありません。
    ありがとうございました。
    来年はシングルスでの出場を目指して頑張ってみます。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    その通りに今年はシングルスでの全日本出場を目指そうと心に決めていた。
    九州でしょっぱなにあるDの大会、九州毎日はシングルスのみにエントリーした。
    1回戦はダブルスで対戦したことのある広島のT氏に641676(5)と3時間半におよぶ激戦を何とか必死でものにすることが出来た。2回戦はB4まで勝あがった、今年から70の関西のU氏だった。キャリアーは詳しくなかったが、ネットで調べると コンスタントに上位に顔を出しているのを確認していた。
    フォアーが得意らしくバックも確実にスライスでつないできた。
    ぼくはついて行けずにミスが多かったに違いない。1636のストレートで敗れていた。シングルスで頑張ろうなんて、毎年70歳のニューフェイスが誕生するのだ。ニューフェイスには上手な人がいそうだし、実際たくさんいた。もう70での全日本ベテランシングルスは手の届かない遠くに思えていた。

    6月の九州選手権にはお願いしてまたM氏とダブルにもエントリーしていた。昨年のグラスベテランで得た178P、全日本ベテランの240Pの計418Pは今年の全日本ベテランにまるまる適用されるのだ。どこかのD以上の大会で優勝でもすればダブルスは全日本につながるとお願いした。
    九州選手権、シングルス1回戦は新顔の勝てそうな相手に576446で負け、ダブルス、昨年病でぶざまな負け方をしていたが、今年も運がなくファイナルの末、際どく敗退していた。

    どじょうを探し求めて中国選手権に出かけたが、ここでは決勝戦でまたも際どく負けて、全日本ベテランの出場は微妙になっていた。

    9月初旬に発表された新しいランキングでダブルスは絶望的であることを悟っていた。
    そこでグラスコートベテランにその思いをぶっつけようと誓っていたが、それが果たされたのだ。
    思い起こせば昨春初めてのダブルスで優勝、M氏はシングルスでも優勝。

    そして最後となったグラスコートベテランでも同じ単複優勝で終わった。

     新ブログへ移行中


    日記 | 投稿者 ていちゃん 21:30 | コメント(0) | トラックバック(0)

    ダブルスの軌跡-2

    日曜日、晴れ。昨日どうよう暑い。
    今日も昼前にコートへ出かけてダブルス2セット楽しんで昼過ぎ帰途。暑さのせいか空きコート普段より多し。

    さて、昨年の全日本ベテラン大会ではダブルスにエントリーすることができた。10月1日、近くの高速バス停から名古屋へ向かう。翌早朝には名古屋駅に到着して東山公園テニスセンターには朝から行われるシングルスに十分間に合う時間に到着できる。

    パートナーM氏の回戦は6362と楽勝する、しかし13時予定のダブルスが始まったのは15時を大きき回っていた。

    相手の一人はシングルス1シードの選手で厳しい。胸を借りてみようという気持ちでコートに立った。ところがファースト63で取りもしやと期待するとセカンドは26で簡単にやられた。
    やっぱりさすがだと思ったがファイナルを逆に26で取り勝ってしまっていた。ナイターが点灯していた。

    『ファイナルで力の差を見せ付けられるのかと、観念していた。ベンチに座ると2コート先の通路を75才の仲間が勝利の証の名札とボールの入った袋を提げて足取りも軽く本部に向かっているのが見えた、勝ったのか。
    ぼくたちには限りなく遠くの出来事に見えたのを思い出す。』(ブログのコメントより)


    翌日のM氏のシングルス2回戦はを4646で落として、二人にはダブルス2回戦が残されていた。昨日と同じ時間帯で行われた2回戦、相手は強敵だとM氏がそれとなくつぶやいたのを耳にした。
    スマッシュ、サービスと一人は強かったがファーストは接戦で75で運よく取ったという思いだった。セカンドになると相手は一段とギアを上げた感じで、深いボレーに鋭いスマッシュ、サービスと圧倒されて3626と負けてしまった。肝心なところでのぼくのサービスやミスが主な敗因であった。
    相手は結局ファイナルで敗れていた。強かったのだ。
    日記 | 投稿者 ていちゃん 22:24 | コメント(0) | トラックバック(0)

    ダブルスの足取りー1

    土曜日、晴れ、風もなく真夏日に近し。
    午前中コートで1時間半、ストロークとワンセットだったが暑さに閉口、近くのラーメン屋で補給して帰る。

    さて、初めてのダブルスが昨春の九州毎日選手権だった。シングルスは二回戦でもろくも破れて、まだダブルスが残されているとほっとしたのを覚えている。ダブルスはその日の午後1回戦が行われ614661で勝利、翌日のセミファイナルも6362で勝利して翌々日がファイナルだった。パートナーのM氏はシングルスも勝残っていた。ファイナルは6264優勝をはたし、そしてM氏は翌日、シングルスでも優勝して単複のファイナリストになっていた。

    6月の初旬に行われた九州選手権では1ケ月以上風邪をこじらせていて体調は戻らず、シングルスはデフォしてダブルスにかけたが半病人では勝てるはずもなかった。初戦敗退。
    そこで8月初旬に行われる中国選手権に単複エントリしていた。

    体調が完全にもどっていないぼくには、灼熱の炎天下に思えた周南庭球場だった。シングルスの1回戦、セット11でファイナルはリタイヤーした。今にも痙攣の来そうなふくらはぎ、続行しても体力の消耗といつ襲われるかわからない痙攣の恐怖で、ダブルスのことを考えれなくても適切な判断だった。大会関係者がやって来ていろいろ質問したが、適切な勇気ある決断と褒めてくれた。体を木陰で休めていると、けいれん止めの漢方薬を持ってきてくれた人がいたりした。

    しばらくしてダブルスの1回戦が始まった。心配していたがファーストは60と取り、楽勝かと思いきやセカンドになると急に体が動かなくなり26と落として流れは変わっていた。ファイナルは10ポイントのスーパータイブレーク。

    『悪い流れを引きずっての10ポイントのタイブレークに突入、ぼくはここでもゆっくりトイレ休憩を取り少しでも回復を期待していた。
    タイブレークは接戦ながら相手優位に進行、66でのぼくの二つミスで68。決めようとしてコントトールができなかった。足がよろけていたに違いない。致命傷に思えた。いろんなことがよぎっていたが、しかしM氏の頑張リで持ち直した。88 98。
    だがマッチポイントをぼくがまたミスり99。しかし、そこから 10 9 11 9まさに薄氷を踏む勝利が待っていた。シングルスのリタイアがむくわれたのだ。』(ブログより)

    2回戦は1シードを6276(4)で破り、ファイナルでは76(4)62で破り優勝することが出来た。M氏ダブルスB4。

    九州毎日と中国選手権の優勝で全日本ベテランのダブルスへ駒を進めることが出来た。もちろんM氏はシングルスでも。

    今日はこの辺で
              新ブログ移行中
    日記 | 投稿者 ていちゃん 22:47 | コメント(0) | トラックバック(0)

    障子の張り替え

    木曜日、晴れ。
    午前中、小窓用の障子を2枚張り替える。障子紙はあったので糊を買いに100円ショプヘ行き、パソコンで要領を調べて。霧吹きがなかったので外へ出て水を口に含んで霧散させたつもりが、どかっと大きな水滴が破れんばかりに障子にへばりつくいた。心配しながらそれでも何とか2枚午前中に終わらせて、立て込むと何も知らぬあーちゃんはほめてくれた。

    今年のベテランJOPの挑戦は終わった。ぼくは10月初旬に行われる全日本ベテランのダブルスを目標にしていたがあと一歩でかなわなかった。先週おこなられたグラスコートベテラン(C)では、強がりを言ってはみたが、まさかの優勝をはたして520ポイントを獲得した。この2割でもM氏に加算できればOKだった。読みが浅かったと言えばそれまでだが、少し悔いは残る。
    ぼくは来年から75に挑戦することになるので、M氏とのペアーは解消することになる。思えば体力がないので単複は出ずシングルスに専念すると言い張っていたぼくに、ダブルスに出ましょうと声を掛けてくれたのは実績のあるM氏。せっかく声を掛けてくれたのだ一回だけ出てみよう。それが昨春の九州毎日選手権だった。

    今日はここまでにしておこう。

    新ブログへ移行中

    日記 | 投稿者 ていちゃん 21:38 | コメント(0) | トラックバック(0)

    M氏単複優勝 グラスコートベテラン

    金曜日、昨日より蒸し暑し。
    10時過ぎに到着して、70シングルス決勝戦が行われていたセンターコートへ直行した。
    試合は中盤で1ゲームリードしていたので、このまま進むのかとみていると、直ぐにサービスをブレークされたりで、どうなるか心配されたが終盤踏ん張り75ファーストをものにしたが、セカンドになるなると逆の展開で終盤相手の逆襲をくらい57で落とした。M氏の様子に変化が見えた。ボールを追っていなかったし、相手のショットも切れていた。

    ファイナル、相手のサービス簡単にキープされて心配した。
    ぼくはまともに見られなくなって、物陰からこそっと推移を見守っていた。M氏のサービス落としたらヤバイとみていると元気を取り戻したかのようにキープした。11。終盤1ゲームリードしたところでM氏の顔の見えるところに陣取り拍手をおくった。どちらが勝ってもおかしくない試合であったが、最後はM氏の執念が勝って64取り。75 57 64でM氏の優勝となった。試合時間は3時間に迫り、蒸し暑い炎天下の中、二人は全精力を使い尽くしたかに見えた。お疲れ様、勝ちたいという執念には見ているものに感動を与えてくれました。
    決勝戦が終わるとコート横に赤い絨毯らしきものを敷き、優勝のセレモニーが簡単に執り行われた。

    M氏のスタミナには恐れ入る。9日(月)10日(火)シングルス3セット、11日(水)Sー3セットD-2セット12日(木)S-2D-2 13日(金)S-3D-2。五日間でSー13セット D-6セット

    ダブルスのファイナルはセンターコートの空きをまった。
    女子65歳のシングルスがファイナルへと突入して、試合が始まったのは3時を大きく回っていた気がする。

    ファイナルはチェアーアンパイヤーが付くので今までの試合とは異なる雰囲気となる。格式のある試合をやっているという気持ちになる。

    M氏は本音はなかなか言わない。心配させたくないという思いやりに、こちらは騙されてしまう。動きたくないほど疲れていたに違いないが、弱音は吐かずにダブルスのファイナルは痛々しく頑張った。ボールをかなり集められたが、ぼくにボールを集めても無駄だよというプレーに相手も戸惑っていた。
    試合内容はけっこう拮抗していたと思うが結果は61 62でぼくらが勝利してウイナーとなることが出来た。

    M氏とのダブルス2年間の最後は優勝という形で締めくくることが出て二人で喜びを分かち合った。

    二人
    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 23:49 | コメント(3) | トラックバック(0)

    M氏単MS氏複ファイナルへ

    木曜日、晴れ。雲は多かったが温度は30度オーバーしていたはず。
    8時に家を出て植木インターに向かうと通勤ラッシュは解消され順調に植木インターから乗ることが出来た。今日は南関インターから下りてグラスコート佐賀へと向かったが八女インターとほとんど差がないことが分かった。

    70シングルスのセミファイナルは1シード2シードを破った福岡勢は姿を消して6シードのA氏とダブルスパートナーの7シードM氏が明日の決勝の舞台へ進むこととなった。

    M氏のシングルス、到着してコートへ行くと42でリードしていたので、シメシメと思っていたらそれから挽回されて45、相手のセットポイントはあったと思うが何とかしのぎ55 65 75とようやくものにした。セカンドはM氏のペースで進み勝利。

    今日は昼前にシングルスが終わり、ダブルスのセミファイナルは13時過ぎにクラブハウス真下の1番コートで行われた。相手は1シードを破り意気上がる福岡のOOペアーだった。出来るならば下の山と対戦したかったと二人で話し合ったことだ。

    相手の一人、若かりし頃からのツイストサービスをかたくなに守っている選手で、最初にサービス。簡単にキープされて10。チェンジコートしてぼくのサービス、ジュース繰り返しの挙句に何とかキープできて正直ホッとした。11。キープされて12。チェンジしてM氏のサービスブレークされて13。サービスキープされて14。その時さすがだと思った。スキがなかった。

    チェンジしてぼくのサービスキープして42。ぼくのサービスは昨日の練習を反映して好調そのものだった。首の皮は何とかつながっていた。そこで相手のサービスをブレークでき43。
    チェンジしてM氏キープして44と並ぶ。ツイストキープして45。チェンジしてぼく難なくキープして55。ここで相手のサービスをブレークしたと思う。無我夢中でやっていると56でM氏のサービングフォーセットになっていたのだ。

    セットポイントはぼくの苦肉のロビングがベースラインにきわどかった。アウトと手を上げそうになったのをツイストは収めた。そのフェアープレイに頭が下がった。アウトと言われても仕方がないと感じていた。大事な大事なセットポイントだったにもかかわらず。

    5分間のヒートタイム休憩に入った。真後ろから小声でぼくの名前を呼ぶ人がいた。振り返ると親父さんだった。何か一言励ましてくれる声が聞こえた。
    セカンドはファーストと同じでツイストから始まった。ここでも簡単にキープされ01。チェンジしてぼくがキープ11。ブレークして21。チェンジしてM氏キープして31。ツイストブレークして41。チェンジしてぼくキープして51。勝利は掌中にある気がした。

    相手の二人は後ろに下がりぼそぼそ作戦会議を始めた。後ろに下がったり、ロブを続けたりしだした。

    キープされて52。チェンジしてM氏ブレークされて53。ツイストのサービス。30 0とリードを許していた。
    54でぼくのサービングマッチの可能性が頭によぎる。ぼくはまた試されるに違いない。ところが30 30とばん回したのだ。M氏が1ポイント取り40 30。マッチポイントはぼくのレシーブに回ってきていた。
    ぼくは相手の浅いロブがサービスライン近くに来たのをバックのハイボレーでセンターに向けて打つと、またもベースラインぎりぎりに落ち相手の二人は見送っていた。

    その瞬間ぼくたちの勝利が確定したのだ。ネット越しにぼくたちの健闘を認めてくれたかのように力強い握手をしてくれた。トップ選手二人の、見本になるようなマナーがうれしく気持ちよかった。

    75シングルス決勝戦、仲間のF氏はサービスで40 0で42のチャンスを逸すとそのまま行ってしまった。セカンドも相手のペースで準優勝に終わっていた。

    古田氏

    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 23:11 | コメント(2) | トラックバック(0)

    ダブルス 初戦突破のグラスベテラン

    水曜日、今日も厳しい陽射し。

    八女インターで下りるとグラスコート佐賀までは1時間、10時過ぎに着いて試合を観戦、70歳シングルスは波乱が起きていた。1シードが昨日初戦で敗退していたし、そして今日2シードが敗れた。勝者は二人とも九州勢、福岡県の人。
    パートーナーで7シードのM氏は4シードを3時間半の激戦を耐えれ勝利した。

    10時に開始され終わったのは13時半、それから1時間くらいの休憩を取って、ダブルスが始まったのは3時近くなっていただろうか、待ちコートがなかなか終わらずセンターコートに変更になる。
    相手は1回戦勝ち上がってきた地元のテニス仲間のペアーだった。話によると相手のペアーの一人がシングルスで体力消耗していたから勝てたようだと、話してくれた。
    ファーストは簡単に取られて(06)相手は安心したのか、シングルスの疲れか、急にもたもたしだしたそうだ。セカンドを63でばん回し、ファイナルは04と先行されていたらしいが、それから巻き返して64で勝ったようだ。油断大敵うさぎさんだね。

    ぼくたちの試合が例のセンターコートで始まる。

    ファースト、相手にサービスをやれば良かったものを、練習の成果を試したいと意気込んだが、いつものように相手にやれば良かったと悔やんだ。だがすぐにブレークしてファースト62 セカンド61と競った割にはスコアーはぼくたちに味方していた。

    待望の初戦はクリアー。初戦敗退のポイントは16ポイントだが初戦突破でベスト4になり254ポイントゲットできた。
    これは大きいのだ。
    明日はセミファイナル。パートナーのM氏は明日も単複をこなさなければならない。M氏の体を心配する。

    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 22:26 | コメント(0) | トラックバック(0)