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シニアテニス両手打ちでの挑戦記 60歳代半ばにしてエルボーをこじらせ片手では打てなくなりバック、フォアーとも両手打ちに替えての試行錯誤、全日本ベテランテニス選手権出場目指してのつれづれ。

ていちゃん
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    平家物語

    土曜日、曇りから小雨。
    早朝散歩しているとK氏からケイタイ、風邪を引いたからシングルスは無理だとのことで、内心ほっとしていた。
    昨日、(JOP)Fの大会にエントリーしているというH氏と、試合に合わせて8ゲームを2セットやったのだが、両方ともに接戦で3セット以上の内容で疲労困憊、K氏とのシングルス大丈夫かなと頭をめぐらしていた矢先だった。これで今日は体を休めた。終日家で過ごす。

    NHK大河ドラマ『平清盛』も終盤に来ているが、撮影はすべて終わり視聴率は最悪だという。衣装や舞台装置、俳優などにはかなりのぜいをつくしているとうかがえるが、物語の内容を知らなければ分かりずらい。
    そして登場人物が多くなればなるほど、ますます分からなくなっていく。ぼくはほとんど見ていたし、少しは知っているつもりで見ていたけれど分かりずらいところが多くいやになったりした。
    それで遅まきながら本棚を探すと「平家物語」を見つけ出した。あーちゃんが若かりし頃買った本だとのこと。
    「平家物語」(中山義秀訳)カラー版日本文学全集 昭和42年11月25日 初版発行 となっている。
    小さな活字なので拡大鏡で必死に追い、テレビドラマの追いつこうとしている昨今です。

    2007年10月のブログを読み返す。
    日記 | 投稿者 ていちゃん 21:57 | コメント(0)| トラックバック(0)

    たぬ吉さんのこと

    木曜日、晴れ。
    昨日は70うんさいの誕生日、近くの居酒屋から誕生日プレゼント3000円の食事券のメールが携帯に入っていたので孫一人入れての4人で出かける。歳月人を待たず。

    ベテランJOPの大会には来春まで冬眠するのでブログの題材も乏しくなるし、ブログもおっくうになっているこのごろです。
    ところが、「ドラマー」のブログになつかしい人からコメントをいただいていておりびっくり、「たぬ吉」さんとあった。
    わすれもしない5年前の2007.9.6日「とまどいながらも」の題ではじめてブログを恐る恐るオンしたとき、コメントもらったのがたぬ吉さんだった。あの時の感激は忘れない。
    見る人もいないだろうと思っていた矢先にコメントがあったのだ。
    ________________
    toshioさん、はじめまして。
    toshioさんの挑戦に感動してます。
    私は、まだまだ小さい大会にしか出た事ありませんが
    勝利する事は、とても大変な事だと思います。
    私の会社の上司も60代の方いますがテニスなんてとんでもない!
    って感じですよ。
    応援してます。がんばってください。

    投稿者 たぬ吉 2007/09/06 12:58
    _________________

    その当時はコメントの返答の方法も知らずに大変失礼した。yukiさんより方法を教わったりしたど素人だった。

    その「たぬ吉」さんが時々でも見守ってくれていたとは素直にうれしい。ブログを続けていると、こんなこともあるのだなあと、新たな気持ちが湧いてきています。

    もっと上を目指して、そしてブログも頑張ってみようと。
    日記 | 投稿者 ていちゃん 21:32 | コメント(2)| トラックバック(0)

    ドラマー

    日曜日、晴れ。
    午前中ではっ水剤をメインの壁にローラがけほぼ終了。やれやれ。ヤバイところはいちよう今回は命ずなを付けてみたりした。テニスができる体力を残して、少しずつやれば問題ないことが分かる。今年はやる要領も良くなってきた気がする。

    それで昼からコートへ出かけて、壁打ちでしばらく練習。下手な相手と練習するよりほっぽど効果がある。ダブルスワンセット。病み上がりのY氏とシングルスワンセット。10キロくらい痩せたそうで、シングルスプレーや向きな体つきに変身していた。

    さて、一昨日ホームコートでシングルスの練習が終わって一息入れていると、SAさんが近づいてきたので、世間話をしていると、息子が工藤静香のバックバンドで今度の土曜日、(明日と言えばよいのにそれで勘違いしていた)11時からNHKに出ると言う。以前に工藤静香のバックバンドをメインにドラマーとして東京でやっているとは聞いていたのだ。テレビに出るとき知らせてよと何気なく言った気がする。

    ぼくはテレビの録画予約をして、ドラマーを追い求めたが、ドラマーがアップになることはなかったし、ドラムセットの前には透明だが衝立があり残念ながらおぼろげにしか確認することはできなかった。久しぶりの息子の晴れ舞台、一瞬でもアップの姿を期待しただろう、Sさんの困惑顔が浮かんできたが、それでもうれしかったに違いない。

    ぼくも50代の半ばからひょんなことからドラムの前に座ったことがある。全くのど素人での会社の同好会での出来事。様子を見に行ったら、ドラマーがいないのでどうですかと言う。ぼろっちぃ古ぼけたドラム一式が取り残されたようにあった。それから必死で練習した。スチックを軽く叩きワンツーワンツースリーフォーでの出ざしの合図から教わり、バンドはリズムを刻むドラムがしっかりしているか否かにかかるんだとか。

    始めた頃はベンチャーズが主だったが、ボーカルの女の子がプリンセスプリンセスが好きだったことで、メインがそれになっていった。ボーカルの女の子はのぞ自慢に推薦したいほどいい声をしていたし、音楽的なセンスもあった。
    そしていつもぼくのドラムの出来如何でバンドの善し悪しが決まっていた。

    デビューは工業団地の夏祭りだった。2,3か月後に迫ったそれに向けての必死の練習、ぼくは辞退したかったが、メンバーの励ましを断ることは出来なくなっていた。女性のキーボード、ボーカル兼キーボード、ベースにギター二人にドラマーの6名の編成だった。

    まさに冷や汗ものの初舞台、無我夢中の内に終わっていた。仲間からドラムを刻む音がしっかりしていたよとか、褒められてほっとしたことを思い出す。それから練習を励むにつれて、メンバーたちが発表の場が欲しいらしくて、宴会や楽器の置いている飲み屋、コートでも一回やったことがある。5,6年くらい続いただろうか、仕事が忙しなったことや、メンバーの離脱などで自然解散となってしまった。

    ぼくにとっては貴重な青春の一コマの出来事だった。


    日記 | 投稿者 ていちゃん 23:55 | コメント(1)| トラックバック(0)

    F県ベテランオープン大会 挑戦の軌跡

    福岡県ベテランオープンテニス大会 挑戦の軌跡

    平成19年の春からJOPに緒戦を始めた。4月に行われた九州毎日を手始めに、右も左もわからない状況で出場して、慣れるまでにはいろんな失敗を繰り返し、ひとつひとつ体験を積み重ねて、みんなに追いつくべく頑張ってはみたが、目の前にあった霧が晴れるにつれて、その容易でないことが、ようやくの現実味となって分かってきている。
    次に出たのが福岡ベテランそして九州選手権、中国選手権と回を重ねてみたが、1年目の結果はまさに散々たるものだった。

    65歳台
    H19(2007)6月15-18日16名 ランキング329位
       1回戦 O氏  1-8 敗退
    H19(2007)9月07-10日16名 ランキング116位
      1回戦 YO氏 64 64 勝利 
      2回戦 O氏  26 16 敗退

    H20(2008)7月11-14日14名 ランキング113位
       1回戦 YN氏06 76(2)TB47 敗退

    70歳台
    H21(2009)7月10-13日11名 ランキング 56位
       2回戦 AB氏 62 61 勝利
       3回戦 IK氏 64 16TB37 敗退
    H21(2009)10月16-19日ランキング51位
       1回戦 YO氏 75 61 勝利
       2回戦 SK氏 06 36 敗退

    H22(2010)7月09-12日12名ランキング25位
       1回戦 NS氏 WO  不戦勝
       2回戦 TK氏16 60TB10-8 勝利
       3回戦 AS氏 16 06 敗退
    H22(2010)10月15-18日12名ランキング30位
       2回戦 TA氏 62 63 勝利
       3回戦 KO氏 64 62 勝利
       決勝戦 YO氏 60 60 優勝
    H22(2010)11月30日 ランキング17位

    H23(2011)7月15-18日13名 ランキング27位
       2回戦 TM氏 64 62 勝利
       3回戦 HM氏 63 63 勝利
    決勝戦 FK氏36 75TB10-5 優勝

    H24(2012)7月20-23日15名 ランキング41位
       1回戦 IK氏 61 61    勝 
       2回戦 YN氏 16 62TB10-4 勝
        3回戦 FK氏 06 76(7)TB10-5 勝
       決勝戦 HD氏 63 36TB13-11 優勝
    H24(2012)10月12-15日16名 ランキング90位
       1回戦 HD氏 76(3) 63    勝 
       2回戦 YN氏 61 64      勝
       3回戦 YO氏 75 61      勝
       決勝戦 TN氏 16 06   準優勝


    日記 | 投稿者 ていちゃん 21:38 | コメント(1)| トラックバック(0)

    大病克服の選手に完敗の決勝戦

    月曜日、晴れ。
    決勝戦の並ぶ月曜日なのに開場は閑散として、なんとなく寂しく秋の日差しが降り注いでいた。
    10時半5番コートに入る。噂のようにTO氏は強かった。大病してほとんど胃袋はないと言いっていたが、俊敏な動きでの攻撃的なテニスに対応出来なかった。1ゲーム目、ぼくのテニスで簡単に取れそうだったのをジュースに持ち込まれ、繰り返した末ブレークく出来なかった。これをものにしてしておれば少し展開は異なったかもしれない。ともあれ、彼のホォアに回り込んでのショットにことごとくやられていた。16 06。

    大病を克服してテニス選手として再起し、ここまで活躍出来るとは、感心するばかりだった。



    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 21:18 | コメント(0)| トラックバック(0)

    何とか決勝へ

    日曜日、晴れ。
    準決勝は5番コートで10時30から予定通り行われる。相手のYN氏はJOP初挑戦のころからの顔馴染みの選手。
    初勝利が彼だった。馴れない屋内コートの一番コートでの対戦だった。無我夢中、冷静さをなくしてがむしゃらにやっていた気がする。スコアも分からなくなったりして悪印象を与えたのではないかと思う。それから一二度対戦しただろうか、定かではないが、直近では今春の九州毎日で対戦して大苦戦、ファーストを16ぐらいで落とし負けを覚悟したがセカンドになると勝ちを意識しだしたのか、ミスが多くなってセカンドを取るとファイルはこちらの流れになっていた。
    今日は初めから接戦が続いた。33で相手のサービス、そこでジュースが延々と続く。アドバンテージレシーバが大半だったのに、このゲームをものにした方が流れに乗ることが出来ると脳裏をかすめる。30分は十分続いた。相手がキープの決着で34。セットをなくした思いでベンチにたどり着く。次はぼくのサービス、まだ負けてはいないと気は取り戻したが、0 30となって危ういと思ったが何とかキープし、正常心に戻った。44 45 55 65 75と取り、一息ついた。
    セカンドはもうこちらの流れになって61で何とか勝利することが出来た。
    明日はダントツ、ほぼパーフェクトで勝ち上がってきた選手との決勝戦、パーフェクト負けにならないように頑張って見よう。

    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 19:47 | コメント(0)| トラックバック(0)

    2回戦勝ち取る

    土曜日、晴れ。
    朝夕の冷え込みは厳しくなる。目一杯着込んでコートへ向かったが陽光真上になるに連れて快適となり上着を脱いだ。
    12時過ぎ8番コートにいる。対戦相手のY氏。10年ほど前、佐賀の芝のコート、ウィンブルドンから電話があった、佐賀でパートナーを探している人がいます云々と、その人がY氏だった。それから何度かシングルスの対戦を繰り返したがいい思い出はない。雲仙国際テニス大会、2回目の挑戦で第一シードを破り、決勝の相手がY氏だった。ぼくは足に痙攣がきて無念リタイア。そのころから試合中に痙攣を起こすのも弱点の一つになっていた。福岡ベテランでもセカンドをタイブレークでようやく取ったものの、直後のファイルタイブレークで涙を飲んだことなどがよみがえる。
    このにさん年対戦はないがぼくとしては、今でこそランキングを落としいるが大きな大会でのシード選手にもなっているし負けられないという思いは強かった。
    1ゲーム目相手のサービスをいきなりブレークしてキープして20。ツーブレークになりそうで落とし21。それからも厳しいゲームが続いたがきわとくゲームを拾って61で取ることができた。うまく行き過ぎたように思えた。ぼくは肩で息をしながら、このまま行ってほしいと心の中で叫んいた。
    思いが通じたのかセカンドは30とリード。ブレークして4となれば勝利は見えてくると考えたがキープされて31。そしてブレークされ32。足元がよたったりでミスショットが増えて、まさに厳しい場面が到来していた。
    キープされて33 ブレークされて34 ブレークして44。66タイブレークでもしかたがない、持てる力を振り絞って戦うしかない。
    ぼくのサービスを何とかキープして54。相手サービス0 30とリードを許して覚悟をしていたが追い付いて30 30。それから30 40 アドバンテージレシーバと何度もマッチポイントを迎えたが必死の抵抗に阻まれた。
    最後の戦いに死力つくしたが、ネット際に落としたポールを相手は拾えづゲームセットを迎えた。61 64。
    彼もぼくには負けたくなかったに違いない。ポールを追いかける執念にそれがあらわれていた。

    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 21:05 | コメント(2)| トラックバック(0)

    福岡ベテランオープン秋

    金曜日 晴れ。
    体調あしきまま今朝福岡へ向かった。月曜日またも、やってしまったのだ、週末試合があるというに。体育の日の祭日でホームコートではイベントが行われるそうで、この機会にと屋上の壁面を午前中かけて洗ったのが身体にこたえていた。半日休めども回復せず、一日半二日半休めどもテニスの意欲は沸いてこなくて今日に至った。軽い咳も出始めおまけに二三日便秘している。
    さて、1シードのO氏は病に倒れたらしくやはり来ていなかった。今はランキング90位中ほどのぼくは3シードで下の山にいる。頑張って出来ることならO氏との対戦を願っていた。優勝候補がいなくなり本命不在の70才台。
    体調は不明のまま10時半すぎ屋内4番コートに入った。相手はH氏、過去2回勝たしてもらっているが楽勝にはほど遠い内容だった。最初から互いにブレークの混戦の接戦で33。身体もようやく慣れてきたと思っていたのに35とリードを許して、今日は負ける日かなとよぎった。言い訳は十二分にあるのだ。
    ぼくは開き直って自分のテニスに徹しようと考えた。55 66のタイブレークとなって73でものにしてファーストは76。セカンドは33から63で取り初戦を何とか突破することが出来た。明日はもっと厳しい相手だ。頑張ってみるしかない。

    仲間H氏がJOP60才台に初めて挑戦。ぼくは試合が終わったあと、外の3番コートで行われた初陣を最初から最後まで拍手しながら見守っていた。
    相手は東京からのエントリー者。この大会に東京からくる選手に強い人はいないよと、勇気づけていたのだが、まさにその通りだったと思う。相手のフォアはゆっくりとつなぎ、バックは切れのないスライスをようやく返す返すだけ、しかし守りは頑張っていた。
    ファーストは33までなってこれからだと思っていたら、気負いすぎたか自滅36で落とす。セカンドは落ちつきを取り戻したか53とリード、一気に行くかと思いきや、相手の粘りと攻撃のミスショットで55に追いつかれたが75となんとかセカンドを取って10ポイントのタイブレークで決着となった。
    H氏優位だったはず。序盤31とリードした、しかしそれから又もたもたが始まる。47で終わったかなと思ったらぼくの勘違いだった。68 69 79 710と浅い球をネットしたり、イージなミスで墓穴を掘って行った。
    この悔しさをバネにして、きっと強くなっていくに違いない。彼のことだから。
    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 22:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

    こんな日を千秋の思いで待っていた

    日曜日、晴れ。
    昨日帰ろうとしているとH氏から明日早朝テニスどうですかと声が掛った。体に疲労を感じていたが、いつも断ってばかりいたのでOKと返事をした。
    でもそれなりに通用するだろうと思っていたが、ラケットにまともにボールはヒットせず、いつもの浅いボールやノーコンのボールが多く、期待のサービスもダメと来ていたからやられてしまった。その後ダブルスを3試合したがぼくが足を引っ張り勝ち星はなかった。

    急いで帰宅したがジャパンオープン決勝戦はダブルスが先に行われていて、その後にテニスフアン注目のシングルスの決勝戦、錦織圭対ラオニックが行われた。

    今最も注目度の高いマレーをファイナル、逆転で倒して意気上がるラオニックに錦織がどう挑むか、固唾を呑みながら目を凝らして、テレビの前で会場で見守っていたに違いない。

    ファースト、2ゲーム目でラオニッチのサービスをブレークすると30で思わぬ展開で進んでいた。しかし後半ブレークされて66タイブレークとがっぷり四つの戦いに見るものを熱くさせていた。
    タイブレーク、ビッグサーバーのラオニッチが優位かと心配したが不安は的中、錦織は最初のサービスを落とし、ラオニッチにエース級のサービスで2ポイント取られて30。しかしそこから33とばん回して、なんと64とマッチポイントを取ったのだ。そして相手のバックアウトを誘い76とファースト取ってしまったのだ。まさに思わぬ展開が繰り広げられていた。

    ファーストサービスの入っているときのラオニッチは強いが、そうでないときは、ストローク戦では錦織が勝っているということがだんだん明白になってきた。

    セカンドは後のないラオニッチにワンブレークを許すとそのまま行って35で落とし、雌雄はファイナルに持ち越された。

    ファイナルのⅠゲーム目、錦織がしっかりキープすると、2ゲーム目のラオニッチの切れの鈍くなったサービスをブレーク。30となってファースト同じパターンで進すかと目をこらす。

    錦織のサービスそしてショットはしり上がりに冴えはじめ、反面ラオニッチの足元がおぼつかなくなり疲労は隠しおおせなくなっていた。観衆に鼓舞されるように、錦織のテニスは冴えわたりワンマンショーというようなテニスが展開されて終わってみれば60のまさにベーグルだったのだ。

    ジャパンオープン錦織
    日記 | 投稿者 ていちゃん 22:18 | コメント(1)| トラックバック(0)

    錦織リベンジをはたして決勝へ

    土曜日、晴れ。
    久しぶりO氏とI氏と早朝シングルスを楽しむ。それからTA氏とストロークを30分、ダブルスを2セット終えて家に戻り、wowowwを入れると準決勝の1試合、第1シードのA・マレーと第6シードのM・ラオニチ(カナダ)が始まっていた。

    ファーストの出だしにブレークされるとマレーは36で落としたが、セカンドは互いにサービスキープでタイブレークを75でセカンドをものにした。ファイナルは出だしにブレークして41とリードしたマレー、さすがにマレーかと思っていたがラオニチに食い下がられて42でブレークを許すと44と振り出しに戻った。

    ここでもタイブレークとなったが、ラケットを叩きつけて壊したりして苛立ちを隠さなかったマレーに天は味方せずタイブレークを47で落として、オリンピック金メダル、それから全米、グランドスラム初タイトルを奪い、まさに順風満帆であったマレーに隙間風が吹いていたのか土がついた。
    過信があったに違いないが、気が付いた時には手遅れだったのだ。連覇の夢を絶たれたマレーはがっくりと肩を落としてコートを後にしていた。
    36 76(5) 67(4)

    次に待望の錦織圭とM・バグダティス(キプロス)との試合がはじまった。過去に3連敗しているという錦織圭、われわれも本人も不安はあったに違いない。
    しかしふたを開けてみると、3連敗が信じられないテニスを展開した。62 62と圧勝して観衆を仰天させたのだ。

    ようやく日本のフアンの前で錦織の強さを昨日今日と披露してくれた。
    明日のラオニチとの決勝戦も期待したい。きっと期待に応えてくれと思う。同じくビッグサーバーのベルデフィを破ったのだから勝機は十分にあるのだ。

    日記 | 投稿者 ていちゃん 23:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

    錦織圭 まさに錦を飾る

    金曜日 晴れ。日一日と秋の深まりをチャリの上で感じている。

    ジャパン・オープンシングルス準々決勝4試合が終日wowowで放映された。第4試合に行われた第8シードの錦織圭と第2シードのT・ベルディフ(チェコ共和国)の試合は大観衆の応援に答えて錦織は奮闘し75 64のストレートで勝利、ベスト4進出を果たす。
    歴史あるジャパン・オープンシングルスで初めてのベスト4という。

    明日は第4シードのJ・モナコ(アルゼンチン)を破ったM・バグダティス(キプロス)と対戦する。
    錦織どんな試合を展開するか楽しみだ。今日のようなテニスができれば決勝戦進出も手の届くところにきている。

    日記 | 投稿者 ていちゃん 22:12 | コメント(0)| トラックバック(0)

    全日本ベテランテニスを終えて

    木曜日、晴れ。
    ・・・・・・・・・・・・・・・
    お疲れさまでした。

    今、Kさんと反省会をしています。
    一年間本当にお世話になりました。
    ありがとうございました。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    昨夜、ぼくが夜行バスで熟睡しているころ、M氏から上記のメールが届いていた。ぼくは夜行バスに飛び乗ってとりあえずM氏に携帯した。「何とか間に合いました。」と伝えると安堵の声が聞こえた。それから二人で遅くまで飲みあかしたのだ。


    ぼくは昼ごろ気づいて返信した。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    こちらこそ大変お世話になりました。
    4月から組んでいただき3試合(大会)に出ただけで
    全日本ベテラン出場の栄誉を獲得、感謝しています。
    その上待望の一勝を勝ち取り言うことはありません。
    ありがとうございました。
    来年はシングルスでの出場を目指して頑張ってみます。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    K県から70歳 シングルスー1 ダブルスー1 75歳同じくシングルスー1ダブルスー1出場したが、75歳のシングルスF氏が3回戦まで進んだが、あとは2回戦で敗退した。
    ダブルの試合は午後遅れてからで、その間、70歳代選手の名前と顔の一致しない人の探索とその試合ぶりを観察することができた。

    日記 | 投稿者 ていちゃん 22:14 | コメント(2)| トラックバック(0)

    敗れて帰途に着く

    今日もナイター照明の点灯試合が終わったのは7時頃だった。75 36 26と相手のパワーとネットに立ち塞がる二人の高さに苦戦を強いられ敗退。ファーストは03のリードから42とリードしてぼくサービスを落として43 44 45とリードを許したが、危うい場面をのりきり55、そこから2ゲーム連取何とかファーストを取ったが、そこからは相手に先んじられて、劣勢がつづいた。
    懸命に頑張ったつもりだが相手がボレー、スマッシュ等上手だった。

    夜行バスは20時20分、時間を確認して、もしかしたらまだ間に合うかもと現実に戻っていた。K氏から八事日赤まで車で送ってもらい地下鉄を乗り継いで、名鉄バスセンター目指した。キリギリに間に合って、乗車。
    汗にまみれた疲れ切った身体で、寝ぶりかぶりながら携帯を手にした。
    バスは高速道路を九州に向かって快適に疾走しているようだ。もう何もかも忘れて目を閉じていよう。気が付けば九州路を走っているはずだ。

    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 21:52 | コメント(0)| トラックバック(0)

    全日本ベテランテニス70D1回戦勝利

    夜行バスはほぼ予定通りに到着、通勤の人混みの中をうろうろ、ようやくで目的の地下鉄にたどり着いて八事日赤で下車、歩いて15分近く東山公園テニスコートへバスから1時間あまりでたどり着いた。

    パートナーM氏のシングルスはストレートでものにして体力は温存。3コート4番目になっていたダブルフはNB13時にもかかわらずファイナル、ファイナルと前の試合が長引きコートに入ったのは15時を大きく回っていた。

    相手はシングルスワンシードのKT氏と実力者のI氏ペアだ。負けもと、気負わず持てる力のせめて半分を出せるように頑張ろうと言い聞かせていた。

    ファーストは62と思わぬ展開に佐賀でのグラスコートの戦いを思いお越していた。セカンドになるとさすがに相手は力を表してきた。36で落として流れは相手に傾いていた。

    ファイナルの1ゲーム目、ぼくのサービス、40 15から落としてここまでかと観念しかける。02となって相手の勢いは増すばかり、M氏のサービスで03になるかの瀬戸際を危うくキープして12。これまでダンゴは、いや一方的なゲームは免れたと、少し光明を感じた。それから互いに必死のワンポイントのそうぼうが続いたがぼくたちに流れが来ていたのだ。接戦を征して22 32 42そしていつの間にか52となって相手I氏のサービス。そしてそれを何とかブレーク、62と勝利が転がり込んでいた。

    相手選手は負けてもさばさばとして、気持ちよく握手してくれた。
    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 23:54 | コメント(1)| トラックバック(0)

    名古屋行き

    夜行バス、不知火号8時50分に歩いて8分のの高速バス停から乗車。明朝7時半到着予定

    いろいろ考えた末やはり夜行バスになった。明日の夜行バスには乗りたくないが、相手が相手だけに覚悟をしてのぞまなければなるまい。
    それにしてもジャパンオープン、守屋の戦いは素晴らしかった。守屋をデ杯の一員としておればイスラエル戦、勝てたかもしれません。監督さん先入観を持たす、空っぽにして視野を広くと言いたい。

    JOP大会 | 投稿者 ていちゃん 21:35 | コメント(3)| トラックバック(0)