2009年12月29日
テニスの思いで(1)
今日もいい天気だ。
今日明日とフリーコートではジュニアーの合宿が行われるので、一般はインドアーコート3面が確保されていた。
小学、中学高校生と参加していたようだが6面のコートを使ってのびのびと練習、汗している風景を羨望の眼差しで眺めている自分に気づく。思い切りガンガンと打ち合っている。
戦後10年経過した30年代の初め高校で硬式テニスはほとんどなかった。軟式全盛の頃だったかもしれない。片田舎の中学、高校で兄が軟庭で活躍していた。指導者にも恵まれた兄は高校では国体を視野に入れるくらいの選手になっていたらしいが、大会での天候が災いしえ夢が潰えた話が語り草のように脳裏にある。
中学のとき見習って軟庭をやったが、指導者もいなくて校庭の片隅にあったコートはポールが二本あるだけで、仕切りもなく荒れ放題だった。試合に一度だけ出た記憶が消えかかってあるだけだ。
なぜか硬式テニスにあこがれていた。
今であれば骨董価値のありそうなあめ色のフレーム、朽ちかかったガットのラケットが2本、赤土にわらを混ぜた荒壁の鴨居にぶら下がっていた。
何も知らない母親が子供の為にと用意したしたのだろうが、軟式も硬式もしらなかったはず。
今にして思えば硬式ラケットのように思えるのだ。それで遊んだ記憶はない。ボールも記憶がないのだから。
硬式ラケットを握ったのは社会人になった20代の半ばかな、テニスクラブ員の募集を社内新聞で見つけわくわくして出かけた記憶がある。高級社宅外の一角にテニスコートがあった。早速真新しいラケットを購入して、真っ白いボールを買って、ほとんどラケットにまともに当たらない練習をそこで何度かした気がする。しかしやっと思いがかなえて嬉しかった。
でも、やるきかいはほとんどなくそこでは終わってしまった。
今日明日とフリーコートではジュニアーの合宿が行われるので、一般はインドアーコート3面が確保されていた。
小学、中学高校生と参加していたようだが6面のコートを使ってのびのびと練習、汗している風景を羨望の眼差しで眺めている自分に気づく。思い切りガンガンと打ち合っている。
戦後10年経過した30年代の初め高校で硬式テニスはほとんどなかった。軟式全盛の頃だったかもしれない。片田舎の中学、高校で兄が軟庭で活躍していた。指導者にも恵まれた兄は高校では国体を視野に入れるくらいの選手になっていたらしいが、大会での天候が災いしえ夢が潰えた話が語り草のように脳裏にある。
中学のとき見習って軟庭をやったが、指導者もいなくて校庭の片隅にあったコートはポールが二本あるだけで、仕切りもなく荒れ放題だった。試合に一度だけ出た記憶が消えかかってあるだけだ。
なぜか硬式テニスにあこがれていた。
今であれば骨董価値のありそうなあめ色のフレーム、朽ちかかったガットのラケットが2本、赤土にわらを混ぜた荒壁の鴨居にぶら下がっていた。
何も知らない母親が子供の為にと用意したしたのだろうが、軟式も硬式もしらなかったはず。
今にして思えば硬式ラケットのように思えるのだ。それで遊んだ記憶はない。ボールも記憶がないのだから。
硬式ラケットを握ったのは社会人になった20代の半ばかな、テニスクラブ員の募集を社内新聞で見つけわくわくして出かけた記憶がある。高級社宅外の一角にテニスコートがあった。早速真新しいラケットを購入して、真っ白いボールを買って、ほとんどラケットにまともに当たらない練習をそこで何度かした気がする。しかしやっと思いがかなえて嬉しかった。
でも、やるきかいはほとんどなくそこでは終わってしまった。
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