2009年06月13日
九州選手権敗退の記
晴れ。
九州選手権テニス70歳シングルスは10日からの予定が雨で翌11日からに変更になる。
当日は快晴、博多の森テニスコート10コートで9時半より一回戦が始まる。相手は地元のTa氏、小柄な温厚な人で旧知ではないが交流での遊のダブルスもやったことのある人で、小細工のうまい人だとは感じていたが、まさかこの人に負けるとは思ってもいなかったし、まわりの人たちも同じ思いだったに違いない。
ファースト、5-2とリードする。6-1 6-2くらいで勝てれば、勝ちたいと思っていたので予定のどうりで進んでいるかのように見えたのだが、僕のボールになれてきたのか、ボールにいきよいがなくなってきていたのか、相手のドロップショットが決りだす。うまいとは小耳に挟んではいたが、バックもフォアーも予想以上に、関心するほど決りだす。自分のボールか甘くなり始めたのだと分かってはいたが、相手にも何とかなりそうだと自信を与えてしまったようだ。5-5 6-6のタイブレークになる。
タイブレークは7-2くらいで取り、ファーストは何とかものにし、セカンドも3-0とリードしてから追いつかれて又もタイブレークこれは相手に取られて1-1のファイナルとなった。
ファイナルも3-0から追いつかれて膠着状態。僕の足に変な感じがしだしたので、ベルトを脚絆のようにふくらはぎに巻きつけてプレイを続行するが、ドロップショットがボディーブローのように足に効きはじめたのかもしれない。何とか拾ったりしていたドロップショットが拾えなくなりだし、ふくらはぎの筋肉がピクピクしだすがぐっと我慢して、省エネテニスを心掛けて5-4でマッチポイント2本来た。
今思えばそこに後悔が残る。ネットダッシュして相手のミスを誘うとか、ろうをていしての失敗ならあきらめもつくが、何も考える余裕もなく平凡なテニスを続けて、挙句の果てに取られて5-5となって万事急須だった。
もう足はほとんど動かずに5-7で敗れて痙攣が走り、相手にも痙攣がくる。
時計は12時を大きく過ぎて13時近く。3時間半。時間が進むにつれて入れ替わり立ち代り人がやって来たり去ったり、地元の相手には応援がたくさん集まってきていた。
何せ試合進行を大幅に狂わせて大会関係者を翻弄させたことになってしまった。
そして負けたのだからそのときの僕は気持ちを言葉では表現できないほどで、深い深いところに沈みこんでいっていた。通りすがりの顔見しりらしき人たちがいたわりとも、慰めともしれない言葉を掛けてくれたが、穴があったら隠れたい思いだった。
ダブルスは翌日の予定と思っていたらT氏がやってきて今日あるという。明日なら少しは回復すると踏んでいたが、T氏と組んだダブルスも試合が始まり、まもなくして足は歩くのが精いっぱいの状況になって行き試合にはならなかった。
2-6 0-6で敗退。T氏に迷惑をかけてしまう。
少なくても3-4日は泊まるつもりでいたのに、又もや一日で帰途に着くはめになった。情けないと思いながら泊まるつもりの荷物を引き取りに義姉の仕事場の2階へたどり着いたが、そこにへたり込んだ。
いろんなことが頭に浮かんでは消える。挑戦のブログ、もう本人があきれて書くことが嫌になるくらいだから、見てくれている人は、又かと開いた口がふさがれないかもしれないと思うとうと憂鬱になる一方。
クロウズ、クロウズと布団の上に倒れこんだ頭に渦巻く。
あれくらいやって今日勝てなかったのだから、誰としても勝てそうな気はしない。これからいくら挑戦しても無理だと思い知らされた敗退だった。
あいりファミリー の励ましのコメントが浮かんでくる。
西に落ちた太陽も明日の朝にはまた東から元気に顔を出すから元気にスマイル、スマイル \(^^)/
どうしょうのない僕の生きざまを見て、励ましてくれる人がいるのだから、もう少しがんばってみるか。煩悶のすえたどり着いた結論だ。
帰るのをやめて明日は試合会場に出かけてライバルの試合をじっくり観察しょう。遠方から参集している選手の戦いぶりはそうそう見る機会はないのだ。
12日(金)、13日(土)は終日仲間の応援をしながら、ライバルやら他の年代の好試合を観戦して過す。有意義な二日間だった。
北九州から応援に来てくれたYO氏の期待に今回も応えることが出来ず情けなかったが、夜にも電話があり励まされた。嬉しかった。
今日はT氏のベストフォーをかけての試合があって終始試合をみまもったが、残念ながらAS氏に負けてしまった。5-7 3-6 ファースト5-2でリードリードしていたのに。
60D FFペアーセミファイナルで敗退。
70Sの1シードF氏は明日セミファイとファイナル
65D MMペアー明日ファイナル
九州選手権テニス70歳シングルスは10日からの予定が雨で翌11日からに変更になる。
当日は快晴、博多の森テニスコート10コートで9時半より一回戦が始まる。相手は地元のTa氏、小柄な温厚な人で旧知ではないが交流での遊のダブルスもやったことのある人で、小細工のうまい人だとは感じていたが、まさかこの人に負けるとは思ってもいなかったし、まわりの人たちも同じ思いだったに違いない。
ファースト、5-2とリードする。6-1 6-2くらいで勝てれば、勝ちたいと思っていたので予定のどうりで進んでいるかのように見えたのだが、僕のボールになれてきたのか、ボールにいきよいがなくなってきていたのか、相手のドロップショットが決りだす。うまいとは小耳に挟んではいたが、バックもフォアーも予想以上に、関心するほど決りだす。自分のボールか甘くなり始めたのだと分かってはいたが、相手にも何とかなりそうだと自信を与えてしまったようだ。5-5 6-6のタイブレークになる。
タイブレークは7-2くらいで取り、ファーストは何とかものにし、セカンドも3-0とリードしてから追いつかれて又もタイブレークこれは相手に取られて1-1のファイナルとなった。
ファイナルも3-0から追いつかれて膠着状態。僕の足に変な感じがしだしたので、ベルトを脚絆のようにふくらはぎに巻きつけてプレイを続行するが、ドロップショットがボディーブローのように足に効きはじめたのかもしれない。何とか拾ったりしていたドロップショットが拾えなくなりだし、ふくらはぎの筋肉がピクピクしだすがぐっと我慢して、省エネテニスを心掛けて5-4でマッチポイント2本来た。
今思えばそこに後悔が残る。ネットダッシュして相手のミスを誘うとか、ろうをていしての失敗ならあきらめもつくが、何も考える余裕もなく平凡なテニスを続けて、挙句の果てに取られて5-5となって万事急須だった。
もう足はほとんど動かずに5-7で敗れて痙攣が走り、相手にも痙攣がくる。
時計は12時を大きく過ぎて13時近く。3時間半。時間が進むにつれて入れ替わり立ち代り人がやって来たり去ったり、地元の相手には応援がたくさん集まってきていた。
何せ試合進行を大幅に狂わせて大会関係者を翻弄させたことになってしまった。
そして負けたのだからそのときの僕は気持ちを言葉では表現できないほどで、深い深いところに沈みこんでいっていた。通りすがりの顔見しりらしき人たちがいたわりとも、慰めともしれない言葉を掛けてくれたが、穴があったら隠れたい思いだった。
ダブルスは翌日の予定と思っていたらT氏がやってきて今日あるという。明日なら少しは回復すると踏んでいたが、T氏と組んだダブルスも試合が始まり、まもなくして足は歩くのが精いっぱいの状況になって行き試合にはならなかった。
2-6 0-6で敗退。T氏に迷惑をかけてしまう。
少なくても3-4日は泊まるつもりでいたのに、又もや一日で帰途に着くはめになった。情けないと思いながら泊まるつもりの荷物を引き取りに義姉の仕事場の2階へたどり着いたが、そこにへたり込んだ。
いろんなことが頭に浮かんでは消える。挑戦のブログ、もう本人があきれて書くことが嫌になるくらいだから、見てくれている人は、又かと開いた口がふさがれないかもしれないと思うとうと憂鬱になる一方。
クロウズ、クロウズと布団の上に倒れこんだ頭に渦巻く。
あれくらいやって今日勝てなかったのだから、誰としても勝てそうな気はしない。これからいくら挑戦しても無理だと思い知らされた敗退だった。
あいりファミリー の励ましのコメントが浮かんでくる。
西に落ちた太陽も明日の朝にはまた東から元気に顔を出すから元気にスマイル、スマイル \(^^)/
どうしょうのない僕の生きざまを見て、励ましてくれる人がいるのだから、もう少しがんばってみるか。煩悶のすえたどり着いた結論だ。
帰るのをやめて明日は試合会場に出かけてライバルの試合をじっくり観察しょう。遠方から参集している選手の戦いぶりはそうそう見る機会はないのだ。
12日(金)、13日(土)は終日仲間の応援をしながら、ライバルやら他の年代の好試合を観戦して過す。有意義な二日間だった。
北九州から応援に来てくれたYO氏の期待に今回も応えることが出来ず情けなかったが、夜にも電話があり励まされた。嬉しかった。
今日はT氏のベストフォーをかけての試合があって終始試合をみまもったが、残念ながらAS氏に負けてしまった。5-7 3-6 ファースト5-2でリードリードしていたのに。
60D FFペアーセミファイナルで敗退。
70Sの1シードF氏は明日セミファイとファイナル
65D MMペアー明日ファイナル