2010年10月29日
23回全日本ローンコートベテランテニス
金曜日、曇り。
昼からI氏とシングルス。今日も風強く、薄ら寒い。昨日のように厚着して車で出かけた。
63 62で勝たせてもらう。ファーストは41から43と追い上げられて流れが変わりそうだったが何とか踏ん張った。強風でイメージするサービは不出来だった。
その後ダブルスを3セット楽しみ、疲れて帰途につく。
第23回全日本ローンコートベテランテニス選手権大会は平成11年(1999)でK氏と60歳ダブルスにエントリしていた。1回戦でnakagawa,moriya組に勝って2回戦は1シードのhirose,konisi組に日没ぎりぎり、せかされて負けた記憶が鮮明だ。2シードはishiguro,sugimotoで誰が優勝したかは分からない。PCでは2003までの記録しか残っていない。
プログラムを改めてみると(ウインブルドン九州テニスクラブ創設者緒方勝徳氏の追悼大会)とあった。
プログラムの中の偲ぶ会の案内には
・・・・・・・・・・・・・・
日本で初のローンテニスクラブ、ウインブルドン九州テニスクラブは皆さまに支えられえ25周年を迎えようとしています。
緒方オーナーは、全日本ローンコートテニス選手権(ITF国際女子サーキット)、全日本ローンコートベテランテニス選手権の会場とクラブを提供し、皆さまの素晴らしいプレイがここで展開されることを最大の喜びとされた方でした。海外にも知名度が高く、永年国際化に貢献されて来ました。
今回第23回全日本ローンコートベテランテニス選手権大会は、氏の追悼大会として開催されることになりました。
当クラブの格式と伝統と権威を引き継ぐ我々としてこの大会をさまざまな形で大いに盛り上げ、これまでの緒方氏の情熱に報いたいと思います。
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九州の地方都市に日本で唯一の16面のコートを持つローンコートクラブが誕生したと知ったときは驚いた。引き算すると1974年(昭和49年)このクラブは出来たのだ。
翌1975年にはあこがれのウインブルドンで、沢松和子がアン清村選手と組んでダブルス優勝、日本女子選手として初の快挙なしており、テニスブームの真っ盛りでもあった。
雨後のたけのこみたいに、あちこちにテニスクラブは誕生していた。あれから36年が経過、バブルから失われた10年を経験して現在に至るが世の中は様変わり、多くのテニスクラブは淘汰されていった。
オーナーを失い、時代の過酷な流れでこのクラブ経営も大変だったと耳にしたことがある。
名称も「ウインブルドン九州テニスクラブ」から「グラスコート佐賀テニスクラブ」数年前に変わっている。
しかし今年も「全日本グラスコートベテランテニス選手権大会」が来週から開催される。
このクラブが栄えて大会が末永く続くことを願っている。
昼からI氏とシングルス。今日も風強く、薄ら寒い。昨日のように厚着して車で出かけた。
63 62で勝たせてもらう。ファーストは41から43と追い上げられて流れが変わりそうだったが何とか踏ん張った。強風でイメージするサービは不出来だった。
その後ダブルスを3セット楽しみ、疲れて帰途につく。
第23回全日本ローンコートベテランテニス選手権大会は平成11年(1999)でK氏と60歳ダブルスにエントリしていた。1回戦でnakagawa,moriya組に勝って2回戦は1シードのhirose,konisi組に日没ぎりぎり、せかされて負けた記憶が鮮明だ。2シードはishiguro,sugimotoで誰が優勝したかは分からない。PCでは2003までの記録しか残っていない。
プログラムを改めてみると(ウインブルドン九州テニスクラブ創設者緒方勝徳氏の追悼大会)とあった。
プログラムの中の偲ぶ会の案内には
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日本で初のローンテニスクラブ、ウインブルドン九州テニスクラブは皆さまに支えられえ25周年を迎えようとしています。
緒方オーナーは、全日本ローンコートテニス選手権(ITF国際女子サーキット)、全日本ローンコートベテランテニス選手権の会場とクラブを提供し、皆さまの素晴らしいプレイがここで展開されることを最大の喜びとされた方でした。海外にも知名度が高く、永年国際化に貢献されて来ました。
今回第23回全日本ローンコートベテランテニス選手権大会は、氏の追悼大会として開催されることになりました。
当クラブの格式と伝統と権威を引き継ぐ我々としてこの大会をさまざまな形で大いに盛り上げ、これまでの緒方氏の情熱に報いたいと思います。
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九州の地方都市に日本で唯一の16面のコートを持つローンコートクラブが誕生したと知ったときは驚いた。引き算すると1974年(昭和49年)このクラブは出来たのだ。
翌1975年にはあこがれのウインブルドンで、沢松和子がアン清村選手と組んでダブルス優勝、日本女子選手として初の快挙なしており、テニスブームの真っ盛りでもあった。
雨後のたけのこみたいに、あちこちにテニスクラブは誕生していた。あれから36年が経過、バブルから失われた10年を経験して現在に至るが世の中は様変わり、多くのテニスクラブは淘汰されていった。
オーナーを失い、時代の過酷な流れでこのクラブ経営も大変だったと耳にしたことがある。
名称も「ウインブルドン九州テニスクラブ」から「グラスコート佐賀テニスクラブ」数年前に変わっている。
しかし今年も「全日本グラスコートベテランテニス選手権大会」が来週から開催される。
このクラブが栄えて大会が末永く続くことを願っている。