2012年11月28日
喪中のはがき
水曜日、晴れ。昨日より少しあったかい。
午前中、10時よりいつものレッスン、近頃は皆勤賞だ。スクール生6名中、6名の参加は久しぶりの満杯でコーチは張り切って鍛えてくれた。
昨日のスリーセットの疲れが残っているのか体は悲鳴を上げていたが何とかついて行った。90分のレッスンが終わって表に出ると、クラブハウスの前にI氏がいた。
JOPの大会で、これくらいのことで泣きごとを言っていたのでは、勝ち進んでいけないということが脳裏にある。
汗でひやひやしているシャツを着替えたりしてシングルスの気持ちに切り替えて5番コートに入った。
いつかはこんな日が来るとは思っていたがそれが今日だった。フォアのぐりぐりスピンはストレートに深く炸裂、甘いボールは手玉に取られて、ナイスと思いきショットも軽いフットワークで読まれカウンターパンチ、なすすべがなかった。あっという間に16で終わっていた。
こんなテニスをされたらぼくには勝ち目がない。ショットの
安定と機敏な動きは、週ごとにまさってきているとは肌で感じてはいたが、今日がその分岐点だったのだ。あとはぼくを追い抜いて、追い去るのは時間の問題。
セカンドも02、ベーグルは避けなければ、そんな弱気な自分がいた。21 22となんとか追いつかせてもらったが23とリードされて負け戦には間違いなかった。あと1,2ゲーム取れば御の字だと思いながらやっていたが終盤接戦になっていた。しかし不利には変わりなかった。44 45 55 56 57とこのゲームはテニスで負けての粘り勝ちをしてしまった。
ほぼ負け試合であったのに、やさしい相手は、次回ににとって思いやってくれたようだ。
家に戻ると喪中のはがき来ていた。四国にいる小学校の同級生のもだった。こんな知らせは五臓六腑に響くものがある。最後に逢ったのは「古希」の同級会だった。透析をしていると知ってはいたが、前回より一段と衰えていたのが気がかりだった。カメラが趣味らしくて同級会が終わってしばらくすると丁寧な手紙付きで写真が送られてきていた。ぼくも写真を送った覚えがある。
先日も、ねんりんピック熊本で一緒した彼女の連れ添いが亡くなっている。ぼくとほぼ同じ歳だという。
そういう世代に突入しているのだと、現実を少しはわきまえなくてはと思う。
午前中、10時よりいつものレッスン、近頃は皆勤賞だ。スクール生6名中、6名の参加は久しぶりの満杯でコーチは張り切って鍛えてくれた。
昨日のスリーセットの疲れが残っているのか体は悲鳴を上げていたが何とかついて行った。90分のレッスンが終わって表に出ると、クラブハウスの前にI氏がいた。
JOPの大会で、これくらいのことで泣きごとを言っていたのでは、勝ち進んでいけないということが脳裏にある。
汗でひやひやしているシャツを着替えたりしてシングルスの気持ちに切り替えて5番コートに入った。
いつかはこんな日が来るとは思っていたがそれが今日だった。フォアのぐりぐりスピンはストレートに深く炸裂、甘いボールは手玉に取られて、ナイスと思いきショットも軽いフットワークで読まれカウンターパンチ、なすすべがなかった。あっという間に16で終わっていた。
こんなテニスをされたらぼくには勝ち目がない。ショットの
安定と機敏な動きは、週ごとにまさってきているとは肌で感じてはいたが、今日がその分岐点だったのだ。あとはぼくを追い抜いて、追い去るのは時間の問題。
セカンドも02、ベーグルは避けなければ、そんな弱気な自分がいた。21 22となんとか追いつかせてもらったが23とリードされて負け戦には間違いなかった。あと1,2ゲーム取れば御の字だと思いながらやっていたが終盤接戦になっていた。しかし不利には変わりなかった。44 45 55 56 57とこのゲームはテニスで負けての粘り勝ちをしてしまった。
ほぼ負け試合であったのに、やさしい相手は、次回ににとって思いやってくれたようだ。
家に戻ると喪中のはがき来ていた。四国にいる小学校の同級生のもだった。こんな知らせは五臓六腑に響くものがある。最後に逢ったのは「古希」の同級会だった。透析をしていると知ってはいたが、前回より一段と衰えていたのが気がかりだった。カメラが趣味らしくて同級会が終わってしばらくすると丁寧な手紙付きで写真が送られてきていた。ぼくも写真を送った覚えがある。
先日も、ねんりんピック熊本で一緒した彼女の連れ添いが亡くなっている。ぼくとほぼ同じ歳だという。
そういう世代に突入しているのだと、現実を少しはわきまえなくてはと思う。