2012年03月10日
熊谷杯との別れ
土曜日、晴れ。
愛ちゃんをみやざきへおくるとマリアちゃんがにこにこして出迎えた。息子が転勤になって幼稚園の面接に来ていたのだ。これでみやざき(シーガイヤ)とも疎遠になっていくだろう。
息子が働くようになってから、熊谷杯に参戦したのは60代半ば過ぎ。昨年まで挑戦を続けたがシングルスは負け戦ばかり、二回、チャンスのある決勝戦だと意気込んで望んだが、接戦もできずにみじめにも自滅した。今思えば両手打ちに問題があったのは確かだ、しかし、腕の故障がなく片手うちでも、同じ結果だったと思う。ようするにへただったのだ、それは意に介せず熱意だけはあったが、結局は空回りしていた。ダブルスはK氏と組んで一度優勝させてもらった。それが唯一の勲章。
熊谷杯の年齢別は65歳以上で打ち切られ、その上はなく、力の差を感じていたこともあって今年はエントリーをしなかったら、息子が転勤になった。これも何かの縁かもしれない。
シーガイヤー。海岸線の松林、目立つホテル。その一角のホテルでの息子の結婚式、心の癒しと息子との縁を思い、ようやく通っていたシーガイヤ。たしかに南国をおもわせる街並みのフェニックスに始まるこの地は、開放感を抱かせてくれるリゾート地には間違いない、とくにあの海岸線の一角は。
ある日テニスコートで休んでいると、そっと横に座った人が、ブログにコメントをくれて励ましてくれていた人とわかって驚いたこと。
昨年は、たまたまプロの下部の大会と重なって、そのファイナルを観戦。「海を渡った小さなプロたち~牟田口恵美14才~」の主人公、牟田口恵美らしき人と重なり、まさしくその人がコートで戦っていたのだと分かったときの驚き等等。
彼女が今どのあたりで頑張っているかは、知るよしもないが、夢を忘れずにいてほしいと祈るばかりだ。
愛ちゃんをみやざきへおくるとマリアちゃんがにこにこして出迎えた。息子が転勤になって幼稚園の面接に来ていたのだ。これでみやざき(シーガイヤ)とも疎遠になっていくだろう。
息子が働くようになってから、熊谷杯に参戦したのは60代半ば過ぎ。昨年まで挑戦を続けたがシングルスは負け戦ばかり、二回、チャンスのある決勝戦だと意気込んで望んだが、接戦もできずにみじめにも自滅した。今思えば両手打ちに問題があったのは確かだ、しかし、腕の故障がなく片手うちでも、同じ結果だったと思う。ようするにへただったのだ、それは意に介せず熱意だけはあったが、結局は空回りしていた。ダブルスはK氏と組んで一度優勝させてもらった。それが唯一の勲章。
熊谷杯の年齢別は65歳以上で打ち切られ、その上はなく、力の差を感じていたこともあって今年はエントリーをしなかったら、息子が転勤になった。これも何かの縁かもしれない。
シーガイヤー。海岸線の松林、目立つホテル。その一角のホテルでの息子の結婚式、心の癒しと息子との縁を思い、ようやく通っていたシーガイヤ。たしかに南国をおもわせる街並みのフェニックスに始まるこの地は、開放感を抱かせてくれるリゾート地には間違いない、とくにあの海岸線の一角は。
ある日テニスコートで休んでいると、そっと横に座った人が、ブログにコメントをくれて励ましてくれていた人とわかって驚いたこと。
昨年は、たまたまプロの下部の大会と重なって、そのファイナルを観戦。「海を渡った小さなプロたち~牟田口恵美14才~」の主人公、牟田口恵美らしき人と重なり、まさしくその人がコートで戦っていたのだと分かったときの驚き等等。
彼女が今どのあたりで頑張っているかは、知るよしもないが、夢を忘れずにいてほしいと祈るばかりだ。
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