2010年07月08日
F県ベテラン大会 過去ブログで反省
晴れ。
10時からH氏とシングルス約束。
試合前の最後の練習試合と思って出かける。試合用のシューズに膝下までのソックス(ケイレンなどの予防?)を着用。本番と同じゲームカウント11後のファイナルの決着はタイブレーク。
ファーストはH氏のショット好調でフォア、バックとも思い切りが良くてミスも少ない。
それでも競って行ったのだが後半振り切られて46で落とす。サービスも入れるだけ、バックの両手打ちには自信なさのぶれがあった。
セカンドは30から32と詰め寄られ33となりそうなところを何とかしのいで42なってこちらのペースに戻った。63で取りファイナルはタイブレークとなった。
ファーストセットと同じような内容で前半競い、後半振り切られた。
不安要素はサービスとバックの両手打ちだが、徐々に良くなっているいるので、4年目の挑戦、過去の反省を生かして全力をつくしてみよう。結果は天に任せるしかない。
《福岡県ベテランオープンテニス大会》の過去ブログ
2009年10月18日
(福岡ベテラン2回戦敗退)
晴れ。今日も風強し。宿泊場所から博多の森まで車で30分弱。2回戦は10時半からだ。
9時半に出て、コートの上の駐車場でkatumata氏と雑談してジャストの10時30分少し前に1番コートの見える場所から近づいて行くとコートにはそれらしき人が1人でいる。ほとんどの試合が予定よりオーバーするのが常、第一試合は1時間以内に終わったのだ。まさかと思ったが間違いはなさそうだ。30分までにはコートに入ったので問題はなさそうだが、待機しておくのが礼儀なので失礼したことになる。待たせたことをわびて試合開始。風は昨日より強い、条件はお互いに同じなのでそれを理由には出来ない。
結果はまったくテニスをさせてもらえず、簡単に負けてしまう。0636。
春に対戦したとき時はセカンドで終盤リードして後一歩まで追い詰めたが、タイブレークに持ちこまれて負けており、今回は雪辱したいと意気込んでいただけに情けない思いだった。
春より力は付いていると自負していただけにダメージは大きい。
ドローの反対側で戦っていたkatumata氏が順調にそれも楽勝のスコアーで勝ち上がってきた。
明日は準決勝と決勝が行われる。応援に行くつもりだ。
2009年7月13日
(シングルス、体力が追いつかない)
又も残念な結果に終わる。セミファイは第二シードのikeda氏。彼はランキング20台で北は北海道から九州までほとんどのJOPの大会を網羅して参戦している人だった。
初戦は3セット目タイブレークで勝ち上がり、そのテニスを見ていた時は行けそうだと感じていた。
雨で一日延びた13日(月)セミファイの対戦は、晴天なのに室内コートで行なうと表示されている。
なぜだろう、屋外であれば変った結果になっていたかもしれない。
彼は日焼けした穏かな顔つきで少し猫背の細身の人で対戦してみると、ねばりがありどんなボールでも食い下がり最後まであきらめない根性を持っていた。
サービスを渡されて簡単に落として出だし2ゲームを奪われる、流石に20台で全国を股に掛けている人は執念が違うなと思っていた。3ゲーム目のサービスゲームをキープしてから少し落ち着きを取り戻して5-2と5ゲーム連取してリードする。今日の敗因はこの後のゲームの進め方のまずさから来ていると思う。6-2で一気に決めておけば、蒸し風呂のような中で、体力を温存もできたはず。これからもたつきながいゲームが続き、6-4で何とか取ったものの、消耗は激しかった。汗が吹き出て、水も呑みすぎたせいか、あまり呑めななくなる。気力ちはあったが、消耗は思った以上に激しかったのだろう。
セカンドは1-2とリードを許してから、これはまずいと必死でばん回してなんとか3-2とリード、コートチェンジで自分のサービス、光取りの屋根がまぶしくなり、条件の悪くなりだし、体の動きも悪くなっていたのだろう。3-2から2ゲーム落として3-4。相手はたんたんとして拾いまくる。疲れなどはみじんも見せずに、必死で食い下がってくるのがひしひしと伝わってくるのだ。心配した左足のアキレス腱の上の筋肉がピックときた、もう痙攣の前兆が始まった。これはまずいとネットに出て勝負するしかないと無理を承知で行なったが、相手の思う壺で3-6で落として1-1。
タイブレーク決戦となったが流れは完全に相手のペースになっていた。ここでも頑張ろうと思っていたが、体は意思と反して思うように動かずミスが続いて3-7で取られてゲームセット。
その瞬間は負けた悔しさより、終わってほっとした気持ちがあった。後で考えればそれほど消耗していたことになる。
言い訳をすれば、フォアーの両手打ちや他のショットも悪くはなく5ゲーム連取したときは、自分の思う存分のテニスが出来ており、これはいけると楽観ムードも頭をよぎる。相手を完全に圧していたのに、ちょっとした集中の欠落が試合の流れを変えてしまった。今までの自分のテニスをいつの間にか忘れてしまっているのだ。思考力も鈍っていたのだろう。
問題は基本体力の差、最後にはボデーブローのように利いてきてリングに沈むことになる。
こういうパターンがずっと続いている。その辺を克服しなければ、勝ち進むことは到底無理だとあらためて思うが、今の足腰の状況を考えれば、維持するのが精いっぱいで、これ以上の体力持久力をつけるのは無理なところがある。
2008年7月11日
(今日も1回戦敗退)
悪くとも三回戦くらいは行きたいと準備は十分すぎるくらいに車に積み込んできたのだが、朝PCで昨日更新されたベテランJOPランキング65歳以上によると116→133位になっていた。
現実は厳しいなと思いながら博多の森へ車を走らせた。
悪くとも三回戦くらいは行きたいと準備はばんたんだったのに、今日も一回戦敗退。
「シニアテニス両手打ちでの敗戦記」にタイトルを変更しょうかと帰りの車の中で真剣に考えた。これならブログにもきがねなくむかえる。挑戦なんておこがましいと敗戦の連続で思っていたが今日の敗戦は決定的だった。四国選手権一回戦敗退、中国選手権一回戦敗退という可能性は高い。四国の一回戦の相手は決っておりランク40台の大分の人だ。厳しいことには間違いない。迷える羊です。
今日の相手のYANAGIDA氏はで県外で初めてテニス通じて親しくなった人だ。彼は昨年のこの大会で自分の練習相手のT氏に08で負けていた。僕は今T氏と接戦しているので分があるのではと解釈、二試合目のYN氏とは作年秋のこの大会で勝っていた。準決勝の人は・・・ー捕らぬ狸のーをやっていたら、はじめからこの始末。笑ってください。
試合は1セットオール後ファイナルセットはタイブレークのみとする方式でファーストは何故か06取られる。決めようとしてほとんどミスを犯す。体の動きが悪かったのだろう。
セカンドは42とリード、サービスもはいりだし行けるかなと思っていたら55 56とリードをゆるした。
何度マッチポイントをクリアーしたことか、「じいちゃんテニス勝ってね」という、孫の声が浮かんできた。なんでも少し早く思い出さなかったのかと悔やんだ。九州選手権でも53とリードしておきながら57で負けている。57では負けたくない。必死さが通じたのか66タイブレークに持ち込むことが出来た。タイブレークは52とリード、このタイブレークを取ると勝利するのだと言う錯覚が一瞬頭をめぐったが続けてタイブレークをしなければならないのいうことが遠くに思えた。72タイブレークを取り、ファイナルは又もタイブレークでの決戦。
トイレに行こうとコートを立つと足の異変に気がついた。攣りそうな感じが両足のふくらはぎあたりに感じてサービス、痙攣が怖くて打てなくなった。足の動きもぎこちになり44まで頑張れたが振り切られ47で負けてしまった。
コートサイドのベンチでこ一時間放心状態で座っていた。左手の親指にも痙攣がきたりした。試合時間2時間30分。
こうした思いを今年は何回したことだろう。放心状態で体の回復をまった。ベンチでしばらく横たわり、それからyanagida氏に頑張って下さいと握手をしてコートを後にする。
夜携帯がなった。toshimitu氏だった。彼もテニスを通じて知り合った。不安げな僕にコートサイドで声をかけてくれた人だ。これで三回目。へこんだ気持ちでいる僕はうれしくありがたく、また頑張ろうねと言う会話でおわり何時も勇気をもらっているのだ。
2007年9月8日
(二回戦は)
春の大会初戦1-8で負けた人(oukura)。その人はその後、夏の大きな大会で優勝されていたのでびっくりしていたところに、また対戦できるのは光栄であった。頑張ったつもりだったが2-6 1-6で敗れる。こうも歯が立たないのは何でだろうと漫才のギャグが頭をよぎる。予測がよくて足が速く、その上手首をきかせたすばやいスイングのパッシングが非常に上手で、浅くてあまいボールでも入れると高い確率で決めてしまう。その正確さに舌を巻く。もう少し善戦したかった。
課題の多く残る一日でした。
2007年9月7日
(福岡県ベテランテニス秋大会)
六月の春大会では一回戦1-8であれよあれよという間にやられてしまった。小柄な方で見た目は何とかなりそうに見えたのに、前後左右に振られ、とにかく隙間を狙い確実に入れてくる。完敗。参りましたと握手した。あまりにも完敗に悔しさはなかったが、四月の九州毎日にも初戦負けだったので自信はかなり揺らいでいた。後日ネットで見るとその方が優勝していたので嬉しかったの覚えている。
11時過ぎコートにいる。スリーセットでスリーセット目はタイブレーク。オムニの室内コート。相手(yano)の方は大柄でランクは90台、それは実力のバロメータなのだ。サービスキープを先攻され厳しい試合内容。3-4 からブレーク4-4 5-4 6-4で苦しみながらもフアーストセットをものにする。セカンドは4-4で長いジュースを気力でもぎ取り5-4。次のサービスゲームをキープして6-4でやっと勝つことができた。正直嬉しかった。時間は二時間近く過ぎていた。ベンチで汗を拭きながら二階の観覧席を見上げると佐賀のyanagida氏が腕を突き出しVの字を作り笑顔で祝福してくれていた。
10時からH氏とシングルス約束。
試合前の最後の練習試合と思って出かける。試合用のシューズに膝下までのソックス(ケイレンなどの予防?)を着用。本番と同じゲームカウント11後のファイナルの決着はタイブレーク。
ファーストはH氏のショット好調でフォア、バックとも思い切りが良くてミスも少ない。
それでも競って行ったのだが後半振り切られて46で落とす。サービスも入れるだけ、バックの両手打ちには自信なさのぶれがあった。
セカンドは30から32と詰め寄られ33となりそうなところを何とかしのいで42なってこちらのペースに戻った。63で取りファイナルはタイブレークとなった。
ファーストセットと同じような内容で前半競い、後半振り切られた。
不安要素はサービスとバックの両手打ちだが、徐々に良くなっているいるので、4年目の挑戦、過去の反省を生かして全力をつくしてみよう。結果は天に任せるしかない。
《福岡県ベテランオープンテニス大会》の過去ブログ
2009年10月18日
(福岡ベテラン2回戦敗退)
晴れ。今日も風強し。宿泊場所から博多の森まで車で30分弱。2回戦は10時半からだ。
9時半に出て、コートの上の駐車場でkatumata氏と雑談してジャストの10時30分少し前に1番コートの見える場所から近づいて行くとコートにはそれらしき人が1人でいる。ほとんどの試合が予定よりオーバーするのが常、第一試合は1時間以内に終わったのだ。まさかと思ったが間違いはなさそうだ。30分までにはコートに入ったので問題はなさそうだが、待機しておくのが礼儀なので失礼したことになる。待たせたことをわびて試合開始。風は昨日より強い、条件はお互いに同じなのでそれを理由には出来ない。
結果はまったくテニスをさせてもらえず、簡単に負けてしまう。0636。
春に対戦したとき時はセカンドで終盤リードして後一歩まで追い詰めたが、タイブレークに持ちこまれて負けており、今回は雪辱したいと意気込んでいただけに情けない思いだった。
春より力は付いていると自負していただけにダメージは大きい。
ドローの反対側で戦っていたkatumata氏が順調にそれも楽勝のスコアーで勝ち上がってきた。
明日は準決勝と決勝が行われる。応援に行くつもりだ。
2009年7月13日
(シングルス、体力が追いつかない)
又も残念な結果に終わる。セミファイは第二シードのikeda氏。彼はランキング20台で北は北海道から九州までほとんどのJOPの大会を網羅して参戦している人だった。
初戦は3セット目タイブレークで勝ち上がり、そのテニスを見ていた時は行けそうだと感じていた。
雨で一日延びた13日(月)セミファイの対戦は、晴天なのに室内コートで行なうと表示されている。
なぜだろう、屋外であれば変った結果になっていたかもしれない。
彼は日焼けした穏かな顔つきで少し猫背の細身の人で対戦してみると、ねばりがありどんなボールでも食い下がり最後まであきらめない根性を持っていた。
サービスを渡されて簡単に落として出だし2ゲームを奪われる、流石に20台で全国を股に掛けている人は執念が違うなと思っていた。3ゲーム目のサービスゲームをキープしてから少し落ち着きを取り戻して5-2と5ゲーム連取してリードする。今日の敗因はこの後のゲームの進め方のまずさから来ていると思う。6-2で一気に決めておけば、蒸し風呂のような中で、体力を温存もできたはず。これからもたつきながいゲームが続き、6-4で何とか取ったものの、消耗は激しかった。汗が吹き出て、水も呑みすぎたせいか、あまり呑めななくなる。気力ちはあったが、消耗は思った以上に激しかったのだろう。
セカンドは1-2とリードを許してから、これはまずいと必死でばん回してなんとか3-2とリード、コートチェンジで自分のサービス、光取りの屋根がまぶしくなり、条件の悪くなりだし、体の動きも悪くなっていたのだろう。3-2から2ゲーム落として3-4。相手はたんたんとして拾いまくる。疲れなどはみじんも見せずに、必死で食い下がってくるのがひしひしと伝わってくるのだ。心配した左足のアキレス腱の上の筋肉がピックときた、もう痙攣の前兆が始まった。これはまずいとネットに出て勝負するしかないと無理を承知で行なったが、相手の思う壺で3-6で落として1-1。
タイブレーク決戦となったが流れは完全に相手のペースになっていた。ここでも頑張ろうと思っていたが、体は意思と反して思うように動かずミスが続いて3-7で取られてゲームセット。
その瞬間は負けた悔しさより、終わってほっとした気持ちがあった。後で考えればそれほど消耗していたことになる。
言い訳をすれば、フォアーの両手打ちや他のショットも悪くはなく5ゲーム連取したときは、自分の思う存分のテニスが出来ており、これはいけると楽観ムードも頭をよぎる。相手を完全に圧していたのに、ちょっとした集中の欠落が試合の流れを変えてしまった。今までの自分のテニスをいつの間にか忘れてしまっているのだ。思考力も鈍っていたのだろう。
問題は基本体力の差、最後にはボデーブローのように利いてきてリングに沈むことになる。
こういうパターンがずっと続いている。その辺を克服しなければ、勝ち進むことは到底無理だとあらためて思うが、今の足腰の状況を考えれば、維持するのが精いっぱいで、これ以上の体力持久力をつけるのは無理なところがある。
2008年7月11日
(今日も1回戦敗退)
悪くとも三回戦くらいは行きたいと準備は十分すぎるくらいに車に積み込んできたのだが、朝PCで昨日更新されたベテランJOPランキング65歳以上によると116→133位になっていた。
現実は厳しいなと思いながら博多の森へ車を走らせた。
悪くとも三回戦くらいは行きたいと準備はばんたんだったのに、今日も一回戦敗退。
「シニアテニス両手打ちでの敗戦記」にタイトルを変更しょうかと帰りの車の中で真剣に考えた。これならブログにもきがねなくむかえる。挑戦なんておこがましいと敗戦の連続で思っていたが今日の敗戦は決定的だった。四国選手権一回戦敗退、中国選手権一回戦敗退という可能性は高い。四国の一回戦の相手は決っておりランク40台の大分の人だ。厳しいことには間違いない。迷える羊です。
今日の相手のYANAGIDA氏はで県外で初めてテニス通じて親しくなった人だ。彼は昨年のこの大会で自分の練習相手のT氏に08で負けていた。僕は今T氏と接戦しているので分があるのではと解釈、二試合目のYN氏とは作年秋のこの大会で勝っていた。準決勝の人は・・・ー捕らぬ狸のーをやっていたら、はじめからこの始末。笑ってください。
試合は1セットオール後ファイナルセットはタイブレークのみとする方式でファーストは何故か06取られる。決めようとしてほとんどミスを犯す。体の動きが悪かったのだろう。
セカンドは42とリード、サービスもはいりだし行けるかなと思っていたら55 56とリードをゆるした。
何度マッチポイントをクリアーしたことか、「じいちゃんテニス勝ってね」という、孫の声が浮かんできた。なんでも少し早く思い出さなかったのかと悔やんだ。九州選手権でも53とリードしておきながら57で負けている。57では負けたくない。必死さが通じたのか66タイブレークに持ち込むことが出来た。タイブレークは52とリード、このタイブレークを取ると勝利するのだと言う錯覚が一瞬頭をめぐったが続けてタイブレークをしなければならないのいうことが遠くに思えた。72タイブレークを取り、ファイナルは又もタイブレークでの決戦。
トイレに行こうとコートを立つと足の異変に気がついた。攣りそうな感じが両足のふくらはぎあたりに感じてサービス、痙攣が怖くて打てなくなった。足の動きもぎこちになり44まで頑張れたが振り切られ47で負けてしまった。
コートサイドのベンチでこ一時間放心状態で座っていた。左手の親指にも痙攣がきたりした。試合時間2時間30分。
こうした思いを今年は何回したことだろう。放心状態で体の回復をまった。ベンチでしばらく横たわり、それからyanagida氏に頑張って下さいと握手をしてコートを後にする。
夜携帯がなった。toshimitu氏だった。彼もテニスを通じて知り合った。不安げな僕にコートサイドで声をかけてくれた人だ。これで三回目。へこんだ気持ちでいる僕はうれしくありがたく、また頑張ろうねと言う会話でおわり何時も勇気をもらっているのだ。
2007年9月8日
(二回戦は)
春の大会初戦1-8で負けた人(oukura)。その人はその後、夏の大きな大会で優勝されていたのでびっくりしていたところに、また対戦できるのは光栄であった。頑張ったつもりだったが2-6 1-6で敗れる。こうも歯が立たないのは何でだろうと漫才のギャグが頭をよぎる。予測がよくて足が速く、その上手首をきかせたすばやいスイングのパッシングが非常に上手で、浅くてあまいボールでも入れると高い確率で決めてしまう。その正確さに舌を巻く。もう少し善戦したかった。
課題の多く残る一日でした。
2007年9月7日
(福岡県ベテランテニス秋大会)
六月の春大会では一回戦1-8であれよあれよという間にやられてしまった。小柄な方で見た目は何とかなりそうに見えたのに、前後左右に振られ、とにかく隙間を狙い確実に入れてくる。完敗。参りましたと握手した。あまりにも完敗に悔しさはなかったが、四月の九州毎日にも初戦負けだったので自信はかなり揺らいでいた。後日ネットで見るとその方が優勝していたので嬉しかったの覚えている。
11時過ぎコートにいる。スリーセットでスリーセット目はタイブレーク。オムニの室内コート。相手(yano)の方は大柄でランクは90台、それは実力のバロメータなのだ。サービスキープを先攻され厳しい試合内容。3-4 からブレーク4-4 5-4 6-4で苦しみながらもフアーストセットをものにする。セカンドは4-4で長いジュースを気力でもぎ取り5-4。次のサービスゲームをキープして6-4でやっと勝つことができた。正直嬉しかった。時間は二時間近く過ぎていた。ベンチで汗を拭きながら二階の観覧席を見上げると佐賀のyanagida氏が腕を突き出しVの字を作り笑顔で祝福してくれていた。