2011年12月11日
春との旅
日曜日、曇り。今日は昨日より少し気温高めだが、寒いのには変わりなし。11時ごろコートへ。
近頃は壁うちで時間費やすこと多し。やり方によってはいろんな練習ができることを、いまさらながら得心しているから自分のレベルも知れたもの。ダブルス2セットと後は壁うちで過した。
テレビの映画を録画して観ている。印象に残っているのは「切腹」、「春との旅」、洋画「知りすぎていた男」。
「春との旅」仲代達矢、徳永えり主演
生活の道を絶たれた足の悪い老人が、海辺のあばら家から怒って出て行くのが最初のシーン。なんだか分からなかったが、孫娘にすすめられて二人で兄妹を尋ね尋ねて行き、冷たい仕打ちを受けながら逆に二人の気持ちがかさなりあってゆく物語。
最後に孫が別れた父親に会いたくなったと、馬の放牧されている牧場を尋ねて行くと、そこで再婚した父親の女に出会う。孫はそれを知らずに来たので後悔する。祖父を問いただすと、まだ感受性の高い高校生だったので黙っていたと言う。母親が自殺して二三年の後に再婚していたのだ。
部屋に通されてまもなく父親が帰宅する。祖父は二人で積もる話をと席をはずす。気まずい沈黙が広がる。お父さんには会うつもりはなかったが、これが最初で最後だと言う。お母さんを愛していたの、何故別れたのと矢継ぎ早の問いに、父親は苦渋の顔であいまいな返事をすると、まだ幼かったけど知っているのよ、お母さんが飲食店にアルバイトに行っていて、そこでお客さんと親しくなって、帰りが遅くなったりして、ある日車で送ってもらって帰ってきたとき、お母さんを殴って、そのまま出て行って帰って来なかった。お母さんは反省して、許しを願っていたが、自殺してしまったというと、孫娘春は声をあげて泣き崩れる。
とまどう父はそっと春のそばに座って肩をやさしく抱き寄せた。
牧場の柵にたたずみ、親子の馬の睦まじさに、ニンマリしている老人に義理の息子の嫁がやって来てやさしく話しかける。ここで一緒に暮しませんかと、とまどう老人。おとうさんと呼んでいいですか。訪ね歩いた肉親兄妹の仕打ちに耐えていた老人は、思いがけないことばに顔をそむけて感涙した。
二人でそっとおいとましょう。私もそう考えていたの。気が合うねえと二人は肩を抱き合い帰途につく、夜中に蕎麦をたべる。春のお母さんと一緒に食べた思い出の場所だという。
春は涙を落としながら、すすりながら話す。役場かどこかで働いて、その内いい人が見つかって結婚して、もちろんじいちゃんと一緒に生活するのが前提で、なかよく暮そうと言う。老人も涙に咽びながら蕎麦をもくもくと口にはこんでいる。
旅に出たときの汽車に乗る。そして同じ場所に同じように並んで座る。老人は春に体を横たえて眠っているように見えたが、そのまま滑るように床に倒れこんだ。気がついた春はどうしたのかとけげんな様子だったが、いくら呼んでも叫んでも目を開けることはなかった。
この映画はひとごとではないと思った。老人の悲しさむなしさ、肉親の冷たさ、他人の暖かさ、しかし自分自身で生きていくしかないということを物語っている。
近頃は壁うちで時間費やすこと多し。やり方によってはいろんな練習ができることを、いまさらながら得心しているから自分のレベルも知れたもの。ダブルス2セットと後は壁うちで過した。
テレビの映画を録画して観ている。印象に残っているのは「切腹」、「春との旅」、洋画「知りすぎていた男」。
「春との旅」仲代達矢、徳永えり主演
生活の道を絶たれた足の悪い老人が、海辺のあばら家から怒って出て行くのが最初のシーン。なんだか分からなかったが、孫娘にすすめられて二人で兄妹を尋ね尋ねて行き、冷たい仕打ちを受けながら逆に二人の気持ちがかさなりあってゆく物語。
最後に孫が別れた父親に会いたくなったと、馬の放牧されている牧場を尋ねて行くと、そこで再婚した父親の女に出会う。孫はそれを知らずに来たので後悔する。祖父を問いただすと、まだ感受性の高い高校生だったので黙っていたと言う。母親が自殺して二三年の後に再婚していたのだ。
部屋に通されてまもなく父親が帰宅する。祖父は二人で積もる話をと席をはずす。気まずい沈黙が広がる。お父さんには会うつもりはなかったが、これが最初で最後だと言う。お母さんを愛していたの、何故別れたのと矢継ぎ早の問いに、父親は苦渋の顔であいまいな返事をすると、まだ幼かったけど知っているのよ、お母さんが飲食店にアルバイトに行っていて、そこでお客さんと親しくなって、帰りが遅くなったりして、ある日車で送ってもらって帰ってきたとき、お母さんを殴って、そのまま出て行って帰って来なかった。お母さんは反省して、許しを願っていたが、自殺してしまったというと、孫娘春は声をあげて泣き崩れる。
とまどう父はそっと春のそばに座って肩をやさしく抱き寄せた。
牧場の柵にたたずみ、親子の馬の睦まじさに、ニンマリしている老人に義理の息子の嫁がやって来てやさしく話しかける。ここで一緒に暮しませんかと、とまどう老人。おとうさんと呼んでいいですか。訪ね歩いた肉親兄妹の仕打ちに耐えていた老人は、思いがけないことばに顔をそむけて感涙した。
二人でそっとおいとましょう。私もそう考えていたの。気が合うねえと二人は肩を抱き合い帰途につく、夜中に蕎麦をたべる。春のお母さんと一緒に食べた思い出の場所だという。
春は涙を落としながら、すすりながら話す。役場かどこかで働いて、その内いい人が見つかって結婚して、もちろんじいちゃんと一緒に生活するのが前提で、なかよく暮そうと言う。老人も涙に咽びながら蕎麦をもくもくと口にはこんでいる。
旅に出たときの汽車に乗る。そして同じ場所に同じように並んで座る。老人は春に体を横たえて眠っているように見えたが、そのまま滑るように床に倒れこんだ。気がついた春はどうしたのかとけげんな様子だったが、いくら呼んでも叫んでも目を開けることはなかった。
この映画はひとごとではないと思った。老人の悲しさむなしさ、肉親の冷たさ、他人の暖かさ、しかし自分自身で生きていくしかないということを物語っている。