2012年09月05日
勝負の厳しさ
水曜日、雨のち曇り。
朝から曇天、熊本インターから高速にのりしばらくすると雨が落ち始め、たいしたことはあるまいと思っていたら、八女インターから下りて佐賀市を目指していると雨脚は本格的になっていた。市内に入るとM氏からメールが届く。屋内4面の人口芝コートで消化しダブルスは14時からですとあった。
10時半からM氏の3回戦、B4決めの試合が屋内18番コートで始まる。ファーストはK氏46で落とすも、セカンドは64で取ってファイナル決戦となっていった。K氏の守りのテニスに対して相手のKS氏は攻撃と対照的な内容。ファイナル、K氏53とリードしたのでいつものパターンでK氏の勝利を連想していたがサービスを落として54、ブレークされて55そして66とタイブレークになっていった。試合時間は3時間に近づき、両者とも足の動作が怪しげに思えてきた。が、タイブレークで相手KS氏の攻撃精神はゆるぎなかった。動きの鈍ったK氏は防戦一方でタイブレークの最後は一方的の終わった。万事休したのだ、負けたのだ。3時間あまりの熱戦に終止符がようやく打たれた。コートから引き揚げてきた両者に惜しみなく拍手を送った。
それから男子ダブルス2試合消化して隣の17番コートでぼくたちのダブルス2回戦がスタートした。
K氏のシングルスが終わって2時間ようやく経過したくらいだったと思う。ぼくであれば足に異常をきたしてダブルスはまともにはできなかったはず。だがK氏はおくびにも顔に出さず、弱音も吐かずにたんたんといつものK氏だった。
首をかしげてもサービスが入らないのだ。あれくらい練習していたのに。ダブルフォールトを2回繰り返したりしてファーストは2回もぼくはサービスを落とすも63で取ることができた。
相手は九州選手権で0646で負けていたS、Wペアーだった。あの時ぼくは体調不十分でくやしい思いをしていた。だから今回はリベンジの気負いはあった。そしてそれは達成するかに思えていた。
セカンドの1ゲーム目、ぼくがサービスを落とすもファースト63に気をよくしてサービスをかって出た。そこでまたサービスを落としてしまった。それを引きずって45。そこでまたぼくのサービスが回ってきて落としてしまったのだ。
ぼくの安易な気持ちが試合を大きく左右していた。
ショックは大きかった。相手は押せ押せもムードだ。
ファイナルは13でぼくのサービスが回って来た。14になれば流れは大きく相手に傾く。ぼくは必至でキープして23となんとか首をつないだ。チェンジコートして33 34と今度はリードしたのだ。しかし反撃もそこまでだった。あとはほとんど覚えていない。相手の反撃が集中して防戦一方だったのだ。
そのまま3ゲーム取られて46で負けていた。サービスは良くなかったが、ぼくの力は出し切っていたが、最後に逆襲してきた相手に打つすべもなかった。相手が強かったのだ。
K氏の体をいたわることも、その余裕もなく、また勝負に徹すべき欠如がぼくのなかに垣間見えていた思いもある。
グラスコートベテラン、70歳ダブルス2回戦、力つく。63 46 46。
朝から曇天、熊本インターから高速にのりしばらくすると雨が落ち始め、たいしたことはあるまいと思っていたら、八女インターから下りて佐賀市を目指していると雨脚は本格的になっていた。市内に入るとM氏からメールが届く。屋内4面の人口芝コートで消化しダブルスは14時からですとあった。
10時半からM氏の3回戦、B4決めの試合が屋内18番コートで始まる。ファーストはK氏46で落とすも、セカンドは64で取ってファイナル決戦となっていった。K氏の守りのテニスに対して相手のKS氏は攻撃と対照的な内容。ファイナル、K氏53とリードしたのでいつものパターンでK氏の勝利を連想していたがサービスを落として54、ブレークされて55そして66とタイブレークになっていった。試合時間は3時間に近づき、両者とも足の動作が怪しげに思えてきた。が、タイブレークで相手KS氏の攻撃精神はゆるぎなかった。動きの鈍ったK氏は防戦一方でタイブレークの最後は一方的の終わった。万事休したのだ、負けたのだ。3時間あまりの熱戦に終止符がようやく打たれた。コートから引き揚げてきた両者に惜しみなく拍手を送った。
それから男子ダブルス2試合消化して隣の17番コートでぼくたちのダブルス2回戦がスタートした。
K氏のシングルスが終わって2時間ようやく経過したくらいだったと思う。ぼくであれば足に異常をきたしてダブルスはまともにはできなかったはず。だがK氏はおくびにも顔に出さず、弱音も吐かずにたんたんといつものK氏だった。
首をかしげてもサービスが入らないのだ。あれくらい練習していたのに。ダブルフォールトを2回繰り返したりしてファーストは2回もぼくはサービスを落とすも63で取ることができた。
相手は九州選手権で0646で負けていたS、Wペアーだった。あの時ぼくは体調不十分でくやしい思いをしていた。だから今回はリベンジの気負いはあった。そしてそれは達成するかに思えていた。
セカンドの1ゲーム目、ぼくがサービスを落とすもファースト63に気をよくしてサービスをかって出た。そこでまたサービスを落としてしまった。それを引きずって45。そこでまたぼくのサービスが回ってきて落としてしまったのだ。
ぼくの安易な気持ちが試合を大きく左右していた。
ショックは大きかった。相手は押せ押せもムードだ。
ファイナルは13でぼくのサービスが回って来た。14になれば流れは大きく相手に傾く。ぼくは必至でキープして23となんとか首をつないだ。チェンジコートして33 34と今度はリードしたのだ。しかし反撃もそこまでだった。あとはほとんど覚えていない。相手の反撃が集中して防戦一方だったのだ。
そのまま3ゲーム取られて46で負けていた。サービスは良くなかったが、ぼくの力は出し切っていたが、最後に逆襲してきた相手に打つすべもなかった。相手が強かったのだ。
K氏の体をいたわることも、その余裕もなく、また勝負に徹すべき欠如がぼくのなかに垣間見えていた思いもある。
グラスコートベテラン、70歳ダブルス2回戦、力つく。63 46 46。