2012年11月10日
県シングルス大会の応援
土曜日、曇り。
早朝シングルス。O氏に完敗、もうすこし善戦しないと申し訳ないできだった。なにせ昨日一昨日とやりすぎて疲労困憊していた。
それで早々と切り上げ、運動公園に車をとばした。県主催のシングルスの大会が行われており、シングルス仲間のK、H氏の応援というか出来栄えを見どどけておきたかった。
久しぶりの運動公園は秋の装いを深めており、ちょうど見たいと思っていたK氏とM氏、H氏とKN氏との試合も間もなく始まった。
K、M氏の試合は23まで行って善戦するかと思っていたが26で敗退。内容はスコアには比例せず接戦に見えた。K氏の優勢なラリーは随所に見られたが、取れそうなゲームを落としたりチャンスボールのミスなどがあってじゅあじゅあと押されていった。
H、KN氏の試合は14から34と盛り返し、混戦になるかと期待したが、風下になって2ゲーム連取されて36で敗れる。ベテランJOPで活躍しているKN氏とでは戦術面その他でまだ差がありそうだ。
決勝戦のM氏とKN氏との戦いは50 51 61くらいでM氏が優勝。M氏は春の県選手権50歳代でも優勝を飾っており秋のこの大会では60歳代でも優勝となって、県内では向かうところ敵なしである。
M氏の守備範囲の広さとここという時の攻撃は全国区で活躍するテニスなのだ。牙城はかたい。
全日本テニス選手権大会、女子の決勝戦はで第10シードの高雄恵利加が第7シードの山外涼月をセットカウント21でウイナーとなる。ファイナルは互いに譲らずに55と至ったが高雄がブレークして65。サービングマッチとなる。しかしジュースとなってマッチポイント、ブレークポイント交互に死闘を繰り返したが、最後はA高雄でバックサイドに振ったショットを山外は懸命に追ったがラケットに当てるのが精いっぱいでゲームセットなった。高雄恵利加は涙にむせんでいた。6年前に優勝したという試合は記憶にある。
故障に苦しんでの20代半ばでの優勝は違った意味でうれしかったに違いない。
早朝シングルス。O氏に完敗、もうすこし善戦しないと申し訳ないできだった。なにせ昨日一昨日とやりすぎて疲労困憊していた。
それで早々と切り上げ、運動公園に車をとばした。県主催のシングルスの大会が行われており、シングルス仲間のK、H氏の応援というか出来栄えを見どどけておきたかった。
久しぶりの運動公園は秋の装いを深めており、ちょうど見たいと思っていたK氏とM氏、H氏とKN氏との試合も間もなく始まった。
K、M氏の試合は23まで行って善戦するかと思っていたが26で敗退。内容はスコアには比例せず接戦に見えた。K氏の優勢なラリーは随所に見られたが、取れそうなゲームを落としたりチャンスボールのミスなどがあってじゅあじゅあと押されていった。
H、KN氏の試合は14から34と盛り返し、混戦になるかと期待したが、風下になって2ゲーム連取されて36で敗れる。ベテランJOPで活躍しているKN氏とでは戦術面その他でまだ差がありそうだ。
決勝戦のM氏とKN氏との戦いは50 51 61くらいでM氏が優勝。M氏は春の県選手権50歳代でも優勝を飾っており秋のこの大会では60歳代でも優勝となって、県内では向かうところ敵なしである。
M氏の守備範囲の広さとここという時の攻撃は全国区で活躍するテニスなのだ。牙城はかたい。
全日本テニス選手権大会、女子の決勝戦はで第10シードの高雄恵利加が第7シードの山外涼月をセットカウント21でウイナーとなる。ファイナルは互いに譲らずに55と至ったが高雄がブレークして65。サービングマッチとなる。しかしジュースとなってマッチポイント、ブレークポイント交互に死闘を繰り返したが、最後はA高雄でバックサイドに振ったショットを山外は懸命に追ったがラケットに当てるのが精いっぱいでゲームセットなった。高雄恵利加は涙にむせんでいた。6年前に優勝したという試合は記憶にある。
故障に苦しんでの20代半ばでの優勝は違った意味でうれしかったに違いない。
コメント
この記事へのコメントはありません。