2009年03月12日
九州毎日のダブルス練習
晴れ、今日もテニス日和。
昨日T氏より携帯あり、こちらでダブルスの相手が見つけたのでどうですかとの内容だった。
T氏の練習コート、三川町の町営コートに10時に約束。
ナビで調べると1時間あまりだが30分早く家を出る。近くになって山あいの田園風景の中を走らせると右側の少し入ったところにコートが見えた。T氏の車が一台だけが遠くから見えて、ほかは人影も車も見あたらない。静かだ。そこにはまだ新しい4面のオムニコートが並びテニスコートの真後ろ、一段と高いところに体育館らしい白く大きな建物がみえる。テニスコートの前には見下ろす土手があり、その先には田畑が広がりその向こうに自分がやってきた県道が斜めに横切って消えていた。土手にはつくしがありそうは気配で目を凝らして探したがやっと二つ三つ見つけただけだった。
やがてN氏の仲間が到着した。50半ばと60そこそこの人で、少し練習をしたが、ねばり強くて足があった。自分とT氏が組んでダブルスを2セット行う。
最初はこちらのペースで勝ったのだが、二回目は自分がもたもたしてゲーム終盤には先攻を許して危な場面も何度とあったが何とかタイブレークに持ち込みやっとものにする。
昨日の疲れが残っているのは分かっていた。それでもどれだけできるかとの思いもあったのだが、動きが悪くてパワー不足に自分を叱咤していたが、気力だけではどうしょうもない。
昼ごろに帰途に着き、帰り道にあるT温泉に久しぶり寄る。昼下がりの人影の少ない風呂場で、常連だったUさんの顔が浮かんだが、もう出くわすこともないと分かると無常を覚えながら湯船野中に静かに身を沈めてみた。
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我が生何処より来たり
去って何処にか之く。
独りほうそうの下に座して
ごつごつ静かに尋思す。
尋思するも始めを知らず
いずくんぞ能く其の終りを知らん。
現在亦複然り (げんざいまたまたしかり
展轉總て是れ空 (てんてんすべてこれくう
空中しばらく我れ有り
ここに是と非と有らんや。
些子を容るるを知らず
縁に随って従容。
(良寛)
自分の人生はいったいどこから来て、去ってどこへ行くのだろう。私は一人草庵の窓の下で坐禅をして、じっくりそのことを考えつづけたが、いくら考えても、そもそも命の始めがわからないのだから、その終りがわかるわけもない。
始めと終りどころか現在只今生きていることさえなんであるかわからない。結局のところすべては、色即是空と経文にあるとおり「空」である。自分の生も空だ。分別の起こる依然の始源の一にあるのだから、そこで是非の分別など起こるわけもないのである。さらば、わからなくてもよい、この人生をあるがままに受け容れ、あとは運命にすべてを任せて、あわてずさわがず悠々としばらくこの生をたのしむとしょう。
(生きる知恵 中野孝次)
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昨日T氏より携帯あり、こちらでダブルスの相手が見つけたのでどうですかとの内容だった。
T氏の練習コート、三川町の町営コートに10時に約束。
ナビで調べると1時間あまりだが30分早く家を出る。近くになって山あいの田園風景の中を走らせると右側の少し入ったところにコートが見えた。T氏の車が一台だけが遠くから見えて、ほかは人影も車も見あたらない。静かだ。そこにはまだ新しい4面のオムニコートが並びテニスコートの真後ろ、一段と高いところに体育館らしい白く大きな建物がみえる。テニスコートの前には見下ろす土手があり、その先には田畑が広がりその向こうに自分がやってきた県道が斜めに横切って消えていた。土手にはつくしがありそうは気配で目を凝らして探したがやっと二つ三つ見つけただけだった。
やがてN氏の仲間が到着した。50半ばと60そこそこの人で、少し練習をしたが、ねばり強くて足があった。自分とT氏が組んでダブルスを2セット行う。
最初はこちらのペースで勝ったのだが、二回目は自分がもたもたしてゲーム終盤には先攻を許して危な場面も何度とあったが何とかタイブレークに持ち込みやっとものにする。
昨日の疲れが残っているのは分かっていた。それでもどれだけできるかとの思いもあったのだが、動きが悪くてパワー不足に自分を叱咤していたが、気力だけではどうしょうもない。
昼ごろに帰途に着き、帰り道にあるT温泉に久しぶり寄る。昼下がりの人影の少ない風呂場で、常連だったUさんの顔が浮かんだが、もう出くわすこともないと分かると無常を覚えながら湯船野中に静かに身を沈めてみた。
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我が生何処より来たり
去って何処にか之く。
独りほうそうの下に座して
ごつごつ静かに尋思す。
尋思するも始めを知らず
いずくんぞ能く其の終りを知らん。
現在亦複然り (げんざいまたまたしかり
展轉總て是れ空 (てんてんすべてこれくう
空中しばらく我れ有り
ここに是と非と有らんや。
些子を容るるを知らず
縁に随って従容。
(良寛)
自分の人生はいったいどこから来て、去ってどこへ行くのだろう。私は一人草庵の窓の下で坐禅をして、じっくりそのことを考えつづけたが、いくら考えても、そもそも命の始めがわからないのだから、その終りがわかるわけもない。
始めと終りどころか現在只今生きていることさえなんであるかわからない。結局のところすべては、色即是空と経文にあるとおり「空」である。自分の生も空だ。分別の起こる依然の始源の一にあるのだから、そこで是非の分別など起こるわけもないのである。さらば、わからなくてもよい、この人生をあるがままに受け容れ、あとは運命にすべてを任せて、あわてずさわがず悠々としばらくこの生をたのしむとしょう。
(生きる知恵 中野孝次)
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