2011年08月22日
夏の甲子園
日大三と星光学園の力のこもった決勝戦、刀折れ矢尽き、深紅の優勝旗は東北にもたらされなかったが、星光の奮闘、頑張りは震災の地に希望を与えたに違いない。
甲子園界隈の静かさに、あの熱気を想像していた。
6時前に三ノ宮への到着案内がカーテンを締め切っいるバスに流れたので慌てた。あわてて降りたった見知らぬ街角。阪神電車駅を尋ね尋ねてようやくたどり着き、鈍行に乗り込んで30分あまりで甲子園に到着。近くでマクドナルドを見つけ腹ごしらえを済ませてから、辺りをゆっくりと見渡した。時間はありすぎるほどある。
甲子園テニスクラブ近くに宿を予約していたので、そこで9時過ぎまで休ませていただき、宿泊していたF氏に携帯して一緒に会場へ行く。
昨年も同じパターンで初戦は勝てたが今年は厳しいかもしれないとの想定は的中してしまった。それでも42とリードし行けそうだと思ったりもしたが、それからずるずると46でファーストを失う。自分らしいいつもの悪い負け方だとクールに思っていた。相手はぼくのテニスをみやぶって攻撃パターンを変えてきていたが、それに対応できない自分がいた。セカンドも30とリードしていたが、それからまた逆襲を食らってしまった。33 34 35 45 46。相手にいいようにやられた感じだ。相手は確かに粘りを見せはじめて、そのへんの切り替えが上手だったが、自分のふがいなさにあいそをつかしていた。
試合を終え、よろめきながら大きなバックを引きながら退散、空席の椅子を見つけて座り込み茫然自失していると、見知らぬ人が話しかけてきた。ブログを見ているらしいので、少し慌てた。ぼくが対戦した人の友達だと言う。そう言えば人が入れそうもないコートの斜め後まで入り込んで相手に拍手を送っている人がいた。
話すところによれば凄い戦歴の持ち主だった。見せてくれた両膝には痛々しく縦にまっすぐメスの後があざやか。大手術をして信じられないほどに回復して、ダブルスから復帰したいと話していた。凄い人もいるものだと思った。そして彼からももボールが浅くなっていたと指摘を受けた。ぼくのテニスはもう限界にある。寂しいけれど。
携帯より
甲子園界隈の静かさに、あの熱気を想像していた。
6時前に三ノ宮への到着案内がカーテンを締め切っいるバスに流れたので慌てた。あわてて降りたった見知らぬ街角。阪神電車駅を尋ね尋ねてようやくたどり着き、鈍行に乗り込んで30分あまりで甲子園に到着。近くでマクドナルドを見つけ腹ごしらえを済ませてから、辺りをゆっくりと見渡した。時間はありすぎるほどある。
甲子園テニスクラブ近くに宿を予約していたので、そこで9時過ぎまで休ませていただき、宿泊していたF氏に携帯して一緒に会場へ行く。
昨年も同じパターンで初戦は勝てたが今年は厳しいかもしれないとの想定は的中してしまった。それでも42とリードし行けそうだと思ったりもしたが、それからずるずると46でファーストを失う。自分らしいいつもの悪い負け方だとクールに思っていた。相手はぼくのテニスをみやぶって攻撃パターンを変えてきていたが、それに対応できない自分がいた。セカンドも30とリードしていたが、それからまた逆襲を食らってしまった。33 34 35 45 46。相手にいいようにやられた感じだ。相手は確かに粘りを見せはじめて、そのへんの切り替えが上手だったが、自分のふがいなさにあいそをつかしていた。
試合を終え、よろめきながら大きなバックを引きながら退散、空席の椅子を見つけて座り込み茫然自失していると、見知らぬ人が話しかけてきた。ブログを見ているらしいので、少し慌てた。ぼくが対戦した人の友達だと言う。そう言えば人が入れそうもないコートの斜め後まで入り込んで相手に拍手を送っている人がいた。
話すところによれば凄い戦歴の持ち主だった。見せてくれた両膝には痛々しく縦にまっすぐメスの後があざやか。大手術をして信じられないほどに回復して、ダブルスから復帰したいと話していた。凄い人もいるものだと思った。そして彼からももボールが浅くなっていたと指摘を受けた。ぼくのテニスはもう限界にある。寂しいけれど。
携帯より