2012年10月13日
2回戦勝ち取る
土曜日、晴れ。
朝夕の冷え込みは厳しくなる。目一杯着込んでコートへ向かったが陽光真上になるに連れて快適となり上着を脱いだ。
12時過ぎ8番コートにいる。対戦相手のY氏。10年ほど前、佐賀の芝のコート、ウィンブルドンから電話があった、佐賀でパートナーを探している人がいます云々と、その人がY氏だった。それから何度かシングルスの対戦を繰り返したがいい思い出はない。雲仙国際テニス大会、2回目の挑戦で第一シードを破り、決勝の相手がY氏だった。ぼくは足に痙攣がきて無念リタイア。そのころから試合中に痙攣を起こすのも弱点の一つになっていた。福岡ベテランでもセカンドをタイブレークでようやく取ったものの、直後のファイルタイブレークで涙を飲んだことなどがよみがえる。
このにさん年対戦はないがぼくとしては、今でこそランキングを落としいるが大きな大会でのシード選手にもなっているし負けられないという思いは強かった。
1ゲーム目相手のサービスをいきなりブレークしてキープして20。ツーブレークになりそうで落とし21。それからも厳しいゲームが続いたがきわとくゲームを拾って61で取ることができた。うまく行き過ぎたように思えた。ぼくは肩で息をしながら、このまま行ってほしいと心の中で叫んいた。
思いが通じたのかセカンドは30とリード。ブレークして4となれば勝利は見えてくると考えたがキープされて31。そしてブレークされ32。足元がよたったりでミスショットが増えて、まさに厳しい場面が到来していた。
キープされて33 ブレークされて34 ブレークして44。66タイブレークでもしかたがない、持てる力を振り絞って戦うしかない。
ぼくのサービスを何とかキープして54。相手サービス0 30とリードを許して覚悟をしていたが追い付いて30 30。それから30 40 アドバンテージレシーバと何度もマッチポイントを迎えたが必死の抵抗に阻まれた。
最後の戦いに死力つくしたが、ネット際に落としたポールを相手は拾えづゲームセットを迎えた。61 64。
彼もぼくには負けたくなかったに違いない。ポールを追いかける執念にそれがあらわれていた。
朝夕の冷え込みは厳しくなる。目一杯着込んでコートへ向かったが陽光真上になるに連れて快適となり上着を脱いだ。
12時過ぎ8番コートにいる。対戦相手のY氏。10年ほど前、佐賀の芝のコート、ウィンブルドンから電話があった、佐賀でパートナーを探している人がいます云々と、その人がY氏だった。それから何度かシングルスの対戦を繰り返したがいい思い出はない。雲仙国際テニス大会、2回目の挑戦で第一シードを破り、決勝の相手がY氏だった。ぼくは足に痙攣がきて無念リタイア。そのころから試合中に痙攣を起こすのも弱点の一つになっていた。福岡ベテランでもセカンドをタイブレークでようやく取ったものの、直後のファイルタイブレークで涙を飲んだことなどがよみがえる。
このにさん年対戦はないがぼくとしては、今でこそランキングを落としいるが大きな大会でのシード選手にもなっているし負けられないという思いは強かった。
1ゲーム目相手のサービスをいきなりブレークしてキープして20。ツーブレークになりそうで落とし21。それからも厳しいゲームが続いたがきわとくゲームを拾って61で取ることができた。うまく行き過ぎたように思えた。ぼくは肩で息をしながら、このまま行ってほしいと心の中で叫んいた。
思いが通じたのかセカンドは30とリード。ブレークして4となれば勝利は見えてくると考えたがキープされて31。そしてブレークされ32。足元がよたったりでミスショットが増えて、まさに厳しい場面が到来していた。
キープされて33 ブレークされて34 ブレークして44。66タイブレークでもしかたがない、持てる力を振り絞って戦うしかない。
ぼくのサービスを何とかキープして54。相手サービス0 30とリードを許して覚悟をしていたが追い付いて30 30。それから30 40 アドバンテージレシーバと何度もマッチポイントを迎えたが必死の抵抗に阻まれた。
最後の戦いに死力つくしたが、ネット際に落としたポールを相手は拾えづゲームセットを迎えた。61 64。
彼もぼくには負けたくなかったに違いない。ポールを追いかける執念にそれがあらわれていた。