2012年10月21日
ドラマー
日曜日、晴れ。
午前中ではっ水剤をメインの壁にローラがけほぼ終了。やれやれ。ヤバイところはいちよう今回は命ずなを付けてみたりした。テニスができる体力を残して、少しずつやれば問題ないことが分かる。今年はやる要領も良くなってきた気がする。
それで昼からコートへ出かけて、壁打ちでしばらく練習。下手な相手と練習するよりほっぽど効果がある。ダブルスワンセット。病み上がりのY氏とシングルスワンセット。10キロくらい痩せたそうで、シングルスプレーや向きな体つきに変身していた。
さて、一昨日ホームコートでシングルスの練習が終わって一息入れていると、SAさんが近づいてきたので、世間話をしていると、息子が工藤静香のバックバンドで今度の土曜日、(明日と言えばよいのにそれで勘違いしていた)11時からNHKに出ると言う。以前に工藤静香のバックバンドをメインにドラマーとして東京でやっているとは聞いていたのだ。テレビに出るとき知らせてよと何気なく言った気がする。
ぼくはテレビの録画予約をして、ドラマーを追い求めたが、ドラマーがアップになることはなかったし、ドラムセットの前には透明だが衝立があり残念ながらおぼろげにしか確認することはできなかった。久しぶりの息子の晴れ舞台、一瞬でもアップの姿を期待しただろう、Sさんの困惑顔が浮かんできたが、それでもうれしかったに違いない。
ぼくも50代の半ばからひょんなことからドラムの前に座ったことがある。全くのど素人での会社の同好会での出来事。様子を見に行ったら、ドラマーがいないのでどうですかと言う。ぼろっちぃ古ぼけたドラム一式が取り残されたようにあった。それから必死で練習した。スチックを軽く叩きワンツーワンツースリーフォーでの出ざしの合図から教わり、バンドはリズムを刻むドラムがしっかりしているか否かにかかるんだとか。
始めた頃はベンチャーズが主だったが、ボーカルの女の子がプリンセスプリンセスが好きだったことで、メインがそれになっていった。ボーカルの女の子はのぞ自慢に推薦したいほどいい声をしていたし、音楽的なセンスもあった。
そしていつもぼくのドラムの出来如何でバンドの善し悪しが決まっていた。
デビューは工業団地の夏祭りだった。2,3か月後に迫ったそれに向けての必死の練習、ぼくは辞退したかったが、メンバーの励ましを断ることは出来なくなっていた。女性のキーボード、ボーカル兼キーボード、ベースにギター二人にドラマーの6名の編成だった。
まさに冷や汗ものの初舞台、無我夢中の内に終わっていた。仲間からドラムを刻む音がしっかりしていたよとか、褒められてほっとしたことを思い出す。それから練習を励むにつれて、メンバーたちが発表の場が欲しいらしくて、宴会や楽器の置いている飲み屋、コートでも一回やったことがある。5,6年くらい続いただろうか、仕事が忙しなったことや、メンバーの離脱などで自然解散となってしまった。
ぼくにとっては貴重な青春の一コマの出来事だった。
午前中ではっ水剤をメインの壁にローラがけほぼ終了。やれやれ。ヤバイところはいちよう今回は命ずなを付けてみたりした。テニスができる体力を残して、少しずつやれば問題ないことが分かる。今年はやる要領も良くなってきた気がする。
それで昼からコートへ出かけて、壁打ちでしばらく練習。下手な相手と練習するよりほっぽど効果がある。ダブルスワンセット。病み上がりのY氏とシングルスワンセット。10キロくらい痩せたそうで、シングルスプレーや向きな体つきに変身していた。
さて、一昨日ホームコートでシングルスの練習が終わって一息入れていると、SAさんが近づいてきたので、世間話をしていると、息子が工藤静香のバックバンドで今度の土曜日、(明日と言えばよいのにそれで勘違いしていた)11時からNHKに出ると言う。以前に工藤静香のバックバンドをメインにドラマーとして東京でやっているとは聞いていたのだ。テレビに出るとき知らせてよと何気なく言った気がする。
ぼくはテレビの録画予約をして、ドラマーを追い求めたが、ドラマーがアップになることはなかったし、ドラムセットの前には透明だが衝立があり残念ながらおぼろげにしか確認することはできなかった。久しぶりの息子の晴れ舞台、一瞬でもアップの姿を期待しただろう、Sさんの困惑顔が浮かんできたが、それでもうれしかったに違いない。
ぼくも50代の半ばからひょんなことからドラムの前に座ったことがある。全くのど素人での会社の同好会での出来事。様子を見に行ったら、ドラマーがいないのでどうですかと言う。ぼろっちぃ古ぼけたドラム一式が取り残されたようにあった。それから必死で練習した。スチックを軽く叩きワンツーワンツースリーフォーでの出ざしの合図から教わり、バンドはリズムを刻むドラムがしっかりしているか否かにかかるんだとか。
始めた頃はベンチャーズが主だったが、ボーカルの女の子がプリンセスプリンセスが好きだったことで、メインがそれになっていった。ボーカルの女の子はのぞ自慢に推薦したいほどいい声をしていたし、音楽的なセンスもあった。
そしていつもぼくのドラムの出来如何でバンドの善し悪しが決まっていた。
デビューは工業団地の夏祭りだった。2,3か月後に迫ったそれに向けての必死の練習、ぼくは辞退したかったが、メンバーの励ましを断ることは出来なくなっていた。女性のキーボード、ボーカル兼キーボード、ベースにギター二人にドラマーの6名の編成だった。
まさに冷や汗ものの初舞台、無我夢中の内に終わっていた。仲間からドラムを刻む音がしっかりしていたよとか、褒められてほっとしたことを思い出す。それから練習を励むにつれて、メンバーたちが発表の場が欲しいらしくて、宴会や楽器の置いている飲み屋、コートでも一回やったことがある。5,6年くらい続いただろうか、仕事が忙しなったことや、メンバーの離脱などで自然解散となってしまった。
ぼくにとっては貴重な青春の一コマの出来事だった。