2008年05月28日
鎌倉ー北鎌倉散策
孫の家を八時に出て鎌倉へ。二俣川より相鉄で横浜、横浜よりJRで鎌倉駅に一人降り立つ。
所要時間約一時間三十分。自分の行く方向を定めようと案内板などに目を通してから直進して大通りを右に曲がると前方に参道がありその先に目的の鶴岡八幡がありそうだ。めずらしく道路の真ん中にどうどうと参道は両脇に並木が植えらへ適度な日陰を提供してくれながらえいえいと続く。
参道の途切れたところを道路が迂回し信号があって、その向こうに鶴岡八幡の全貌が出迎えてくれていた。
上着をとると半袖にさつきの風が心地よい。新緑があでやかな通りすがりの神殿では巫女や装束をつけた男たちが何か儀式をとり行っているのがめずらし。セピア色の高校修学旅行の団体写真、何処かで撮ったはずなのだがと歩いてゆくと写真屋さんが目に付きそれらしき専用の場所を通り過ぎて歩いた。
階段を一番上まで上って左手奥へ行くと割と短い階段が目に付き直ぐ下にバス道路くらいの通りが目についた。
迷ったが降りて左手に曲がり道路沿いの狭い歩道を歩いてみる。中学生らしき数人のグループが地図を片手に歩いているのが目に付いた。この緩やかな坂道を歩いて行けば何かあるのだ。建長寺は地図によればこのあたりのはずだ。
建立した蘭渓道隆(らいけいどうりゅう)のことを日経新聞の特集で以前詳しく読んだことがあり印象に残っていた。
向こうからも観光客らしき人たちが歩いてくる何かあるには間違いなさそうだ。
しばらく歩いて通りのおじいさんに建長寺を尋ねるとあのトンネルをくぐって直ぐ右手にありますと笑顔で親切に教えてくれた。
大きな山門が目についたが、寺院は観光客相手に力を入れているが公開は、ほんのさわりだけを垣間見せだけで物足りない。そこを出て歩いて行くと一つ手前の北鎌倉駅に近づいているいることが分った。そこに明月院の案内板があったので右へ曲がって行くと紫陽花などの草花で人気の場所だとわかった。しかし紫陽花の開花には早くうすみどり色で明月院は覆われおり、その間を人一人通れる小道が行く筋もみどりのなかに消えていた。庭園もあり女性客に人気のありそうな雰囲気をかもちだしている。そこに少し時間をかけて次の円覚寺は通り過ぎるだけにして目の前の北鎌倉駅へと向かった。遅くとも孫の帰宅する三時までには帰る約束をしているし、二時間以上歩くと扁平側には限界なのだ。
所要時間約一時間三十分。自分の行く方向を定めようと案内板などに目を通してから直進して大通りを右に曲がると前方に参道がありその先に目的の鶴岡八幡がありそうだ。めずらしく道路の真ん中にどうどうと参道は両脇に並木が植えらへ適度な日陰を提供してくれながらえいえいと続く。
参道の途切れたところを道路が迂回し信号があって、その向こうに鶴岡八幡の全貌が出迎えてくれていた。
上着をとると半袖にさつきの風が心地よい。新緑があでやかな通りすがりの神殿では巫女や装束をつけた男たちが何か儀式をとり行っているのがめずらし。セピア色の高校修学旅行の団体写真、何処かで撮ったはずなのだがと歩いてゆくと写真屋さんが目に付きそれらしき専用の場所を通り過ぎて歩いた。
階段を一番上まで上って左手奥へ行くと割と短い階段が目に付き直ぐ下にバス道路くらいの通りが目についた。
迷ったが降りて左手に曲がり道路沿いの狭い歩道を歩いてみる。中学生らしき数人のグループが地図を片手に歩いているのが目に付いた。この緩やかな坂道を歩いて行けば何かあるのだ。建長寺は地図によればこのあたりのはずだ。
建立した蘭渓道隆(らいけいどうりゅう)のことを日経新聞の特集で以前詳しく読んだことがあり印象に残っていた。
向こうからも観光客らしき人たちが歩いてくる何かあるには間違いなさそうだ。
しばらく歩いて通りのおじいさんに建長寺を尋ねるとあのトンネルをくぐって直ぐ右手にありますと笑顔で親切に教えてくれた。
大きな山門が目についたが、寺院は観光客相手に力を入れているが公開は、ほんのさわりだけを垣間見せだけで物足りない。そこを出て歩いて行くと一つ手前の北鎌倉駅に近づいているいることが分った。そこに明月院の案内板があったので右へ曲がって行くと紫陽花などの草花で人気の場所だとわかった。しかし紫陽花の開花には早くうすみどり色で明月院は覆われおり、その間を人一人通れる小道が行く筋もみどりのなかに消えていた。庭園もあり女性客に人気のありそうな雰囲気をかもちだしている。そこに少し時間をかけて次の円覚寺は通り過ぎるだけにして目の前の北鎌倉駅へと向かった。遅くとも孫の帰宅する三時までには帰る約束をしているし、二時間以上歩くと扁平側には限界なのだ。
(鶴岡八幡)
(建長寺)
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