2008年06月15日
九州テニス選手権 応援へ
6月14日曇り
九州テニス選手権の今日のオーダー表をネットで見ていると無性に博多の森へ行きたくなった。自分が敗れたKU氏は次の四シードには負けると思っていたらストレートで勝ち、駒を進めているのも驚き気になったし見たい試合が目白押しだったこともある。
一人で車をとばし、博多の森テニス競技場に着いたのは10時過ぎで、ちょうどFRU氏の70歳代のシングルス、セミファイナルの最中だった。今日は各年代のセミファイナル、ファイナルがかなり組まれている。
仲間のHさん、Mさんの女子60歳代Dのセミファイナル予定の屋内コートに出向き一人で応援したけれど健闘むなしく負けてしまった。春の九州毎日では決勝で敗れていたので、悔しかったに違いない。
次にセンターコートへ行くと、そこでは70歳代のダブルスの決勝が始っていて、仲間のFRU氏、KA氏組がファーストを64でものにしセカンドに入ったところだった。セカンドは16で簡単に落としファイナルとなる。息詰まる熱戦が数千の席があろうと思われるセンターコートで展開されていた。我々身内4人とあとパラパラも客席にはいなかったが、静まりかえった場内では我々の声援と打球音が心地よくこだましていた。後半仲間が突き放して63で取り優勝となった。
M氏、F氏の60歳ダブルスのセミファイナルは遅くなり4時40分から屋内コートで行われた。
相手は春の九州毎日の優勝者だ。そのときもセミファイナルでいいとこまで行ってやられたと雪辱を誓っていた。接戦に見えたが終わってみれば64 63であった。
春の優勝チームを破ったので優勝は目の前にぶら下がったのだ。泊まらないですかと誘われたが一人で帰途に着く。
6月15日土砂降り
晴れならO氏とシングルと思ったがこれではどうしょうもない。博多の森が頭をよぎる。
M氏、F氏の60歳ダブルスの決勝戦は優勝限りなく近いと思えたし、FRU氏の70歳代のシングルの決勝戦、自分が負けた相手のセミファイナルの戦いぶり等々頭の中をかけめぐる。
もしかして誘えば行きたい人がいるかも知れないと携帯する。A氏は即座に私の趣旨を理解してくれて、自分の車で行こうと言ってくれた。
クラウンアスリートの新車だ。まさに動く応接間とでも言うべきか、まだ高速は処女航海だという。
ミーちゃんも誘って最後は用のない三人で行くことになった。
乗り付けてみると四面ある屋内コートの一角で自分の負けたKU氏は、前年の優勝者と戦っていた。
36 60 46で最後は体力切れで惜しくも決勝進出を逃したが、どちらが勝ってもおかしくないすばらしい試合だった。
そのあとFRU氏の70歳代のシングルの決勝戦が始った。
元デ杯選手だけあって安定したストロークで相手を追い詰めファーストは少し終盤むつれたが75 61で優勝し、単、複のウイナーとなった。
いよいよM氏、F氏の60歳ダブルスの決勝戦が始まり席を移動して三人で応援体制をとる。
ファーストは64で取りこれはいけるぞと勢い込んだのだが、セカンドになって終始相手にリードを許してM、F氏の焦りからミスも続発したり相互の呼吸もギクシャクな面が目立ち相手に勢いを与えてしまった。26で落とし。ファイナルセットも16という始末で終わってしまった。
優勝を前提での応援遠征であったが、勝負はそんなに甘いものではなかった。
優勝をする為には何が必要かを証明するような内容でもあったと思うし、いろんな試合が屋内四面のコートを使って展開され、三人にとってもよい勉強の一日となったはずだ。
九州テニス選手権の今日のオーダー表をネットで見ていると無性に博多の森へ行きたくなった。自分が敗れたKU氏は次の四シードには負けると思っていたらストレートで勝ち、駒を進めているのも驚き気になったし見たい試合が目白押しだったこともある。
一人で車をとばし、博多の森テニス競技場に着いたのは10時過ぎで、ちょうどFRU氏の70歳代のシングルス、セミファイナルの最中だった。今日は各年代のセミファイナル、ファイナルがかなり組まれている。
仲間のHさん、Mさんの女子60歳代Dのセミファイナル予定の屋内コートに出向き一人で応援したけれど健闘むなしく負けてしまった。春の九州毎日では決勝で敗れていたので、悔しかったに違いない。
次にセンターコートへ行くと、そこでは70歳代のダブルスの決勝が始っていて、仲間のFRU氏、KA氏組がファーストを64でものにしセカンドに入ったところだった。セカンドは16で簡単に落としファイナルとなる。息詰まる熱戦が数千の席があろうと思われるセンターコートで展開されていた。我々身内4人とあとパラパラも客席にはいなかったが、静まりかえった場内では我々の声援と打球音が心地よくこだましていた。後半仲間が突き放して63で取り優勝となった。
M氏、F氏の60歳ダブルスのセミファイナルは遅くなり4時40分から屋内コートで行われた。
相手は春の九州毎日の優勝者だ。そのときもセミファイナルでいいとこまで行ってやられたと雪辱を誓っていた。接戦に見えたが終わってみれば64 63であった。
春の優勝チームを破ったので優勝は目の前にぶら下がったのだ。泊まらないですかと誘われたが一人で帰途に着く。
6月15日土砂降り
晴れならO氏とシングルと思ったがこれではどうしょうもない。博多の森が頭をよぎる。
M氏、F氏の60歳ダブルスの決勝戦は優勝限りなく近いと思えたし、FRU氏の70歳代のシングルの決勝戦、自分が負けた相手のセミファイナルの戦いぶり等々頭の中をかけめぐる。
もしかして誘えば行きたい人がいるかも知れないと携帯する。A氏は即座に私の趣旨を理解してくれて、自分の車で行こうと言ってくれた。
クラウンアスリートの新車だ。まさに動く応接間とでも言うべきか、まだ高速は処女航海だという。
ミーちゃんも誘って最後は用のない三人で行くことになった。
乗り付けてみると四面ある屋内コートの一角で自分の負けたKU氏は、前年の優勝者と戦っていた。
36 60 46で最後は体力切れで惜しくも決勝進出を逃したが、どちらが勝ってもおかしくないすばらしい試合だった。
そのあとFRU氏の70歳代のシングルの決勝戦が始った。
元デ杯選手だけあって安定したストロークで相手を追い詰めファーストは少し終盤むつれたが75 61で優勝し、単、複のウイナーとなった。
いよいよM氏、F氏の60歳ダブルスの決勝戦が始まり席を移動して三人で応援体制をとる。
ファーストは64で取りこれはいけるぞと勢い込んだのだが、セカンドになって終始相手にリードを許してM、F氏の焦りからミスも続発したり相互の呼吸もギクシャクな面が目立ち相手に勢いを与えてしまった。26で落とし。ファイナルセットも16という始末で終わってしまった。
優勝を前提での応援遠征であったが、勝負はそんなに甘いものではなかった。
優勝をする為には何が必要かを証明するような内容でもあったと思うし、いろんな試合が屋内四面のコートを使って展開され、三人にとってもよい勉強の一日となったはずだ。
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