2013年05月19日
思いもよらぬ北九州T 70単複制覇
日曜日、小雨。
とうとう最終日まで来てしまった。朝から降雨、テニスは出来るのか、雨天時各コートで確認と要項にあるので博多から車を走らせた。初日は北九州の友人宅からコートへ出かけた。二日目も是非にと言われたが甘えもほどほど、約束のところがあるからと謝辞していた。
天神の都市高速道から乗り九州道から八幡で右折れして北九州都市高速に、足立ランプで舞い降り信号を右へハンドルを切ると、まもなく競輪ドーム、野球場などの一角に三萩野テニスコートがある。時間にして1時間余。
試合開始は10時10分の予定で9時半ごろ到着するとしょぼふる雨の中、コートからは若者の熱気のある声が聞こえてきた。やはりやっているのだ。
20分遅れの10時30分に6番コートへ入った。雨は小康状態でにっこり、ダブルスのパートではあったが75から舞い降り70をかく乱している選手なのだ。70を代表して負けられないという気持ちがあった。昨日の決勝ダブルスでのよたよたを見ていたので、行けるだろうと思っていたが、試合はやってみなければ、またダブルスとはちがう。
ファーストは思惑通りに進んでいた。52とリードしたのだ。思った通りだとはやる気持ちを抑えていた。だが相手もさるものでボールを散らしてぼくのミスを誘い54と追い上げてきてぼくのサービス、55からの逆転負けのよぎりを振り払うかのように、ぼくは積極的に攻めた。するとラブゲームでものにして64でファーストを取ることが出来た。ほんとにほっとした。
セカンドになるとまた小雨がまた降り出す、もう少し待ってと言いたかった。でもテニスに支障をきたすほどでもなかった。だがコートは十二分の水分。
出だしはせっていたが34とブレークされると35、そしてぼくのサービス。15/40で開き直った。タイブレークでの戦い方を考えながらプレイしていた。あやういサービスをブレークし45とせまり、55に限りなく近づいたが振り切られセカンドを落とした。
スーパータオブレークは覚悟をしていた。ここでもつばぜり合いの接戦が中盤まで続いた。腰を落として必死にボールに食いつらい、積極的にネットをでた。バックのスライスでクロスに2回ほどかっこよく抜かれたが、めげずにネットを取ろうとする姿勢を貫いた。
中盤1ポイントリードしながら進んでポンポンとポイントを取って86 87 97。ツーマッチポイントを取っていた、が、それでもネットに出て99と追いつかれた。それからぼくは必死に走り回った。10 9 10 10 11 10 12 10。並んでからはぼくが先行してまたもやタイブレークを制したのだ。
小雨降る中荷物を片付けていると次の試合の女性二人がやってきた。よく走っていましたねと関心の表情でいう。側から見ていてもそうだったのだ。優勝者一覧に自分の名前、単複を刻みたい、70の意地のなせるものであったと思う。
彼が75ダブルスのランキングNO1は確認して出かけたが、シングルスは未確認だった。家に戻ってパソコンを開くと何とランキング2位とあったのでびっくりした。
とうとう最終日まで来てしまった。朝から降雨、テニスは出来るのか、雨天時各コートで確認と要項にあるので博多から車を走らせた。初日は北九州の友人宅からコートへ出かけた。二日目も是非にと言われたが甘えもほどほど、約束のところがあるからと謝辞していた。
天神の都市高速道から乗り九州道から八幡で右折れして北九州都市高速に、足立ランプで舞い降り信号を右へハンドルを切ると、まもなく競輪ドーム、野球場などの一角に三萩野テニスコートがある。時間にして1時間余。
試合開始は10時10分の予定で9時半ごろ到着するとしょぼふる雨の中、コートからは若者の熱気のある声が聞こえてきた。やはりやっているのだ。
20分遅れの10時30分に6番コートへ入った。雨は小康状態でにっこり、ダブルスのパートではあったが75から舞い降り70をかく乱している選手なのだ。70を代表して負けられないという気持ちがあった。昨日の決勝ダブルスでのよたよたを見ていたので、行けるだろうと思っていたが、試合はやってみなければ、またダブルスとはちがう。
ファーストは思惑通りに進んでいた。52とリードしたのだ。思った通りだとはやる気持ちを抑えていた。だが相手もさるものでボールを散らしてぼくのミスを誘い54と追い上げてきてぼくのサービス、55からの逆転負けのよぎりを振り払うかのように、ぼくは積極的に攻めた。するとラブゲームでものにして64でファーストを取ることが出来た。ほんとにほっとした。
セカンドになるとまた小雨がまた降り出す、もう少し待ってと言いたかった。でもテニスに支障をきたすほどでもなかった。だがコートは十二分の水分。
出だしはせっていたが34とブレークされると35、そしてぼくのサービス。15/40で開き直った。タイブレークでの戦い方を考えながらプレイしていた。あやういサービスをブレークし45とせまり、55に限りなく近づいたが振り切られセカンドを落とした。
スーパータオブレークは覚悟をしていた。ここでもつばぜり合いの接戦が中盤まで続いた。腰を落として必死にボールに食いつらい、積極的にネットをでた。バックのスライスでクロスに2回ほどかっこよく抜かれたが、めげずにネットを取ろうとする姿勢を貫いた。
中盤1ポイントリードしながら進んでポンポンとポイントを取って86 87 97。ツーマッチポイントを取っていた、が、それでもネットに出て99と追いつかれた。それからぼくは必死に走り回った。10 9 10 10 11 10 12 10。並んでからはぼくが先行してまたもやタイブレークを制したのだ。
小雨降る中荷物を片付けていると次の試合の女性二人がやってきた。よく走っていましたねと関心の表情でいう。側から見ていてもそうだったのだ。優勝者一覧に自分の名前、単複を刻みたい、70の意地のなせるものであったと思う。
彼が75ダブルスのランキングNO1は確認して出かけたが、シングルスは未確認だった。家に戻ってパソコンを開くと何とランキング2位とあったのでびっくりした。
1クラス上とは言えNO.2に勝っての優勝の実力は本物でしょうね。
今年は是非シングルスでの全日本出場と勝利を期待しています。
ではでは。
うん以上の何かを感じた勝利でした。A氏が75のランキング2位と知っていたら変わっていたかも。サービスのそんなに感じない、ストロークもそうだが、それを狙って仕掛けて狙い通りのボールが行けばいいが、ちょっとでも甘いと拾い捲られて最後にカウンターパンチを食らう。セカンドはそんな感じで、球筋も覚えられてじゅわじゅわと追いつめられていました。
北九州の主のような存在と見受けられ、コートを見下ろす二階の受付部屋。そこからは、勝負の行方を興味深々の顔顔顔。一喜一憂しているのを背中に感じての終盤で、ぼくは背中に羽をつけて飛び回っていました。
もう二度とありえないことだと思っています。
年齢5歳刻みのベテランJOP。70歳代ともなれば、なり立てと5年後はかなりきつと感じてます。ぼくが最後の歳で頑張れたのは勝利の女神が微笑んでいたとしか言いようがありません。
優勝を競った選手は3歳年上、来年ぼくは75歳代になりますが、彼は75を2年残すのみとなります。この辺になると、うまい下手以上に体力、健康の問題も出て、過去の栄光も消え失せる人たちもあると思います。そこに割り込むのを唯一の望みと考えている一人です。
九州選手権は厳しいドローですし、シングルスでの全日本はあきらめています。
ダブルスに最後の希望を託しています。全日本を目指して。
コメントありがとうございました。
80歳のエベレストもすごいけど
体力的にはエベレストにも負けていないのではないでしょうか。
今年は楽しみだね。