2011年07月28日
上高地
昨日は5時に目覚まし。5時半過ぎチェックアウトして直ぐ近くの松屋で朝食を済ませてから目の前の松本駅へ直行。
7番乗り場に下りて時計を見ると6時、ベンチに腰を下ろしてホテルのカウンターで目に付いたご自由にどうどの新聞を広げる。久しぶりニュースが新鮮に思えた。中国での列車事
故、菅さんの相変わらずの粘り越し、日産の中国での200万台の投資。曇り空が気になり天気予報ラン見てがっくり。長野は午前中曇り、午後から雨のようだ。ぼくのテニスに合わせたように天気が崩れるのはよいが後二日頑張ってほしかった。
だから朝一番の列車にしたのは正解だった。雨の降る前に上高地を周遊できるかもしれないと期待した。松本電鉄での終点「新島島」駅まで30分、待機中のバスに乗り換えてほぼ一時間、手前の「大正池」で下車して散策を始めた。
どんよりと雲が垂れ込め、いまにも降りそは気配の中、河沿いの雨上がりの足場の悪い砂利道を、観光客の後にしたがって進んでいった。晴れていれば穂高連峰の大パノラマを堪能できたはずだが、しかしそれでもぼくの目に映る景色は新鮮で、歩を進めるごとの変化を見入っていた。雨が気になり歩を早め田代橋を渡りウエストンレリーフへ、祖母山が一番九州で高いと信じて登ったという、ウエストンの記念碑が祖母山の麓にあったのを覚えている。日本アルプスのなずけ親だとそのとき知った。
まもなく河童橋。有名な場所らしい、大きな土産物屋や、休憩場所やetc。人人ひとがたむろしている。晴れていれば河童橋上からの眺望がすばらしいことが写真でわかる。ぼくは人ごみを避けるように河童橋を渡り梓川の右側を明神池の方に歩を進めた。急に人通が少なくなり心細くなるが、三々五々と後を追ってきて一安心。前方に登山姿の二人の女性が黙々と歩いて行く。ぼくは遅れまいとその後について歩いた。上のほうから男女の学生の集団が一塊、二塊と間隔を置いて次々とすれ違う。大きな声で「今日は」と次々に叫ぶ。ぼくもそれにまけじと答えた。
明神の近くで彼女に追いついて声をかけてみた。中年の女性に見えた。山へ行くんでしょう。どこに行くんですか。どこだったっけと一足先のリーダらしい女性に尋ねた。涸沢岳という。日帰りですかと尋ねると一泊するそうだ。
夜行バスでの登山姿の男性に、松本で下車する前に声をかけた。「Kから乗りましたよね。どこへ行くんですか」「そうです。上高地へ行きそこから」どこそこへ行き槍にも足を伸ばしたい。それから立山へと考えているという。何泊の予定ですか。予定は立ててないと言う。いつも単独行きだそうだ。そのリックで大丈夫なのですかと、そのわりに小さく感じたので尋ねると。これでも一式、テントから全て入っています。尋ねると、25㌔ぐらいという。テントも今はコンパクトでよくなっているそうだ。
松本駅前で名前も交わさずに別れた。
穂高神社奥宮が散策の分岐点、ここも人がたむろしており、彼女らの姿は消えていた。明神橋を渡り、明神池ここは神秘的な景色が見られた。近くの休憩場所で「岩魚の塩焼き定食」で腹ごしらえ。岩魚もさることながら飯のうまかったのが印象に残る。少し道草を食いすぎたと、河童橋目指して歩き出すと、あんのじょう雨が落ちできた。小雨なら木立が傘代わりで問題なし、傘を用意したがほとんど使わずに河童橋までたどりつく。昼はとっくに過ぎていた。人ごみは増すばかりに思えてバスターミナルへと足を速めた。
7番乗り場に下りて時計を見ると6時、ベンチに腰を下ろしてホテルのカウンターで目に付いたご自由にどうどの新聞を広げる。久しぶりニュースが新鮮に思えた。中国での列車事
故、菅さんの相変わらずの粘り越し、日産の中国での200万台の投資。曇り空が気になり天気予報ラン見てがっくり。長野は午前中曇り、午後から雨のようだ。ぼくのテニスに合わせたように天気が崩れるのはよいが後二日頑張ってほしかった。
だから朝一番の列車にしたのは正解だった。雨の降る前に上高地を周遊できるかもしれないと期待した。松本電鉄での終点「新島島」駅まで30分、待機中のバスに乗り換えてほぼ一時間、手前の「大正池」で下車して散策を始めた。
どんよりと雲が垂れ込め、いまにも降りそは気配の中、河沿いの雨上がりの足場の悪い砂利道を、観光客の後にしたがって進んでいった。晴れていれば穂高連峰の大パノラマを堪能できたはずだが、しかしそれでもぼくの目に映る景色は新鮮で、歩を進めるごとの変化を見入っていた。雨が気になり歩を早め田代橋を渡りウエストンレリーフへ、祖母山が一番九州で高いと信じて登ったという、ウエストンの記念碑が祖母山の麓にあったのを覚えている。日本アルプスのなずけ親だとそのとき知った。
まもなく河童橋。有名な場所らしい、大きな土産物屋や、休憩場所やetc。人人ひとがたむろしている。晴れていれば河童橋上からの眺望がすばらしいことが写真でわかる。ぼくは人ごみを避けるように河童橋を渡り梓川の右側を明神池の方に歩を進めた。急に人通が少なくなり心細くなるが、三々五々と後を追ってきて一安心。前方に登山姿の二人の女性が黙々と歩いて行く。ぼくは遅れまいとその後について歩いた。上のほうから男女の学生の集団が一塊、二塊と間隔を置いて次々とすれ違う。大きな声で「今日は」と次々に叫ぶ。ぼくもそれにまけじと答えた。
明神の近くで彼女に追いついて声をかけてみた。中年の女性に見えた。山へ行くんでしょう。どこに行くんですか。どこだったっけと一足先のリーダらしい女性に尋ねた。涸沢岳という。日帰りですかと尋ねると一泊するそうだ。
夜行バスでの登山姿の男性に、松本で下車する前に声をかけた。「Kから乗りましたよね。どこへ行くんですか」「そうです。上高地へ行きそこから」どこそこへ行き槍にも足を伸ばしたい。それから立山へと考えているという。何泊の予定ですか。予定は立ててないと言う。いつも単独行きだそうだ。そのリックで大丈夫なのですかと、そのわりに小さく感じたので尋ねると。これでも一式、テントから全て入っています。尋ねると、25㌔ぐらいという。テントも今はコンパクトでよくなっているそうだ。
松本駅前で名前も交わさずに別れた。
穂高神社奥宮が散策の分岐点、ここも人がたむろしており、彼女らの姿は消えていた。明神橋を渡り、明神池ここは神秘的な景色が見られた。近くの休憩場所で「岩魚の塩焼き定食」で腹ごしらえ。岩魚もさることながら飯のうまかったのが印象に残る。少し道草を食いすぎたと、河童橋目指して歩き出すと、あんのじょう雨が落ちできた。小雨なら木立が傘代わりで問題なし、傘を用意したがほとんど使わずに河童橋までたどりつく。昼はとっくに過ぎていた。人ごみは増すばかりに思えてバスターミナルへと足を速めた。