2011年07月18日
70決勝戦、あやうい勝利
月曜日、海の日で祭日らしいが毎日が日曜日の年金暮らしにはピントこないが、高速料金が安いの魅力だ。
決勝戦は9時半から、一昨日眠れなかった分昨夜はのべ10時間くらい寝た。9時前博多の森テニスコートへ着いて受付にあるコート割を見に行くと、外の2番コートになっていた。1番が75歳、2番が70歳、3番が65歳と一斉に決勝戦が組まれていた。
曇り空、台風の風もほどほどで、暑さもそこそこ、言い訳は出来そうもなかった。決勝戦の相手は自衛隊OBのF氏、4年前の九州選手権で対戦のチャンスがあったのを覚えている。65歳代で初めてJOPに挑戦した年のことで、一回戦を初めて突破してうれしくてたまらなかった。すべてが初体験、翌日の2回戦のノウハウを知らなかった。受付の女性に勝利の報告をして、翌日の試合時間を尋ねて時のやりとりに錯誤があってぼくは翌日早めに到着したつもりだったが、遅刻したことになって片付けられていた。初めての人もいるのだから、なぜもっと分かりやすく説明してくれなかったのかと強く抗議した。ショックは大きかった、自分が情けなかった。そのとき彼は第三シードで初戦だった。
今年から70に参戦したF氏の成績は九州毎日B4、九州選手権でB16で2シードに敗れていた。
さて試合はF氏のレシーブ選択で開始された。ぼくはサービスをキープして30とリード、あまりにも順調な出だしに、いろんなことが頭に去来し始めた。集中力散漫なぼくは勝負師でないとつくづく思う。相手は作戦を変えてきていたのだ。
ゆるいボールでつなぎだした。それを一気呵成に攻めたつもりでいたが、力んだのかミスが目立ちはじめ、足に自信のある相手はそれをひろいまくって、隙があれば攻撃に転じて来たりしだした。
足を意識するあまり、きわどく狙ってアウト、だんだん打てなくなって甘くなると、ドロップをくらったり、すかさづネットに詰めて得意パターンのボレーの餌食となっていった。完全に相手の流れでゲームはお構いなしに進む、1ゲームが取れなくなって、どうしていいか分からなくなっていた。
それから6ゲーム連取され36でファーストを失った。
こんなぶざまな試合をして(よう北信越まで出かけるのう)と聞こえてくる。行くんじゃなかったといっても、もう遅いのだ。
セカンドは自分の普段のテニスを思い切りやってみようと気持ちは切り替えていた。
相手のサービスをいきなりブレークして41とリードしていた。そしてぼくのサービス、キープすれば51流れはいっきにぼくのものとなる。ところがそれをブレークされて42となっておかしくなった。普段のテニスはいつのまにか忘れていた。 43 44 45 55 65 75と薄氷を踏む思いで、無我夢中でセカンドを取ることだできた。最後の二つのポイントは相手の出てきたところをバックの両手打ちでクロスにかっこよく決めることが出来た。ゲームカウント1対1とタイになった瞬間だった。なんとほっとしたことか。
ファイナルは10ポイントのタイブレーク。ここでは優勢に後半を迎えていた。10 12 42 43 54 64 86でぼくが96になるチャンスででイージミスをしたよと後で仲間が語ってくれたが覚えていない。87 88と並んでしまった。
ここでの心境は思いだせないが、相手は二つミスショットをを重ねてくれた。残されたぼくのサービスで、相手の出だまのショットがベースラインをオーバーして98。相手にサーブすが移った。マッチポイント迎えた。よく覚えてないが相手のボールがサイドラインを横切った。その瞬間の暗澹たる彼が目に映り、全てを物語っていた。
握手して彼の肩に手を添えたが言葉は出なかった。
36 57 タイブレーク10 8で辛くも優勝を手にした。
決勝戦は9時半から、一昨日眠れなかった分昨夜はのべ10時間くらい寝た。9時前博多の森テニスコートへ着いて受付にあるコート割を見に行くと、外の2番コートになっていた。1番が75歳、2番が70歳、3番が65歳と一斉に決勝戦が組まれていた。
曇り空、台風の風もほどほどで、暑さもそこそこ、言い訳は出来そうもなかった。決勝戦の相手は自衛隊OBのF氏、4年前の九州選手権で対戦のチャンスがあったのを覚えている。65歳代で初めてJOPに挑戦した年のことで、一回戦を初めて突破してうれしくてたまらなかった。すべてが初体験、翌日の2回戦のノウハウを知らなかった。受付の女性に勝利の報告をして、翌日の試合時間を尋ねて時のやりとりに錯誤があってぼくは翌日早めに到着したつもりだったが、遅刻したことになって片付けられていた。初めての人もいるのだから、なぜもっと分かりやすく説明してくれなかったのかと強く抗議した。ショックは大きかった、自分が情けなかった。そのとき彼は第三シードで初戦だった。
今年から70に参戦したF氏の成績は九州毎日B4、九州選手権でB16で2シードに敗れていた。
さて試合はF氏のレシーブ選択で開始された。ぼくはサービスをキープして30とリード、あまりにも順調な出だしに、いろんなことが頭に去来し始めた。集中力散漫なぼくは勝負師でないとつくづく思う。相手は作戦を変えてきていたのだ。
ゆるいボールでつなぎだした。それを一気呵成に攻めたつもりでいたが、力んだのかミスが目立ちはじめ、足に自信のある相手はそれをひろいまくって、隙があれば攻撃に転じて来たりしだした。
足を意識するあまり、きわどく狙ってアウト、だんだん打てなくなって甘くなると、ドロップをくらったり、すかさづネットに詰めて得意パターンのボレーの餌食となっていった。完全に相手の流れでゲームはお構いなしに進む、1ゲームが取れなくなって、どうしていいか分からなくなっていた。
それから6ゲーム連取され36でファーストを失った。
こんなぶざまな試合をして(よう北信越まで出かけるのう)と聞こえてくる。行くんじゃなかったといっても、もう遅いのだ。
セカンドは自分の普段のテニスを思い切りやってみようと気持ちは切り替えていた。
相手のサービスをいきなりブレークして41とリードしていた。そしてぼくのサービス、キープすれば51流れはいっきにぼくのものとなる。ところがそれをブレークされて42となっておかしくなった。普段のテニスはいつのまにか忘れていた。 43 44 45 55 65 75と薄氷を踏む思いで、無我夢中でセカンドを取ることだできた。最後の二つのポイントは相手の出てきたところをバックの両手打ちでクロスにかっこよく決めることが出来た。ゲームカウント1対1とタイになった瞬間だった。なんとほっとしたことか。
ファイナルは10ポイントのタイブレーク。ここでは優勢に後半を迎えていた。10 12 42 43 54 64 86でぼくが96になるチャンスででイージミスをしたよと後で仲間が語ってくれたが覚えていない。87 88と並んでしまった。
ここでの心境は思いだせないが、相手は二つミスショットをを重ねてくれた。残されたぼくのサービスで、相手の出だまのショットがベースラインをオーバーして98。相手にサーブすが移った。マッチポイント迎えた。よく覚えてないが相手のボールがサイドラインを横切った。その瞬間の暗澹たる彼が目に映り、全てを物語っていた。
握手して彼の肩に手を添えたが言葉は出なかった。
36 57 タイブレーク10 8で辛くも優勝を手にした。
3セット目のスーパータイブレークは自分は経験がありませんが、かなりの神経戦になるようですね。
ていちゃんのこれまでの努力が呼び込んだ結果です。
本当におめでとうございました。
良く頑張った自分にご褒美をあげてください。
長時間試合での集中力、忍耐力に敬服します
相当厳しい展開だったようですが、勝利への執念が
勝敗を分けたのでしょうか。
見習いたいと思います。
相当厳しい展開だったようですが、勝利への執念が
勝敗を分けたのでしょうか。
見習いたいと思います。
優勝おめでとう。
なでしこも世界一になったし、お父さんも粘り強さでがんばりましたね。
ありがとうございます。おかげでさま優勝できましたが薄氷ものでした。
勝負の駆け引きにはうとく、勝負師でない自分です。今回の相手は春先の熊谷杯でぼくが負けたH氏と自衛隊の同士だそうで二人で組んで今年の九州毎日70Dで優勝しています。
二人はシングルスでもB4で対戦して、ファイナルまで戦いH氏が決勝に進み敗れました。
次はDグレードの大会で頑張りたいと思っています。
コメントありがとうございました。
応援ありがとうございます。おかげで優勝することができました。
あの緊張感の中での戦いがいいんですね。負けて悔しい、勝ってうれしい。
なんのとりえもない自己満足の世界ですが、自分の力を試してみたいという
本能があるのでしょうか。
コメントありがとうございました。
ありがとう。負けるかと思えば、最後には勝利が転がり込んでくる。
これは不思議な世界だよね。
勝因はなんだろう。思うに追いつくまでは無心で戦っているが、追いつくと
ほっとすると同時に、野心が生まれる、心がゆれうごく。この辺の機微の変化に
左右される気がする。
ほんとうに強い人はそこから一気に勝を奪い取ってしまう。
今回は相手に助けられたのかも知れない。
応援、ありがとう。
なでしこのことはすっかり忘れていて、家にもどってまさかの優勝を知りました。
ぶざまな負け方で北信越に出かけるのは気がおもいと戦っていました。
これでスッキリした気持ちで出かけられます。
そして松本近郊を楽しんでみたいと思います。
TU氏とはいろいろ会話も交わしました。