2012年01月05日
過去の全日本ランキング
木曜日、はれ。昨日に比べればテニス日和。
浜線公園に出かけて、浜線仲間と初打ち、6名集まってダブルス2セット半、ABCよりレベルが高いので、意識するあまり力が入り思いのテニスは程遠いが、違った環境でのテニスはいろんな意味で勉強になる。
練習が終わってK氏と温泉行きの約束をする。ぬるい外風呂に一時間ちかく浸かって今日もテニス談義に花を咲かせた。昨年末で仕事を辞めたというK氏、新年から思い切り羽を広げて、じっくりテニスを楽しみたいという思いを感じる。
新年度のJOPカレンダーが出来ているらしいというので、早速もどって日本テニス協会のホームページを開いて探し回るが見つからず「過去の全日本ランキング」というのが目に付き、クリックしてみた。
昭和21年から平成21年までの男女のシングルス、18歳以下の男女シングルスの10位までのランキングが一覧することが出来た。
カーソルを下に向かってゆっくりと下げて行くと、ぼくの頭の中にインプットされているシーンがよみがえってきた。
まだ白黒テレビ各戸に行きわたっていただろうか、デ杯戦で日本がこれでもかこれでもかとインドに挑戦して、いつもみじめに負けていたのを思い出す。フォアーのスペッシャリスト渡辺康二を最後の切り札として、大いにきたして送り出したのに、これもあえなく潰えた記憶が残る。
その後、渡辺康二監督でのデ敗戦、オーストラリアを柳 恵誌郎の活躍で破って大変な騒ぎになったことも。
NO1の入れ替わりを追ってゆくと日本トップ選手の変遷をコマ送りのように思い起こすこともできた。
カーソルが止まったのは昭和30年代の半ばに、今日も一緒にテニスをしたF氏の名前を見出したときだ。
34年、ランキング7位、35年6位、36年5位、39年9位とあった。ちなみに34年のNO1 宮城 淳、35年 宮城 淳、36年 石黒 修、39年 渡辺康二。F氏はこの頃デ杯選手に選ばれたに違いない。
風雪も矢の如し。まさにベテランの世代になっても昔の実力をほしいままにしている人、引退した人、体を壊した人、亡くなられた人。人生70ともなれば、「僕の前に道はない僕の後ろに道は出来る」である。
ベテランJOP70のランキング10位以内には、当時の10位以内の人は現在一人しかいない。残り9名の人は10位以下に名前を連ねていたのかぼくにはしるよしもないが、おそらく多分、ほとんどの人がそうであるに違いない。
いやいや亡くなられたM氏はベテランJOPの各年代で3回も優勝しているが、他の球技をしていたというから、一概に言えそうもないが、それぞれいろんな道を歩いてきて、たどり着いたテニス道には違いあるまい。
浜線公園に出かけて、浜線仲間と初打ち、6名集まってダブルス2セット半、ABCよりレベルが高いので、意識するあまり力が入り思いのテニスは程遠いが、違った環境でのテニスはいろんな意味で勉強になる。
練習が終わってK氏と温泉行きの約束をする。ぬるい外風呂に一時間ちかく浸かって今日もテニス談義に花を咲かせた。昨年末で仕事を辞めたというK氏、新年から思い切り羽を広げて、じっくりテニスを楽しみたいという思いを感じる。
新年度のJOPカレンダーが出来ているらしいというので、早速もどって日本テニス協会のホームページを開いて探し回るが見つからず「過去の全日本ランキング」というのが目に付き、クリックしてみた。
昭和21年から平成21年までの男女のシングルス、18歳以下の男女シングルスの10位までのランキングが一覧することが出来た。
カーソルを下に向かってゆっくりと下げて行くと、ぼくの頭の中にインプットされているシーンがよみがえってきた。
まだ白黒テレビ各戸に行きわたっていただろうか、デ杯戦で日本がこれでもかこれでもかとインドに挑戦して、いつもみじめに負けていたのを思い出す。フォアーのスペッシャリスト渡辺康二を最後の切り札として、大いにきたして送り出したのに、これもあえなく潰えた記憶が残る。
その後、渡辺康二監督でのデ敗戦、オーストラリアを柳 恵誌郎の活躍で破って大変な騒ぎになったことも。
NO1の入れ替わりを追ってゆくと日本トップ選手の変遷をコマ送りのように思い起こすこともできた。
カーソルが止まったのは昭和30年代の半ばに、今日も一緒にテニスをしたF氏の名前を見出したときだ。
34年、ランキング7位、35年6位、36年5位、39年9位とあった。ちなみに34年のNO1 宮城 淳、35年 宮城 淳、36年 石黒 修、39年 渡辺康二。F氏はこの頃デ杯選手に選ばれたに違いない。
風雪も矢の如し。まさにベテランの世代になっても昔の実力をほしいままにしている人、引退した人、体を壊した人、亡くなられた人。人生70ともなれば、「僕の前に道はない僕の後ろに道は出来る」である。
ベテランJOP70のランキング10位以内には、当時の10位以内の人は現在一人しかいない。残り9名の人は10位以下に名前を連ねていたのかぼくにはしるよしもないが、おそらく多分、ほとんどの人がそうであるに違いない。
いやいや亡くなられたM氏はベテランJOPの各年代で3回も優勝しているが、他の球技をしていたというから、一概に言えそうもないが、それぞれいろんな道を歩いてきて、たどり着いたテニス道には違いあるまい。
ご親切にありがとうございました。群馬県テニス協会のホームページはわかりやすく、しりたい情報をタイムリーに載せているのに感心しました。うらやましく思いました。
テニス協会の運営も県下のテニス愛好者に満足させる運営をされていると推測できます。
「ベテラン大会グレード・ポイント変更について」も驚きました。こんな情報はまだ耳にしていなかったからです。ありがとうございました。