2010年11月17日
深耶馬渓
水曜日、曇り。
小学校に行くまで一緒に暮らしていた孫が11月2日で10歳になった。Y市に移り別れ別れとなったが、一緒に過した数年間が如何に大事であったかしみじみ思うこの頃だ。
その孫が生まれて15日目にお袋が亡くなった。11月17日3時37分、今朝その時刻に目が覚めた。あの日真夜中に電話があったのだ。
墓参りに行くのだが、途中紅葉の名所耶馬渓を縦断する。
ちょうど紅葉の盛を耳にするので、少し横道に反れるが深耶馬渓を久しぶりに訪れてそれからお墓のほうに行くことにした。時間は十分にある。
若かりし頃二人で行った深耶馬渓の写真が一枚残っている。裏に40.11.21とある。
バスで行ったんだろうね。絶壁の紅葉はもっとすごかった記憶がある。
今回の紅葉はちょっぴり期待はずれであったが、それでも見渡すところ岩の絶壁が続いて、それに紅葉樹がへばりついているから確かに他では余り見かけられない景観であることには間違なさそうだ。
墓参りを終えて小学校の友達を訪問すると、ちょうど夫婦で居合わせて、歓迎してくれて話が弾んだ。
今日はくつろいで泊まって行って下さいと、心底の歓待の言葉に気持ちはゆれて、ほんとうに嬉しかった。
夫婦の野良仕事で食は満たされ、住ははやりの古民家に日曜大工ですみやすい住環境にしながら、同人雑誌の創り、弓道も教えていると言うから、奥さんの弁から察すると、大忙しだそうだ。悠々自適、二人だけの老後を満喫しているのかもしれない。うらやましい限りだ。
帰りには自前の無農薬の玄米一俵、車のトランクに載せてくれた。
小学校に行くまで一緒に暮らしていた孫が11月2日で10歳になった。Y市に移り別れ別れとなったが、一緒に過した数年間が如何に大事であったかしみじみ思うこの頃だ。
その孫が生まれて15日目にお袋が亡くなった。11月17日3時37分、今朝その時刻に目が覚めた。あの日真夜中に電話があったのだ。
墓参りに行くのだが、途中紅葉の名所耶馬渓を縦断する。
ちょうど紅葉の盛を耳にするので、少し横道に反れるが深耶馬渓を久しぶりに訪れてそれからお墓のほうに行くことにした。時間は十分にある。
若かりし頃二人で行った深耶馬渓の写真が一枚残っている。裏に40.11.21とある。
バスで行ったんだろうね。絶壁の紅葉はもっとすごかった記憶がある。
今回の紅葉はちょっぴり期待はずれであったが、それでも見渡すところ岩の絶壁が続いて、それに紅葉樹がへばりついているから確かに他では余り見かけられない景観であることには間違なさそうだ。
墓参りを終えて小学校の友達を訪問すると、ちょうど夫婦で居合わせて、歓迎してくれて話が弾んだ。
今日はくつろいで泊まって行って下さいと、心底の歓待の言葉に気持ちはゆれて、ほんとうに嬉しかった。
夫婦の野良仕事で食は満たされ、住ははやりの古民家に日曜大工ですみやすい住環境にしながら、同人雑誌の創り、弓道も教えていると言うから、奥さんの弁から察すると、大忙しだそうだ。悠々自適、二人だけの老後を満喫しているのかもしれない。うらやましい限りだ。
帰りには自前の無農薬の玄米一俵、車のトランクに載せてくれた。
若いはずだよ、26歳と21歳だもん。カメラを岩の上かなんかに乗せて、写したと思うけれど、記憶に残る写真の一枚。まさに光陰矢のごとしです。