2012年01月14日
シングルス4セットの内訳
土曜日、曇り。
疲れてはいたが惰性で11時ごろコート出かけた。早朝組みは奥のコートでダブルスに熱中していた。近くでの壁打ちもちょっと気が引けてクラブハウスで一息入れていると、A氏が目の前に現れたのでびっくり、レッスンと言おうとしたら、8時半からH氏とシングルスをやったという。まだ元気がありそうなので、空いていた1番コートで対戦したが、今日もA氏の勢いにおされていた。フットワークの良さ、思い切りの良いフォアーでストレート、逆クロスを打ち込まれて防戦一方の内容だった。36 67での連敗。
両手打ちのスイングが甘い、もっと深く強く打たなければダメだ。
ベンチで意気消沈して帰る準備をしているぼくに、近くで見ていたH氏が、一息入れたお願いしますと言う。シングルスをしたくてたまらないのに相手のいないH氏、ぼくが疲れているのを分かっていながら声をかけたのだ。何時も自分だけ楽しんで帰るのに、今日はなぜか気が引ける自分がいた。K氏も2セットの後、僕に付き合い4セットをこなしたのだ。ぼくはOKのサインを出して消化試合をこなすような気持ちでH氏にシングルスを挑んだ。”もっと深く強く打たなければ”と意識して行ったが36の負、ままよとA氏のこなした4セット目に突入した。
64で勝てたのは”もっと深く強く打たなければ”が成功したのかどうか分からないが、何とか1セットものにできてよかった。
I氏から借用した「1Q84」(村上春樹)2巻目の第6章まで何とか読み進んだ。おもえば図書館から借りた3巻をだけを読んでもちぐはぐだったと思う。物語りは少しづつ佳境に入りつつあるようで興味深くよんでいる。I氏の心遣いありがたく、感謝。
「1Q84」が出版されて当時売り切れとかの報道に、村上春樹の小説を一度も読んでいないことをあらためて確認した。それも「ノルウェイの森 」しか浮かんでこない。近くの図書館に出かけて村上春樹のコーナの前に立つと「ねじまき鳥クロニクル」という読みふるされたらしい本が1冊あるだけで、あとはもぬけの殻だった。しかたなしに聞いたこともないその本を借りて帰った。しかし読んでいるうちに、ぐいぐいと引き込まれていった記憶が鮮明にある。それから図書館に足しげく通って「ねじまき鳥クロニクル」の3巻を借りることが出来た。そしてそこに返されていた「海辺のカフカ」「スプートニクの森」「アフターダーク」等を借りて読み、村上春樹の小説を少しだけかじることが出来た。
村上春樹 - Wikipedia より
作品の特徴
平易な文章と難解な物語
平易で親しみやすい文章は村上がデビュー当時から意識して行ったことであり、村上によれば「敷居の低さ」で「心に訴えかける」文章は、アメリカ作家のブローティガンとヴォネガットからの影響だという。また隠喩の巧みさについて、斎藤環は「隠喩能力を、異なった二つのイメージ間のジャンプ力と考えるなら、彼ほど遠くまでジャンプする日本の作家は存在しない」と評している。
一方、文章の平易さに対して作品のストーリーはしばしば難解だとされる。村上自身はこの「物語の難解さ」について、「論理」ではなく「物語」としてテクストを理解するよう読者に促している。一辺倒の論理的な読解ではなく、「物語を楽しむ」ことがなによりも重要なことだという。また、物語中の理解しがたい出来事や現象を、村上は「激しい隠喩」とし、魂の深い部分の暗い領域を理解するためには、明るい
領域の論理では不足だと説明している[25]。このような平易な文体で高度な内容を取り扱い、現実世界から非現実の異界へとシームレスに(=つなぎ目なく)移動する」という作風は日本国内だけでなく海外にも「春樹チルドレン」と呼ばれる、村上の影響下にある作家たちを生んでいる。また、村上の作品は従来の日本文学と対比してしばしばアメリカ的・無国籍的とも評され、その世界的普遍性が高く評価されてもいるが、村上自身によると村上の小説はあくまで日本を舞台とした日本語の「日本文学」であり、無国籍な文学を志向しているわけではないという。なお村上が好んで自身の物語に使用するモチーフに「恋人(妻)の失踪」があり、長編、短編を問わず繰り返し用いられている。
疲れてはいたが惰性で11時ごろコート出かけた。早朝組みは奥のコートでダブルスに熱中していた。近くでの壁打ちもちょっと気が引けてクラブハウスで一息入れていると、A氏が目の前に現れたのでびっくり、レッスンと言おうとしたら、8時半からH氏とシングルスをやったという。まだ元気がありそうなので、空いていた1番コートで対戦したが、今日もA氏の勢いにおされていた。フットワークの良さ、思い切りの良いフォアーでストレート、逆クロスを打ち込まれて防戦一方の内容だった。36 67での連敗。
両手打ちのスイングが甘い、もっと深く強く打たなければダメだ。
ベンチで意気消沈して帰る準備をしているぼくに、近くで見ていたH氏が、一息入れたお願いしますと言う。シングルスをしたくてたまらないのに相手のいないH氏、ぼくが疲れているのを分かっていながら声をかけたのだ。何時も自分だけ楽しんで帰るのに、今日はなぜか気が引ける自分がいた。K氏も2セットの後、僕に付き合い4セットをこなしたのだ。ぼくはOKのサインを出して消化試合をこなすような気持ちでH氏にシングルスを挑んだ。”もっと深く強く打たなければ”と意識して行ったが36の負、ままよとA氏のこなした4セット目に突入した。
64で勝てたのは”もっと深く強く打たなければ”が成功したのかどうか分からないが、何とか1セットものにできてよかった。
I氏から借用した「1Q84」(村上春樹)2巻目の第6章まで何とか読み進んだ。おもえば図書館から借りた3巻をだけを読んでもちぐはぐだったと思う。物語りは少しづつ佳境に入りつつあるようで興味深くよんでいる。I氏の心遣いありがたく、感謝。
「1Q84」が出版されて当時売り切れとかの報道に、村上春樹の小説を一度も読んでいないことをあらためて確認した。それも「ノルウェイの森 」しか浮かんでこない。近くの図書館に出かけて村上春樹のコーナの前に立つと「ねじまき鳥クロニクル」という読みふるされたらしい本が1冊あるだけで、あとはもぬけの殻だった。しかたなしに聞いたこともないその本を借りて帰った。しかし読んでいるうちに、ぐいぐいと引き込まれていった記憶が鮮明にある。それから図書館に足しげく通って「ねじまき鳥クロニクル」の3巻を借りることが出来た。そしてそこに返されていた「海辺のカフカ」「スプートニクの森」「アフターダーク」等を借りて読み、村上春樹の小説を少しだけかじることが出来た。
村上春樹 - Wikipedia より
作品の特徴
平易な文章と難解な物語
平易で親しみやすい文章は村上がデビュー当時から意識して行ったことであり、村上によれば「敷居の低さ」で「心に訴えかける」文章は、アメリカ作家のブローティガンとヴォネガットからの影響だという。また隠喩の巧みさについて、斎藤環は「隠喩能力を、異なった二つのイメージ間のジャンプ力と考えるなら、彼ほど遠くまでジャンプする日本の作家は存在しない」と評している。
一方、文章の平易さに対して作品のストーリーはしばしば難解だとされる。村上自身はこの「物語の難解さ」について、「論理」ではなく「物語」としてテクストを理解するよう読者に促している。一辺倒の論理的な読解ではなく、「物語を楽しむ」ことがなによりも重要なことだという。また、物語中の理解しがたい出来事や現象を、村上は「激しい隠喩」とし、魂の深い部分の暗い領域を理解するためには、明るい
領域の論理では不足だと説明している[25]。このような平易な文体で高度な内容を取り扱い、現実世界から非現実の異界へとシームレスに(=つなぎ目なく)移動する」という作風は日本国内だけでなく海外にも「春樹チルドレン」と呼ばれる、村上の影響下にある作家たちを生んでいる。また、村上の作品は従来の日本文学と対比してしばしばアメリカ的・無国籍的とも評され、その世界的普遍性が高く評価されてもいるが、村上自身によると村上の小説はあくまで日本を舞台とした日本語の「日本文学」であり、無国籍な文学を志向しているわけではないという。なお村上が好んで自身の物語に使用するモチーフに「恋人(妻)の失踪」があり、長編、短編を問わず繰り返し用いられている。
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