2009年11月06日
全日本ローントベテランテニス大会の思い出
曇り。運動公園CDコートでK壮会月例テニス大会。
参加者は男子35名、女子30名の65名。先週の日曜日の予定が雨で今日になったため参加者が減ったようだ。それでビールを貰える確率が高くなったと思ったが、スライドの組み合わせがうまくかみ合ったのか接戦が続いた。和気藹々で一喜一憂の楽しい時間が流れた。初戦36で負けて今日は危ないと思ったが、それから開き直って頑張り62 60 61と奮闘したのだが3勝1敗が3人で1ゲーム差で2位となった。350CCのビール半ダースゲット。500CCは持て余すから狙い通りの成果だった。
全日本グラスコート選手権の70歳以上は昨日か今日決勝が行われているはずだ。PCでチェックすると戦績が書き込まれていたい。
T氏を60 63で負かした1シードの藤原氏は準決勝で小西氏に 64 16 16で敗退。下からは古田氏を67 64 76で破った崎口氏が決勝に進出していたが小西氏に26 06で敗れており小西氏が10月に行なわれた全日本ベテランと全日本グラスコートベテラン選手権と連覇したことになる。
小西氏とは全日本ローンコートベテランテニス選手県大会と呼ばれていた昔、ダブルスをK氏と組んで対戦した記憶があるのでプログラム(ドロー)を捜してみた。
23回大会、60歳以上のダブルスに出ていた。8ペアーのエントリで1シードが(広瀬 均 小西一三)2シード(石黒 修 杉本政司)で一回戦は(中川裕之 守屋 明)勝ったらしい。2回戦は1シード、日没中断可能性のある夕闇せまる時間帯でセカンドは接戦でファイナルになる可能性があった。相手はえらく急いて今日終わらせようとしているのが見え見えで気分を悪くした記憶が残っている。
強いかとおもって相手をなめているなと。
この前年忘れもしない55歳代ダブルス。主催者のクラブから電話があり佐賀の人と出てもらえないでしょうかと言う。
かけつけてみると4組のドローで1シードがデフォしたため戦わずして決勝戦を(安藤経世 高田博紀)とセンターコートで行うことになった。そのときはバックの両手打ちを見よう見まねでやっていたのが良く決り、ファースを無我夢中の中でものにしたところ、セカンドになって相手の目の色が違ってきた。実力者と即席コンビでは、手の内をすぐに見透かされてセカンド、ファイナルを一方てきにやられて負けるが、
一勝もせずに準優勝の栄誉を受けて感激したのが記憶に新しい。すぐさまに赤じゅうたんがコートに敷かれ表彰台が設置され、はれがましくも表彰台にのぼったのだ。全日本と名のつく大会での準優勝なのだ。
あとで誰かがささやいた、準優勝ですから全日本にも出れますよって。
参加者は男子35名、女子30名の65名。先週の日曜日の予定が雨で今日になったため参加者が減ったようだ。それでビールを貰える確率が高くなったと思ったが、スライドの組み合わせがうまくかみ合ったのか接戦が続いた。和気藹々で一喜一憂の楽しい時間が流れた。初戦36で負けて今日は危ないと思ったが、それから開き直って頑張り62 60 61と奮闘したのだが3勝1敗が3人で1ゲーム差で2位となった。350CCのビール半ダースゲット。500CCは持て余すから狙い通りの成果だった。
全日本グラスコート選手権の70歳以上は昨日か今日決勝が行われているはずだ。PCでチェックすると戦績が書き込まれていたい。
T氏を60 63で負かした1シードの藤原氏は準決勝で小西氏に 64 16 16で敗退。下からは古田氏を67 64 76で破った崎口氏が決勝に進出していたが小西氏に26 06で敗れており小西氏が10月に行なわれた全日本ベテランと全日本グラスコートベテラン選手権と連覇したことになる。
小西氏とは全日本ローンコートベテランテニス選手県大会と呼ばれていた昔、ダブルスをK氏と組んで対戦した記憶があるのでプログラム(ドロー)を捜してみた。
23回大会、60歳以上のダブルスに出ていた。8ペアーのエントリで1シードが(広瀬 均 小西一三)2シード(石黒 修 杉本政司)で一回戦は(中川裕之 守屋 明)勝ったらしい。2回戦は1シード、日没中断可能性のある夕闇せまる時間帯でセカンドは接戦でファイナルになる可能性があった。相手はえらく急いて今日終わらせようとしているのが見え見えで気分を悪くした記憶が残っている。
強いかとおもって相手をなめているなと。
この前年忘れもしない55歳代ダブルス。主催者のクラブから電話があり佐賀の人と出てもらえないでしょうかと言う。
かけつけてみると4組のドローで1シードがデフォしたため戦わずして決勝戦を(安藤経世 高田博紀)とセンターコートで行うことになった。そのときはバックの両手打ちを見よう見まねでやっていたのが良く決り、ファースを無我夢中の中でものにしたところ、セカンドになって相手の目の色が違ってきた。実力者と即席コンビでは、手の内をすぐに見透かされてセカンド、ファイナルを一方てきにやられて負けるが、
一勝もせずに準優勝の栄誉を受けて感激したのが記憶に新しい。すぐさまに赤じゅうたんがコートに敷かれ表彰台が設置され、はれがましくも表彰台にのぼったのだ。全日本と名のつく大会での準優勝なのだ。
あとで誰かがささやいた、準優勝ですから全日本にも出れますよって。