2009年11月15日
K県主催T杯テニス大会50歳の部
うす曇、気温下がる。15℃くらいか。
K県テニス協会主催T杯テニス大会は14日から23日までの土日使って、運動公園CDコートで行われている。一昨日の雨の影響でクレイコートの何面かは使用できず、おかげで休み休みの試合となったので体力面で前半良かったのだが、ブロックの2試合が終わって1回戦、ベスト4となるにしたがって休みは10分くらい、ながく休んだからといって足腰の疲労が回復するわけでもないが老体には気力はあっても体は動いてなかったのだろう。
男子50歳以上のクラスは18名も参加していた。今までは10名前後だったと思う。
3名づつの6ブロックを作り、各ブロック1人が勝ち上がりトーナメントを戦うのだ。
僕のブロックは厳しかった。最初のOG氏は今までの対戦は五分五分くらい、フォアーが強烈で、互いにサービスキープで22で相手のサービスをブレークして32。自分のサービスをキープして42になれば有利になると先行きを考えていると33になってしまった。44から何とか頑張り2ゲームをとり勝つことができたが薄氷を踏む思いの接戦だった。
2試合目はOG氏が62で勝利した僕と同じ左ぎきのIK氏。彼は左手からのフォアーが強烈だがバックが難点。時々のフォアーの強打に悩まされながらもバックをせめて52となって僕のサービス。勝利を目の前にして気が緩んだのか落として53。土俵際の相手は捨て身で攻めはじめ、ラッキーも相手に味方しだし、とうとうまさかの55までなってしまった。頭の中は混乱、一勝一敗になったらOG氏と僕のどち
らが有利になるのかなんて頭によぎる。勝たなければ駄目だと、こちらも開き直り戦うと2ゲーム連取して75でこれも危うい勝利だった。
トーナメントの一回戦は下のブロックで勝ち上がった宿敵のKN氏。ドローを見た時から勝ち上がって対戦したいとの思いが強かった。昔昔若かりし頃、大牟田オープンで勝利したのが鮮やかで、その後は負けることがほとんどだった気がする。そうそう県の室内選手権の決勝で対戦して室内得意の僕が勝利した2勝だけだ。一昨年のこの大会か、県のシングルスのセミファイナルの8ゲームセットで62くらいから逆転された悔しい思いが忘れられない。あの頃は両手打ちを始
めて間もなく、肝心のバックの両手打ちが怖くてスライスだけで勝負したのも記憶にある。
僕は持てる力を出し切ろうと果敢に戦った。22から52 53 63と勝ってしまった。
相手の厳しい球はいくつもあったがミスを恐れずにせめていったし、つなぎもした。試合内容は数字以上に大変だったけれど、両手打ちだからこそ百戦練磨の男に勝てたのだと思う。
セミファイナルはYM氏、彼とは今までに相性は良くなかった。そんなに強いとは思えないのだけれど足があって粘ってくる。試合前のサービスの練習をしていると、左足に違和感がはしった。痙攣の前兆みたいでもあったが、両足には3セットフルに戦った疲れを感じており集中力を欠いていた。
気力が失せたせか、疲れのせいか、きわどいミスばかりが続いて、相手のジャッジに不審を抱くと益々駄目になり06とダンゴデやられた。
決勝はFJ氏とYM氏でFJ氏が60、ダンゴでやっつけてくれて嬉しかったが、僕とFJ氏が対戦するとアンダーになるかもとちょっと考えさせられた。
K県テニス協会主催T杯テニス大会は14日から23日までの土日使って、運動公園CDコートで行われている。一昨日の雨の影響でクレイコートの何面かは使用できず、おかげで休み休みの試合となったので体力面で前半良かったのだが、ブロックの2試合が終わって1回戦、ベスト4となるにしたがって休みは10分くらい、ながく休んだからといって足腰の疲労が回復するわけでもないが老体には気力はあっても体は動いてなかったのだろう。
男子50歳以上のクラスは18名も参加していた。今までは10名前後だったと思う。
3名づつの6ブロックを作り、各ブロック1人が勝ち上がりトーナメントを戦うのだ。
僕のブロックは厳しかった。最初のOG氏は今までの対戦は五分五分くらい、フォアーが強烈で、互いにサービスキープで22で相手のサービスをブレークして32。自分のサービスをキープして42になれば有利になると先行きを考えていると33になってしまった。44から何とか頑張り2ゲームをとり勝つことができたが薄氷を踏む思いの接戦だった。
2試合目はOG氏が62で勝利した僕と同じ左ぎきのIK氏。彼は左手からのフォアーが強烈だがバックが難点。時々のフォアーの強打に悩まされながらもバックをせめて52となって僕のサービス。勝利を目の前にして気が緩んだのか落として53。土俵際の相手は捨て身で攻めはじめ、ラッキーも相手に味方しだし、とうとうまさかの55までなってしまった。頭の中は混乱、一勝一敗になったらOG氏と僕のどち
らが有利になるのかなんて頭によぎる。勝たなければ駄目だと、こちらも開き直り戦うと2ゲーム連取して75でこれも危うい勝利だった。
トーナメントの一回戦は下のブロックで勝ち上がった宿敵のKN氏。ドローを見た時から勝ち上がって対戦したいとの思いが強かった。昔昔若かりし頃、大牟田オープンで勝利したのが鮮やかで、その後は負けることがほとんどだった気がする。そうそう県の室内選手権の決勝で対戦して室内得意の僕が勝利した2勝だけだ。一昨年のこの大会か、県のシングルスのセミファイナルの8ゲームセットで62くらいから逆転された悔しい思いが忘れられない。あの頃は両手打ちを始
めて間もなく、肝心のバックの両手打ちが怖くてスライスだけで勝負したのも記憶にある。
僕は持てる力を出し切ろうと果敢に戦った。22から52 53 63と勝ってしまった。
相手の厳しい球はいくつもあったがミスを恐れずにせめていったし、つなぎもした。試合内容は数字以上に大変だったけれど、両手打ちだからこそ百戦練磨の男に勝てたのだと思う。
セミファイナルはYM氏、彼とは今までに相性は良くなかった。そんなに強いとは思えないのだけれど足があって粘ってくる。試合前のサービスの練習をしていると、左足に違和感がはしった。痙攣の前兆みたいでもあったが、両足には3セットフルに戦った疲れを感じており集中力を欠いていた。
気力が失せたせか、疲れのせいか、きわどいミスばかりが続いて、相手のジャッジに不審を抱くと益々駄目になり06とダンゴデやられた。
決勝はFJ氏とYM氏でFJ氏が60、ダンゴでやっつけてくれて嬉しかったが、僕とFJ氏が対戦するとアンダーになるかもとちょっと考えさせられた。