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シニアテニス両手打ちでの挑戦記 60歳代半ばにしてエルボーをこじらせ片手では打てなくなりバック、フォアーとも両手打ちに替えての試行錯誤、全日本ベテランテニス選手権出場目指してのつれづれ。

ていちゃん
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    箱根駅伝早大優勝で思い出すこと

    月曜日、曇り。
    今日も箱根駅伝総合優勝の早稲田と来年のシード争いを確認してコートへ出かけると、流石に今日はたくさんの会員がそこのけそこのけという感じて押し寄せていた。
    遠慮してテニスでの汗を遠回りしてスロージョギングで、出して帰った。

    早稲田は往路の雪辱を総合優勝ではたした。悲喜こもごものエピソード聞くにつけ、箱根駅伝に参加した選手たちにとって、貴重な人生の糧となるのだ。

    優勝した早大陸上部といえば瀬古選手が頭に浮かぶ。そして彼を見出した中村清監督のこと。
    瀬古の全盛時代にある雑誌のコラムで見つけた中村監督のことが強く印象に残りスクラップしていたのだが、随分昔のこと。

    中村が再度乞われて早稲田陸走部の監督に就任したときは、競技場には空き缶が転がったりでだらけきっていたそうだ。そんな風だから成績も低迷していた。中村はみんなを集めて説教した。「中村は昔は随分、後輩を殴った。しかしこれからは、めったに鉄拳制裁はしない。ただ、どうしても1つ2つ殴りたくなったら、まず自分自身を十も二十も 殴ってか
    らやる。これ、この通りだ」と言うなり、中村は自分の顔を力まかせに殴り続けた。唇が切れ、血が流れ出した。」その中に1人だけ真剣な眼差しで見つめる男がいた。それが瀬古利彦だった。

    「お前たちがどんなに苦しくても頑張る、という情熱を取り戻してくれるなら、俺はなんでもやる。草を食え、砂をなめろというなら、その通りにする」と 言って、地面の草を引き抜いて土といっしょに口に入れた。中村は当時、血圧250、血糖値300という半病人(糖尿病)だったのに、部員の練習の間は、た とえ土砂降りの雨でも雪が降っても、4時間5時間でも立ったまま練習を見続けたそうである。

    中村監督は瀬古を育て上げた頃、渓流つりの事故でなくなった。

    Qちゃんこと高橋尚子を育てた小出義雄など名監督は名選手を見出し育てる才能がある。

    日記 | 投稿者 ていちゃん 22:38 | コメント(0) | トラックバック(0)