2011年01月22日
ラオニック(カナダ)に注視
土曜日晴れ。
森田あゆみの3回戦を見てからテニスコートへとテレビの前に座ったが、前の試合、M・ラオニク(カナダ)と M・ヨージニ(ロシア)の対戦が12時過ぎまで4セットの熱戦を続けていらいらしていた。が内容は新旧の息詰まる試合であった。
予選から勝ち上がったラオニク(カナダ)は二十歳で2メータ近くの長身からのサービスはエースの連発。ストロークが安定していれば3ー0で終り、昼前には森田の試合が見られたはずだった。10シード28歳のヨージニ(ロシア)はラオニクの強烈なサービスに押されて2セット連取されプライドを傷つけられていたはずだ。
相手は予選這い上がりのランキング152位の選手なのだ。ファーストはワンブレーク46、セカンドは57と競ったが、最後はサービスでしとめられた。3セット目は必死の形相、自分を鼓舞するかのように大声を発しながら執念で64と1セットをもぎ取ったが、そこまでで力尽きていた。
若者、ラオニクは淡々と長身からの美しいフォームで200キロ以上のサービスをいとも容易く打ち込んで、ゲームの流れを離さなかった。4セット目46でしとめられたといわれてもしかたあるまい。
ラオニクの4回戦は7シードで同じく28歳のフェレーロ(スペイン)。一昨年かその前の年か、錦織が全米ベスト16をかけて対戦した相手がフェレーロ。当時ランキング4位のフェレーロに5セットを戦って下し錦織はいちやく脚光浴びた。
フェレーロもヨージニと似通ったタイプだ。サービスはそこそこで粘り強いストロークが持ち味。ラオニクのストロークに若干の問題はあるが、あのサービスがあればフェレーロの苦戦は免れないだろう。
ようやく森田あゆみとS・ポン(中国)、時計は12時を大きく回っていた。左右両手打ちの二人に息をころして期待したのだが、出だし相手のストロークに押されて簡単に森田は3ゲームを失う。ぼくは落胆してしてコートへ出かけた。
ところが森田がセカンドを取ってファイナル33までを見てからコートに来たと言う人がいた。
家に戻りじっくりビデオを見た。16 63 36で森田惜しくも負けたが、打ち合いでは一歩も引けを取らなかった。
二人は今まで3回戦って1勝2敗ということからも、お互いの手の内は分かっていたのだ。最後には痙攣の来ていたS・ポン、勝利の女神は森田に来たのかと一瞬思ったが、S・ポンは一発勝負のショットで最後は振り切った。
森田あゆみの3回戦を見てからテニスコートへとテレビの前に座ったが、前の試合、M・ラオニク(カナダ)と M・ヨージニ(ロシア)の対戦が12時過ぎまで4セットの熱戦を続けていらいらしていた。が内容は新旧の息詰まる試合であった。
予選から勝ち上がったラオニク(カナダ)は二十歳で2メータ近くの長身からのサービスはエースの連発。ストロークが安定していれば3ー0で終り、昼前には森田の試合が見られたはずだった。10シード28歳のヨージニ(ロシア)はラオニクの強烈なサービスに押されて2セット連取されプライドを傷つけられていたはずだ。
相手は予選這い上がりのランキング152位の選手なのだ。ファーストはワンブレーク46、セカンドは57と競ったが、最後はサービスでしとめられた。3セット目は必死の形相、自分を鼓舞するかのように大声を発しながら執念で64と1セットをもぎ取ったが、そこまでで力尽きていた。
若者、ラオニクは淡々と長身からの美しいフォームで200キロ以上のサービスをいとも容易く打ち込んで、ゲームの流れを離さなかった。4セット目46でしとめられたといわれてもしかたあるまい。
ラオニクの4回戦は7シードで同じく28歳のフェレーロ(スペイン)。一昨年かその前の年か、錦織が全米ベスト16をかけて対戦した相手がフェレーロ。当時ランキング4位のフェレーロに5セットを戦って下し錦織はいちやく脚光浴びた。
フェレーロもヨージニと似通ったタイプだ。サービスはそこそこで粘り強いストロークが持ち味。ラオニクのストロークに若干の問題はあるが、あのサービスがあればフェレーロの苦戦は免れないだろう。
ようやく森田あゆみとS・ポン(中国)、時計は12時を大きく回っていた。左右両手打ちの二人に息をころして期待したのだが、出だし相手のストロークに押されて簡単に森田は3ゲームを失う。ぼくは落胆してしてコートへ出かけた。
ところが森田がセカンドを取ってファイナル33までを見てからコートに来たと言う人がいた。
家に戻りじっくりビデオを見た。16 63 36で森田惜しくも負けたが、打ち合いでは一歩も引けを取らなかった。
二人は今まで3回戦って1勝2敗ということからも、お互いの手の内は分かっていたのだ。最後には痙攣の来ていたS・ポン、勝利の女神は森田に来たのかと一瞬思ったが、S・ポンは一発勝負のショットで最後は振り切った。