2011年01月02日
箱根駅伝で学ぶこと
日曜日、快晴。
コートは13時からのオープン。「第87回箱根駅伝」往路最終区5区の東洋大の柏原が早大を追い抜くのを確認してコートへ出かける。
・・・・・・・・・・・・・・・・
3年連続で逆転の往路Vの立役者となった柏原は、レース後のインタビューで開口一番「やったぞ、田中ー!」とあす9区を走るチームメートの名前を絶叫。「スタート前から、まわりに“楽しく走れ”と言われて、往路優勝できました。みんなで往路新が取れて良かった。ありがとうございました」と涙ぐみながら語った。さらに「あすも東洋らしい、粘りの走りで優勝したい」と力強く語った。
5区16キロすぎ。東洋大の柏原は、中継所で3分近く先にいた早大の猪俣に並走さえ許さず首位に。「仕事は復路優勝すること」。高低差864メートルの「天下の険」で、3年続けて逆転優勝の“主役”を演じてみせた。
襷(たすき)を受ける10分前、酒井俊幸監督に電話で伝えた。「つぶれるか、行けるか、どっちかです」。後先考えずに全力で駆け出した。ゴール直後には意識が薄くなって倒れ込んだ。「あまり覚えていない」。完全燃焼していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・(抜粋)
期待されて期待通り3年間成し遂げた根性は見あげたものだ。強い選手は惜しみない努力をしているはずだ。
初打ちテニスはダブルス4試合楽しむ。
夜テレビで「とんねるずスポーツ」のテニスで松岡修造に錦織が加担してよろけているのを見る。ばかばかしい内容だったけれど、それを見ていたのは、そこに神和住純を見つけたこともある。ふっくらと昔の面影はあった。
歯切れの良いテニスで、松岡修造の前の日本テニスで最も実績をあげた1人だと思う。その割には表に出てこないのはなぜだろうと思ったこともあった。久しぶりに拝顔した。
神和住 純はベテランJOPの大会2006年55歳で一回きり出場しており、決勝戦で第一シードの福井雄治を752676(2)で優勝していた。さすが力は温存しているようだ。
コートは13時からのオープン。「第87回箱根駅伝」往路最終区5区の東洋大の柏原が早大を追い抜くのを確認してコートへ出かける。
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3年連続で逆転の往路Vの立役者となった柏原は、レース後のインタビューで開口一番「やったぞ、田中ー!」とあす9区を走るチームメートの名前を絶叫。「スタート前から、まわりに“楽しく走れ”と言われて、往路優勝できました。みんなで往路新が取れて良かった。ありがとうございました」と涙ぐみながら語った。さらに「あすも東洋らしい、粘りの走りで優勝したい」と力強く語った。
5区16キロすぎ。東洋大の柏原は、中継所で3分近く先にいた早大の猪俣に並走さえ許さず首位に。「仕事は復路優勝すること」。高低差864メートルの「天下の険」で、3年続けて逆転優勝の“主役”を演じてみせた。
襷(たすき)を受ける10分前、酒井俊幸監督に電話で伝えた。「つぶれるか、行けるか、どっちかです」。後先考えずに全力で駆け出した。ゴール直後には意識が薄くなって倒れ込んだ。「あまり覚えていない」。完全燃焼していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・(抜粋)
期待されて期待通り3年間成し遂げた根性は見あげたものだ。強い選手は惜しみない努力をしているはずだ。
初打ちテニスはダブルス4試合楽しむ。
夜テレビで「とんねるずスポーツ」のテニスで松岡修造に錦織が加担してよろけているのを見る。ばかばかしい内容だったけれど、それを見ていたのは、そこに神和住純を見つけたこともある。ふっくらと昔の面影はあった。
歯切れの良いテニスで、松岡修造の前の日本テニスで最も実績をあげた1人だと思う。その割には表に出てこないのはなぜだろうと思ったこともあった。久しぶりに拝顔した。
神和住 純はベテランJOPの大会2006年55歳で一回きり出場しており、決勝戦で第一シードの福井雄治を752676(2)で優勝していた。さすが力は温存しているようだ。
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